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最終話.逃げきってみせる

 恵美はしばらくコンビニの中から外を探っていたが、あの車が戻ってこないと判断し、駅の切符売り場へ向かって全力疾走した。切符販売機の前で、お金を出すために、ザックをいったん下におろし、ザックの外側の小物入れのチャックを開き小銭を取り出す。その間も、何度も振り返った。

 所持している現金は、すべて『えさ代』として善意でもらったものなので、小銭ばかりで、切符販売機にどんどん投下してもはかどらない。あせるあまり、どうでもよくなって、四百円ほど入れたところで、その切符で乗って行ける場所で降りることにした。都合のいいことに、電車がもうすぐ来そうだ。遠くの方で、踏切の音が聞こえる。

 ザックを背負い直し、改札を通り抜け、反対ホームへ渡る階段の影に隠れた。脱獄者のように息をひそめ、見つからないようにと祈る。階段を上って行く人が、壁に張り付くように身を細めている恵美に、不審な目をむけたが、そんなことはどうでもいい。なにせ、いつ見つかるかわからない危険な状況。怪しまれることより、捕まる方が怖い。とにかく早く、ここを脱出。今のところ、ナメ子の車は見当たらない。

 

 早く、今のうち、電車、早く着いて! 

 

 願いを聞き入れてくれたように、すぐ近くの踏切も鳴り始めた。


(祐二、電車が来たよ。やったぁ、これであの嫌な人たちとはお別れ。何をしにそこへ車を持って来ていたか知らないけど、もう関係ない)

(電車に乗るまでは気をつけろよ)


 電車がホームへ入って来たので、恵美は階段の陰から飛び出した。扉が開くのが待ち遠しい。プシュー、と扉が開くと同時に恵美は降りる人を押しのけて乗りこんだ。扉が閉まるのすらもどかしい。車両のつなぎ目に近い席に座った恵美は、動きだした電車に、無意識に険しくなっていた顔をゆるめ、背中のザックをおろした。窓から外をうかがったが、ナメ子車は見えない。緊張してため込んでいた息をはき出し、コンビニで買ったペットボトルのスポーツ飲料をごくごくと飲んだ。



 その頃、遊園地内の、事務所が置かれている建物内は騒然としていた。

「社長はいったいどこへ行かれたのだ。連絡はまだとれないか」

「携帯の電源を切っていらっしゃるようでつながりません。奥様もです。ご自宅にも戻っておられません」

 イライラ様子の男性事務員に、事務所内の女性がおろおろと答えた。

「もう社長の指示を仰がずに警察を呼ぼう」

 ほどなく警察が呼ばれた。通報で呼ばれた警察官二名は、注意深く『それ』に近寄り、ハンディタイプの金属探知機をかざしている。廊下から職員たちがそれを見守る。

「大丈夫そうですね。金属反応はありません。爆発物ではないでしょう」

 警官の言葉に、一同は、安堵のため息をもらした。警官たちが引き揚げた後、残された事務員たちは、『それ』におそるおそる近づいた。

「安全らしいけど、これ、何が入っているんだ? 衣類みたいだが……」

「開けてみましょうよ。爆発しないなら、ただのゴミですよね。捨てるなら分別しましょう」

 若い女性事務員が『それ』を手にとり、狭い湯沸かし室の調理台の上で、中身をどんどん出した。卵の殻はナメ子が少しかたづけたところだったので、少なかったが、生卵を吸い込んでしまった衣類はそのままだった。袋にぎゅうぎゅうに詰められていたそれらを、一枚ずつ出していた女性は、あっ、と声をあげた。

「これ、あのスネークショーの人のだわ。この模様、見覚えがあるもの」

 唐草模様の二枚のトランクス。ひとつはまだ新品のまま袋に入っている。その女性は、恵美にポテトとピザを渡した、相沢、という名の若い事務員だった。あの時、相沢の目に入ったのは、大きな黒蛇の体に通された、ガバガバの大人のトランクス。忘れようもない。

「あのスネークショーの人、今日はもう帰ったわよね。爆発予告のいたずらがあった翌日に、こんな不審な物を人気ひとけのない場所へ置くなんて、常識のないこと」

 集まっていた人々は、忘れものだと納得すると、ぞろぞろと事務所内に戻った。相沢は、汚れている衣類を元の袋へ突っ込んでおいた。


 それから約三十分後。

「残念だったな。矢内さんは見つからなかった。もし、明日もシロちゃんが発情期なら、絶対に見に行きたい。この装備は事務所においておこう」

 社長は、無念さをにじませ、ヘルメットをはずして乱れた髪をなでながら、ナメ子と共に車を下りた。

「あなた、明日があるわよ。あきらめないわ」

「そうだな。希望を失っては、どんなことでもうまくいかないものだ。おまえはいつもいいことを言う。さすが俺の家内だ」

「んふふふ……歌にもそういうのがあるじゃないの。あなたも一緒に歌いましょうよ」

「明日がある、明日がある……」

 社長とナメ子は笑い合いながら、ヘルメットを片手にかかえ、警棒を歌に合わせて振り回しながら、園の事務所へ戻った。


 事務所へ入るなり、並べてある事務机の一つについていた男性の事務員が、さっと立ち上がり、報告に来た。

「あ、社長、実は不審な荷物が置かれているのが発見されまして、警察に見てもらいました。問題はありませんでした。報告が遅くなりましたが、どうしても連絡がつかなかったものですから……」

