第5話 証拠を残すな(後編)
翌週の土曜日。
町内清掃の日は、よく晴れていた。
梅雨が明け、徐々に気温も高くなっていた。
町内会館前には、軍手をはめた住民たちが集まっている。
中高年や高齢者が多いが、子ども連れの親もいる。
やがて田辺が町内会館から出てきて、「みなさーん」と手を叩いた。
「今日は、事前に回覧板でお知らせした場所でゴミ拾いをお願いします。正午までに作業を終えて、集めたゴミは、十三時までに町内会館へお願いしますね」
田辺の説明が終わると、住民が散り散りになる。
黒木たちも、持ち場――本部アパート近くの公園へ向かった。
* * *
公園に着くと、まず三枝が分別袋を用意し、集積所を作り上げる。
ユズルは、声を潜めて黒木に言う。
「黒木さん、例のブツはいつ処分するんっすか?」
「焦るな。まずはちゃんとゴミ拾いをして周囲を油断させる。作戦の決行は最後だ」
「うっす! がんばるっす!」
ユズルは真剣な面持ちでゴミを拾い始める。
公園の端のほうでは、大門が筋トレのような動きを交えながらゴミを拾っていた。
「若いの、お前はスポーツでもやっとるのか」
近くでゴミを拾っていた老人が、大門に声をかける。
「スポーツはしない。だが、筋トレは好きだ」
「ほほう。見せてみろ、お前の筋肉を」
「いいだろう」
大門は半袖のシャツを肩までまくり上げると、ポージングを決める。
「ふんぬっ!」
「ほう、いい筋肉だ。じゃが、わしも負けとらんぞ」
老人はほうきを放り出して、上着を脱ぎ捨てた。
大門が目を見開く。
とても老人とは思えない、鍛え上げられた肉体があらわになる。
「なんという……! なんという美しき筋肉! 名は何という!」
「わしか? わしは平原じゃ」
「ひら……はら……」
それは、すべてを一日で忘れる大門が、唯一覚えていた単語だった。
「町内会最強の男、平原!」
「はは、わしなんてそんな大仰なもんではないぞ」
「俺と勝負だ!」
「いいだろう、負けんぞ!」
公園の片隅でボディビル大会が始まった。
「何かしら、あれ」
周りの大人たちがざわつく。
遠巻きに、大門たちを怪訝そうに見る。
「まずい、目立ちすぎだ」
黒木が言う。
三枝にアイコンタクトを送ると、三枝は何かを察したように大門のほうへ向かった。
しかし、そのときだった。
「あ、きんにくの人だー!」
「アイちゃん、あの人知ってるの?」
少女が叫んだ。母親と思しき女性が、アイに問いかける。
「うん、防犯教室のヒーローだよ!」
「ああ、ひょっとして最近町内会に入ったっていう若い人かしら」
「あ、不審者もいる! 不審者の人ー!」
アイと呼ばれた少女が黒木に気づき、駆け寄ってくる。
母親はギョッとした顔で、その後を追う。
「やめろ! その呼び方!」
「あれ、君、この前の防犯教室の……」
ユズルがアイに気づく。
「すみません、この子が勝手に……あの、不審者というのは……」
母親が黒木を見て、いぶかしげに言う。
「ああ、違うんです! この前の防犯教室で、この人が不審者役をやったんです。この悪人面にピッタリでしょう?」
ユズルが慌てて訂正する。
黒木がギロリとユズルを睨んだ。
「不審者、すっごく上手だったんだよ! アイ、こういう人にはついていかない!」
「なっ……!」
黒木が目を見開いて固まる。
それなりにショックだったらしい。
「黒木さん、大丈夫です。悪の総統としての威厳が漏れ出しすぎちゃってるだけですって」
ユズルが小声で耳打ちする。
そんな様子を見ながら、アイの母親が小さく笑う。
「ふふっ。この子、防犯教室がすごく楽しかったみたいで、あなたたちの話ばかりしていたんですよ」
「あら、うちの娘も同じこと言ってたわ」
近くで掃除をしていた別の女性が話に入ってくる。
「眼鏡のお兄さんがイケメンだったって。真ん中でゴミの分別してる彼でしょ? 確かにイケメンだわあ」
「回覧板の運用もあなたたちが見直してくれたのよね。本当に助かってるわ」
一人、また一人と会話に人が入ってくる。
気づけば黒木とユズルは、四人の大人に囲まれて褒めちぎられていた。
黒木は、非常に居心地が悪かった。
「お、俺は三枝を手伝ってくる」
「あ、黒木さん!」
ユズルを生贄に、黒木はその場を逃げ出す。
そのまま早歩きで、中央でゴミを分別している三枝のもとへ向かう。
「どうなってる!? 大人に感謝されたぞ」
「我々の偽装工作の成果でしょう」
「どこが成果だ!」
「成果です。冷静に考えてみてください」
三枝が続ける。
「ここ数か月の活動によって、我々の影響は現役世代にも及び始めています」
黒木は周囲を見渡す。
見知った顔が何人もいる。
「老人、子どもに続き、働き盛りの住民どもまで支配下に入ったということか」
