第8話 人心を掌握せよ(前編)
「人民を制する者は、祭りを制す」
六畳一間の本部に、黒木の声が響いた。
畳の上には、夏祭りの会場図と町内地図が広げられている。
壁際では古びた扇風機が首を振り、生ぬるい風を送っていた。
「そして祭りを制する者は、地域を制する」
ユズルは町内地図を見下ろし、感心したように声を上げた。
「夏祭りが、ちゃんと世界征服につながってるっす!」
「当然だろ。世界征服とは、小さな支配の積み重ねだ」
「勉強になるっす!」
三枝はパソコンを操作し、壁に資料を映した。
『夏祭り反撃作戦』の文字が表示された。
「本番まで一か月を切った。スピード上げていくぞ」
黒木が三人を見渡して言うと、皆、深くうなずいた。
「まず、代表の方針をもとに運営規模を縮小しました。会場を思い切って町内会館に変更し、屋台は駐車場を使用します」
三枝がスライドを切り替えた。
「館内の手伝いであれば、老人にも可能でしょう。門戸を広げ、人員を幅広く確保します」
「なるほど、いい案だ」
「また、設営などの重作業や、衛生管理などの専門知識が必要な役割は、アーバンリンクに委託させてください。これで必要人数は半減し、分担も現実的になります」
黒木は苦い顔をした。
「わかっているだろうが、支配中枢を奪わせるなよ」
「はい。それと、もう一つご提案があります」
三枝は、眼鏡を指で押し上げた。
レンズがきらりと光った。
「我々も資金確保のため、屋台を一つ出せないでしょうか」
「構わんが、悪の威厳を損なわないものにしろ」
「承知しました。業者には、そのように依頼しておきます」
「お前に任せる」
三枝はうなずくと、次の資料を映した。
人員配置表が表示された。
「とはいえ、まだ人が足りません」
設営班、受付班など、役割がずらりと並んでいる。
必要人数の横には、現在確保できている人数が赤字で表示されていた。
どの項目も、足りていない。
「特に立ち仕事や屋外作業ができる現役世代が不足しています。負担軽減のためにも、多数の人員が必要です」
黒木は腕を組み、地図へ目を落とした。
しばらく黙ったあと、口元をゆっくり持ち上げた。
「……なら、もう一度町へ出るぞ。ただし今回は、住民の弱みを的確に突く」
ユズルの目が輝いた。
「悪っぽい……!」
「人間には必ず、抗えないものがあるだろう? それを餌としてちらつかせ、こちらの要求を呑ませろ」
そのときだった。
頭上で、カタン、と音がした。
四人が同時に天井を見上げた。
「……出るぞ」
黒木が低く言った。
天井板が一枚、ゆっくりと持ち上がった。
隙間から、見慣れた困り眉の老爺の顔が逆さまにのぞく。
「うーむ。それは強要ではないかのう」
黒木は、神を見上げた。
神は、珍しく下に降りてこなかった。
「勘違いしているようだが、住民どもは好き好んで支配下にくだるんだ。お前に口出しする権利はねえ」
「おぬしらの支配下に入るとどうなるのじゃ?」
「三十分単位のシフト制で労働だ。一時間以上働けば、特別褒賞として町内通貨をやる」
「町内通貨?」
「屋台で使える食券です」
三枝が答えた。
「子連れもOKっす!」
「涼しい」
ユズルと大門も続けた。
神は目を細め、穏やかな笑みを浮かべた。
「住民の事情によく配慮しておるのお」
「配慮じゃねえ。支配だ」
「ふぉっふぉっ、がんばるのじゃぞ」
神の顔が引っ込み、天井板が静かに閉じた。
黒木はしばらく天井を睨みつけたあと、大きく息を吐いた。
「……やけにあっさり引き下がったな。まあいい」
黒木は地図を指で叩いた。
「大門は平原道場。筋力を遊ばせている連中を根こそぎ持ってこい。ユズルはゲートボール会を中心に、ジジババどもを引きずり出せ」
二人がうなずいた。
「三枝はアーバンリンクだ。外部人員と物資の交渉は任せる」
「ポジティブサイコを制圧してきます」
「俺は町内会館へ行く。最も攻略難易度の高い、現役の親世代を落とす」
黒木は立ち上がって、スッと玄関を指さした。
「各員、出動だ。我々の支配を確実なものにするぞ」
大門が勢いよく立ち上がった。床が軋んだ。
三枝はパソコンを抱え、ユズルは額に冷えピタを装着した。
四人は力強い足取りで、それぞれの戦場へ向かった。
* * *
平原道場では、門下生たちが黙々とスクワットをしていた。
大門が戸を開けると、平原が振り返った。
「どうした」
「トレーニングの誘いだ」
門下生たちはスクワットを続けながらも、横目で大門をうかがっている。
「来る8月8日土曜日、俺は、あるトレーニングを受ける。師匠と先輩方と一緒に受けたい」
三枝にもらったメモを横目で確かめながら、大門は自分の言葉で続けた。
「8月8日……ほう、なるほどな」
平原は腕を組み、門下生を集めた。
「貴様ら、さらなる高みを目指す気はあるか」
「「おおー!」」
門下生たちが拳を掲げた。
大門も一緒に拳を突き上げた。
「喜べ! 特別訓練だ!」
平原は言いながら、大門が手にしていた設営のしおりをばらまいた。
「全員、頭に叩き込んでおけ! いいか、これは訓練だ!」
平原が言うと、一段と大きな歓声が上がった。
門下生はしおりを拾い上げ、特別訓練に浮かれている。
平原は大門に向き直った。
「ただし、約束を忘れるな」
平原は道着から二本の金属製のヘラを取り出し、大門へ渡した。
「焼きそばを受け継ぐのはお前だ」
「わかっている」
「明日からお前も特訓だ。毎日午後七時に来い」
「おっす!」
大門はヘラを手にしたまま力こぶを作った。
* * *
公園横の体育館では、ゲートボール会の面々が試合の最中だった。
暑くなってきて、最近はもっぱらゲートボールも屋内だ。
ユズルは邪魔にならないよう端で待ち、一区切りついたところで声をかけた。
「皆さん、夏祭り当日なんすけど」
「暑いから行かないよ」
説明する前に断られた。
「まあまあ、そう言わずに聞いてあげなよ」
山下が近づいてきて、助太刀した。
「祭りでしょ。暑いし、立ちっぱなしだし」
「今年は町内会館でやる予定っす!」
老人たちの動きが止まった。
皆の目がきらりと光った。
「町内会館の中です。冷房あり。椅子あり。飲み物あり!」
「最初からそれを言いなさい」
女性の一人がゲートボールのスティックを脇に抱えて、ユズルが持っていた資料を奪った。
「屋内なら何でもやるわよ」
「誘導係は佐々木さんがいいよ。声が大きいから」
「鈴木さんは計算が速いから食券売り場ね」
ユズルが慌てて言った。
「ちょ、待ってください。まだ仕事内容を説明してないっす」
「祭りなんて毎年やってるんだからわかるよ。何人必要だい?」
「できれば、六人はお願いしたいっす」
「じゃあ九人出そう」
「増えた」
老人たちはその場で役割分担を始めた。
ユズルはあっけに取られたまま、その様子を眺めていたが、やがてスマホを取り出し、黒木に電話をかけた。
「黒木さん、ゲートボール会、掌握しました」
『何人だ』
「六名の予定でしたが、九名になったっす。あと、勝手にシフトも組み始めました」
『……お前が掌握されてないか?』
「大丈夫っす。たぶん」
ユズルは張り切る老人たちを見ながら、嬉しそうに笑った。