「携帯の電源を切ってあったのだった。悪かった。不審物があったのか? どこにだ」

「爆発物ではなく、湯沸かし室に置き忘れただけの汚れた服でした。持ち主もわかりました」

 それを聞いていたナメ子が、ああ、と声を出した。

「湯沸かし室のって、卵まみれになった服のことでしょう?」

「はい、そうです。奥様のものだったのですか」

 男性事務員は、何だ、大騒ぎになっていたのに、と眉を寄せ、不快感を顔に出していたが、ナメ子は知らんぷりだった。

「あれは矢内さんに頼まれたゴミ。卵が割れちゃったから引き取ったのよ。あれが爆発すると思ったの? 私がそのままにしていったから、いけなかったのね。ごめんなさいねぇ」

 ナメ子は、まわりの空気は気にせず、さっさと湯沸かし室へ行こうとした。それを相沢が呼び止めた。

「奥さま」

 その先の声は、ひそひそになった。

「割れた卵の下に入っているのは、どうみても男物の服です。彼女が蛇にはかせていたトランクスももちろん含んでいます。なんで、スネークショーをここでやるだけなのに、私と年齢がそう変わらないように見える女性が、あんなものを持ち歩いているのか理解できませんよ。おかしな人は園内に入れない方がいいかもしれません。私、社長の家に泊まるように勧めてしまいましたけど、夕べ大丈夫でしたか?」

「ふふふ、矢内さんがおかしな人だってことは、夕べわかったの。男の服を持ち歩いていたとしても驚かないわよ。あの人はね、蛇を男がわりにしているのよ。だから、人間の男の服を着せてね、夜は蛇と、んんん、なのよぉ。それでもね、主人ととってもお話が合うから、よかったと思っているのよ。心配してくれてありがとうね。あれは捨てていいんですって。片づけておくわ」

「そう……ですか……やっぱり変な方だったのですね……」

 ナメ子は、あきれている相沢に背を向け、すたすたと湯沸かし室へ行った。



 電車を降りた恵美は、駅の公衆電話から園の事務所に電話を入れた。電話に出たのは男性の事務員だったので、恵美はほっとして、一方的にしゃべった。蛇が死んだので、明日からスネークショーはやめる、かめは不要になったので捨ててかまわない、と告げた。対応した男性は、「わかりました、社長に伝えておきます」と言っただけで、電話はすんなり終わった。

(やったぁ。祐二、これで終わり!)

(すっきりしたな。ところでここはどこだ?)

(すぐそこにあたしたちの山が見えている。それでも歩くと結構時間はかかりそうだけど、がんばるよ。山道に入ったら出してあげるからね。まさか、こんなところまでは追ってこないでしょう)


 恵美が山道へ入る頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。登山道は昨夜の雪が残り、ぬかるんで歩きにくい。それでも心は軽やかに弾む。暗くても目は見えるし、本物の人の体よりも身軽に歩けるので、道が悪くても何も困ることはない。

「祐二、ここなら出ていいよ。狭くて苦しかったでしょう」

 ザックから出てきた祐二は、みるみる人間に姿を変えた。服は着ていないので、当然裸だ。そのまま恵美は抱きしめられた。

「ちょっと、祐二、風邪ひくよ。いくらなんでも人間の姿で裸では寒いって。ここはまだ雪があるし、祐二用の服、ないんだからね」

「俺達、平気だろう? 普段、ねぐらの中では服なんか着ていないんだし、寒さも暑さもほどほどに強いじゃないか。ザックは俺が持ってやる。今度はおまえが入れよ」

「あたし、歩く。ザックの中、狭いもんね」

「それなら一緒に走ろう。俺たちの家までもう少しだ」

「本当に寒くない?」

 祐二は裸の体に、空のザックを背負った。

「俺は生まれた時から人間じゃないからな。おまえより丈夫にできているらしい」

 祐二は、後ろの人里の方をじっと見て、ナメ子の車が来ていないか確かめた。

「よし、逃げきった。あばよ、ナメ子夫婦! さあ、行くぞ、恵美」

「ホントにすっごい変態夫婦だったね。ベーだ!」

 二人は後ろの暗闇に向かってアッカンベーをすると、手をつないで笑いながら山道をかけ登って行った。



 その頃、ナメ子夫婦は――

「あなた、残念ね……ユウちゃんやっぱり死んじゃったのね……」

 自宅の大きなリビングのソファに腰掛けて、ナメ子はうつむいた。向い側に座っている社長は、うーん、と声をのばした。

「元気そうだったから、大丈夫かと思ったが、やはり怪我をしていたか。矢内さんは、蛇が死んだからやめると、はっきり電話で言ったそうだ。電話があったのは、おまえは帰った後だったし、私は、ちょうど他から電話が入っていて出ることができなかった。急死したなら、やはり、夕べのことが原因だろう。人間でも時間が経ってから後遺症が出るということもあるからな。セーラ、そう気にする必要などない。死んだのが白蛇でなくてよかった。白蛇の飼い主は異常なやつらしいから、シロの方を殺していたら、私たちは怒り狂った凶暴男に殺されていたかもしれない。ユウちゃんが手に入らなくて非常に残念だが、毎日、その凶悪なやつに嫌がらせされても困る。そう思えば、これは幸運だった」

