第8話 人心を掌握せよ(後編)
三枝は、本部近くの小さな喫茶店で戸田と向かい合っていた。
「こちらが、当日の運営計画です」
三枝が資料を差し出した。
戸田は一枚目を見てうなずき、二枚目で目を見開き、三枚目で口を閉じた。
必要人員、時間別配置、物資搬入経路、トラブル発生時の想定シナリオなど、イベントに必要な情報が事細かに網羅されていた。
戸田は最後のページまで目を通し、ゆっくり顔を上げた。
「これ、町内会の夏祭りですよね?」
「はい」
「お見事です! これなら実現できるでしょう……! 三枝さんの熱意に感動しました……!」
戸田の目がうるむ。
三枝が無言でポケットティッシュを差し出した。
「業者への委託は、こちらで進めておきます!」
涙と鼻水を拭きながら、戸田が言った。
「ありがとうございます。事前に連絡した屋台については、いかがでしょうか?」
「そちらも問題ありません! ただ、外見が少し特殊で」
「屋台の機能がそろっているのであれば問題ありませんが、特殊とは?」
「当日のお楽しみということで!」
三枝はそれ以上何も聞かなかった。
少なくとも、仕事に関して戸田は信用できる。
問題ないと言うなら、問題ないのだろう。
「三枝さん」
戸田が資料を片付けながら、真剣な顔で言った。
「夏祭りだけでなく、これからも地域活動を続ける予定でしょうか?」
「その予定です」
「でしたら、いずれ任意団体のままでは限界が来るかもしれません。NPO法人という選択肢もありますよ」
「……NPO法人」
三枝は、しばし動きを止めた。
そして、その単語を手帳に書き込む。
「弊社は、NPO法人化支援の業務も承っております!」
三枝は口の端に小さな笑みを浮かべた。
「抜かりありませんね。考えておきます」
三枝はメモした「NPO法人」の文字を、丸で囲んだ。
* * *
黒木は町内会館へ到着した。
正面から堂々と乗り込み、親世代を支配下へ置く。
そのはずだった。
引き戸を開けた瞬間、十数人の子どもが一斉に振り返った。
「……何だ、これは」
「あら、黒木さん。ちょうどよかった」
部屋の奥から田辺が現れた。
「今日は夏休みの子どもイベントなのよ」
「俺は親世代に用がある」
「お母さんたち、準備で少し手が離せなくてねえ。少しだけ一緒に面倒見てくれない?」
「断る」
子どもの一人が、黒木を指さした。
以前、防犯教室に参加していた子どもだった。
「あー! 悪者だー!」
「不審者ごっこしよー!」
「やらねえ」
「やってー!」
子どもたちが一斉に黒木へ群がった。
「寄るな! 服を引っ張るな! おい、眼帯を勝手につけるんじゃねえ!」
「魔王、勇者ごっこしよう!」
「誰が魔王だ!」
「悪の組織なんでしょ? 魔王じゃん!」
「組織形態が違う!」
十分後。
黒木は部屋の真ん中で仁王立ちしていた。
肩には黒い布、頭には厚紙で作られた角、右手には新聞紙の剣を握らされていた。
「よく来たな、勇者ども!」
腹の底から響く声に、子どもたちが歓声を上げた。
「この町内会館は、たった今より我が暗黒領土となった! 支配されたくなければ、三つの試練を突破してみせろ!」
「うおおおお!」
「最初の試練だ! 床に散らばった暗黒の秘宝を、箱へ戻せ!」
子どもたちが競うようにしておもちゃを片付け始める。
「走るな! 押すな! 横取りした者は魔王軍から追放する!」
黒木は次々に役割を与えた。
おもちゃの奪い合いを始めた二人には、「決闘で決着をつけろ」とじゃんけんを言い渡した。
飽きて寝転がった子には、「スパイ任務だ。人目を盗んでこの本を漆黒の棚に戻せ」と別の片付けを命じた。