「はい。我々の計画も、そろそろ折り返し地点といえるでしょう」
黒木の顔が徐々に晴れやかになっていく。
「はっはっは! ついにここまできたか。そうかそうか」
黒木はトングを振り回しながら、上機嫌に掃除を再開した。
* * *
二時間の清掃は、あっという間に終了した。
十二時前になり、住民たちが次々とゴミを持ってくる。
すべてさばき終えると、三枝は皆にアナウンスする。
「あとは我々で町内会館に運びますので、皆さんは解散していただいてかまいません。皆さん、ありがとうございました」
三枝の言葉に、住民たちはわっと拍手をした。
黒木たちは、住民全員が公園から出ていくのを見届けると、ベンチの上に置いていた荷物を取ってくる。
念のため大門の巨体を盾にしながら、ゴミ袋を三つ取り出した。
数日前に隠滅し損ねた、ノクターンの悪事の証拠の数々だ。
三枝は中身を素早く分別し、それぞれ町内のゴミが入った袋へ紛れ込ませていく。
「あとはこれらを町内会館に持ち帰れば、十三時には業者が回収します」
「完璧だ。大門、あとは頼んだ」
「任せろ」
大門が、軽々と巨大な袋を四つ抱え上げた。
「証拠隠滅、大成功っすね!」
ユズルが嬉しそうに言う。
しかし黒木は、首を横に振った。
「いや、まだだ。町内会館に着くまでが証拠隠滅だ」
黒木が真剣な面持ちで言う。
四人は周囲を警戒しながら、町内会館を目指した。
* * *
ほどなくして、四人は無事に町内会館にたどり着いた。
ゴミ袋を集積所に置き終わると、ふと、三枝が何かに気づいた。
「どうしたんっすか?」
三枝はしゃがみ込んで、ゴミ袋の横に落ちていた紙を手に取る。
「アーバンリンク……」
三人が三枝の手元をのぞき込む。
それはチラシだった。
町内会の古い回覧物とは明らかに違う、モダンでスタイリッシュなデザインだった。
「田辺会長から伺った会社ですね。夏祭りの支援も始めたようです」
「町内最大の群衆掌握装置を狙ってやがるのか」
黒木が目を細める。
「俺たちが必死に積み上げてきた地域支配を奪うつもりだ」
ユズルが息をのんだ。
「アーバンリンク、ついに本格的に僕たちに挑んできてるっす……!」
「許せねえ」
黒木はチラシを睨んだ。
そのとき、通りの向こうを白いワンボックスカーが静かに通り過ぎた。
側面には、青いシュッとした文字で『UrbanLink』と書かれていた。
黒木は車を目で追いながら、拳を握る。
「シマ荒らしとはいい度胸だ」
空気がぴりつく。
しかし、その緊張は背後からの柔らかな声にあっさり破られた。
「あなたたち、ゴミを持ってきてくれたのね」
四人は振り返る。
田辺だった。
「業者から、予定より早く着きそうだって連絡があったの……あら、それ、この前話したアーバンリンクさん。今度、説明をお伺いする予定なの」
「なんだと?」
黒木が食いつく。
「いろいろなサービスを紹介してくれたんだけど、よくわからなくて。サポートしてくれるのは嬉しいけれど、なんだか機械的というか……」
「人情は大事だ」
大門が言う。
「ええ、そうね。私は、あなたたちみたいな温かい人が一番好きよ」
田辺がふわりとほほ笑んだ。
優しい笑顔だった。
四人は、何を言えばいいかわからず、黙り込んだ。
そこへ、一台のトラックが入ってきた。
「あら、ゴミの収集業者ね。さ、あなたたちも疲れたでしょう。帰ってゆっくり過ごすのよ」
言いながら、田辺はトラックのほうへ去っていく。
四人は、ホッと息をつく。
三枝はアーバンリンクのチラシを小さく折りたたんで、胸ポケットにしまう。
「帰って作戦会議をしましょう。これ以上放っておくのは危険です」
「そうっすね! 僕、負けたくないっす!」
ユズルが言う。
ゴミ収集車に吸い込まれていく袋を見ながら、黒木は満足げにうなずく。
「ああ。証拠は消え、敵の痕跡を手に入れた。完璧だ」
四人はアパートに向けて歩き出す。
掃除の名残か、町がいつもよりにぎやかに感じられた。
ユズルがふと足を止める。
「……あれ?」
ここ一週間の出来事が頭を駆け巡る。
証拠の裁断、大家との対決、いつもよりあっさりと引き下がった神、分別回収されていったゴミ。
「これ、普通に合法では……?」
「おいユズル、置いてくぞ。まずは昼飯だ」
「あ、待ってくださいよー!」
至極まっとうなユズルのつぶやきは、誰にも聞かれることなく、町の喧騒に消えていった。
こうして、暗黒結社ノクターンの町内清掃は完了した。
しかし、彼らは言う。
これは町内清掃ではない。証拠隠滅である。
★お読みいただきありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら、感想やレビューをいただけると励みになります!