 夫の言葉に、ナメ子は、パッと顔を輝かせた。

「そう……そうね! 私たちは幸運! でも本当に、スネークショーやめちゃうのかしら。やめると言ったということは、シロちゃんも来ないってことでしょう? 楽しみにしていたのにぃ」

「ああ、たぶんもうやらないだろう。かめを捨ててくれと言ったらしいからな。ユウちゃんが死んだぐらいで、やめるとはどういうことかわからないが、明日から矢内さんが来ないなら、これでシロの人とは連絡がつかなくなる」

「シロちゃん、本当にきれいな子だったのよ。もう会えないなら、触っておけばよかったわ」

「がっかりするな。探す手はいくらでもある。興信所を使って『森神祐太』を探させるようにしよう。歩いて行ける範囲に住んでいる、白い巨大蛇を飼っている凶暴男なら、すぐに見つかるだろう」

 社長は、絶対に見つかると確信していた。その落ち着いた様子に、ナメ子は笑顔になって、愛用のハンドバックから何かを取り出した。

「そうだ、あなた、見てよ。ユウちゃんの遺品を入手したの」

「遺品?」

「これよ」

 ナメ子が持ってきた透明なビニール袋には、祐二の買ったばかりのトランクスが入っていた。トランクスは隠されるように他の服で包まれていた為、全く卵がついていなかったので、ナメ子がそれだけを持ち帰ったのだ。

「何だ?」

「矢内さんが捨ててくれって、私に託した荷物の中に入っていたの。これ以外にも、はきふるしてゴム伸び破れパンツもあったけどね、あんまりひどいからそれは捨てたわ。あんなに痛むまで使うなんて、矢内さんってすごい人だったのねぇ。パンツ以外にも服があったけど、他は汚れていたから、園のごみとして出しておいた。それでね、これなのよぉ、矢内さんがユウちゃんにはかせていたのは。この唐草模様のトランクス、ちょっと趣味が悪いけど、まだきれいだから、あなた、はいてみて」

「ユウちゃんがはいていたのか! それなら私も」


 ――数分後。夫婦の寝室。

「どうだ、似合うか?」

 下着一枚になった社長。うれしげに腰をくねらせている。身につけているのは、緑の生地に白い唐草模様が全体に巻いているトランクスだけ。

「あなた! ピッタリじゃないの」

 ナメ子はうっとりとその雄姿を眺めた。似合いすぎている。社長は、自分でもそう思ったらしく、大きい鏡の前に立ち、満足そうに、両手を腰に当てて胸をはった。

「うむ。これをはくたびに、夕べのユウちゃんを思い出せそうだ。ユウちゃんのあの体の太さ……適度なざらつき……ひんやりとしたあの感触。おお、この下着からあの喜びがあふれてくる。ありがとう、セーラ。最高のプレゼントだ」

「あなた、なんて似合うのかしら。気絶しそうなほど、すてきよぉ。んん〜愛してるぅ」

 社長とナメ子は、ひしっ、と抱き合い、音のする口づけをかわした。



 恵美と祐二は無事に帰還し、洞窟内で蛇姿になりくつろいでいた。

「ヘックション!」

「ほら、祐二ったら、調子に乗って裸で走り歩くから風邪ひいたね。だから、人間の裸は寒いって言ったでしょう」

「いや、風邪なんかじゃないって。なんだか俺のうわさをされていたような気がしてさ、背筋がゾクっと……」

「はいはい、寒いから温めてくれってことね? 今回は祐二にさんざん迷惑かけたから、少しぐらい言うことをきくわよ」

 恵美は、祐二の体に、キュッと巻きついた。

「……おまえ、やっぱり『発情期』だろう。卵を産みたくなったんじゃないのか?」

「なっ! そんなこと言うなら、こうしてやるわよ」

 笑っている祐二に、恵美は、巻いている体の締め付けを強くした。

「こら、よせって。苦しいじゃないか」

「祐二、大好き! 本当に、ありがと」

 



 恵美と祐二、ナメ子と社長。二組の夫婦は、その後、どちらのカップルも破局することなく、末長く幸せに暮らした……らしい。

 めでたし、めでたし……?



 (おしまい)






〜〜〜

 お読みいただき、ありがとうございました。楽しんでいただけたら幸いです。

         二〇〇八年 十月    菜宮 雪


 ※引用 「明日があるさ」 作詞 青島幸男 作曲 中村八大

 私の頭の中ではウルフルズバージョンが回っております


2009年6月より本作の続編の連載を開始し、そちらも完結済みです。もしよろしければ、続けてご覧ください。

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