気づけば、子どもたちは黒木の指示に従って整然と動いていた。
部屋の入り口では、戻ってきた母親たちがその様子を見ていた。
「すごいわ。うちの子、あんなに言うこと聞くんだ……」
「黒木さん、保育士さんなの?」
「違う!」
黒木が振り返った。
田辺がニコニコしながら近づいてきた。
「ありがとう、黒木さん。助かったわ。ところで、お母さん方に用事があったんじゃないの?」
黒木はそこで、本来の目的を思い出した。
ごほんと咳払いをして、剣を高く掲げた。
「貴様らに指令だ! 親子ともども、夏祭りの手伝いをしろ!」
「えっ、子どもも一緒でいいの!?」
「ガキにはガキの、保護者には保護者の役割を与える!」
子どもたちが一斉に母親を見上げた。
「お母さん! 僕やりたい! 協力したら食券もらえるんだって!」
「私もやりたーい! お父さんも一緒に呼んでいいんだって!」
魔王ごっこの最中、子どもたちには夏祭りの魅力をたっぷりと吹き込んであった。
洗脳は、早くも功を奏していた。
「子どもの思い出にもなるし……いいかもしれないわね」
「アイちゃんママが行くなら、私も一緒に行こうかしら」
「私、ママ友グループにも流してみるわ」
大人たちが口々に参加を表明した。
黒木は誇らしげな顔で手を腰に当ててふんぞり返った。
「指令は町内会LINEに流してある。必要事項を記入して我々の支配に――」
バシッと音がして、黒木は子どもに新聞紙の剣で背中を叩かれた。
「魔王! 次の試練!」
「待て! 今、大人の支配を……」
「早く!」
次々と子どもが群がり、まとわりついた。
黒木は舌打ちしたが、数の暴力に屈した。
* * *
夕方。
四人は再び六畳一間の本部へ集まった。
三枝が成果を読み上げた。
「平原道場から十二名。ゲートボール会から九名。アーバンリンク経由で、各種専門業者の手配も完了しました」
「俺は焼きそばの極意を取得した」
大門がヘラを構えた。
「祭り当日までに、さらに修行する」
「目的が変わってねえか?」
三枝が次の項目へ移った。
「最後に、黒木さん」
黒木は腕を組み、得意げに顎を上げた。
「親世代二十名だ」
「二十?」
ユズルが目を見開いた。
「すげえっす……獲得難易度の高い層を、単独で二十人……」
そのとき、ユズルのスマホがピコンと鳴った。
ユズルは画面を見て、ニヤニヤと笑って黒木に問いかけた。
「黒木さん、どうやってこんな偉業を成し遂げたんっすか?」
「子どもを甘言で落とし、親を誘い込ませた」
「魔王ごっこで?」
黒木がピクリと眉を吊り上げた。
恐ろしい顔で、視線だけをユズルに向ける。
「何で知ってる」
「ゲートボール会のグループLINEで流れてたっす!」
ユズルがスマホを黒木に見せた。
子どもに馬にされている魔王黒木の写真があった。
「大門、かち割れ」
「任せろ!」
「ぎゃああああああ! すみません! すみません! スマホだけはぁあああ!」
追いかけっこを始めた大門とユズルを尻目に、黒木は何事もなかったように続けた。
「これで必要人員はそろった。祭りは我々のものだ」
三枝がうなずいた。
「ただし、子連れ参加者が増えたため、配置を再調整する必要があります」
「途中で抜けても回るように組み直せ。ガキが疲れたら、親ごと休ませろ。逃亡を許すな」
「承知しました」
「それと、ガキ用の休憩場所を増やせ。人質を弱らせるな」
黒木は腕を組み直した。
「くっく……我々の支配もついにここまで来たか」
こうして、暗黒結社ノクターンの反撃態勢は整った。
彼らは言う。
これは夏祭りの人手確保ではない。
自律型支配の確立である。




