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「いいなぁ〜、ずるいなぁ」
隣を歩くナタリーが小さく愚痴る。
「えー? そんなに?」
「だって、ミリィの手作りなんでしょ? 私も食べたい食べたい、食べた――い!」
大事そうに袋を抱えて歩くナタリー。私が持っていると誰かに奪われそうなので、Aクラスに着くまで預かってもらっているのだ。
「ふふ。イリオス様といい、ナタリーといい。そんなにクッキーが食べたいだなんて」
「え? ヴァンガード伯爵令息がどうしたの?」
ナタリーが驚きの声をあげた。
「朝ね、こっそり毒味してもらったの。その時に、次はイリオス様の分も作るとお約束したら、嬉しそうにしてたから」
「え! あの堅物令息が!? あの人、いつも能面ヅラしかしてないから、感情ないのかと思ってたよ!」
「ちょっー! ナタリー、声大きいって」
私は慌てて、しーっと指を口に立てて注意した。
「ごめんごめん。そっかぁ。あのヴァンガード伯爵令息がねぇ」
「うん、そうなの。だから、もしまた何か作ることがあったら、ナタリーの分も少しだけ作ろうか?」
「本当!? わーい、ラッキー! 絶対だよ、約束だからね!」
そんなやり取りをしている内に、Aクラスの前に到着してしまった。ナタリーがそっと袋を私に渡してくれる。
「高位貴族ばかりのクラスだけど、半数以上がお嬢様の味方だよ。一番お近くのご学友も、お嬢様の事情は何となく察していると思う」
「えっ? そうなの?」
こそっと意味深なことを囁いてくるナタリー。
「そう、だから安心して。ミリィたちのやり取りを悪く思ってる人たちは、たぶん多くないと思うから」
「え? ちょっ、それってどう言う意味――」
「ほれ、行ってこい! 頑張ってねー!」
ドンっと背中を叩かれ、私はAクラスの中に押し出された。慌てて両足で踏ん張って見上げると、シンッ…と教室内は静まり返り誰もが私を注目していた。
「う…わ…」
小さく声が漏れる。心の準備なしに投入は少し辛い。
でも、確かに静かな注目は浴びているけれど、よく絡んでくる三人組のような、どこか冷たく蔑むような温度は感じない。これから何が始まるのか。それを静かに待っているような、そんな雰囲気を感じた。
「よ…よし。えー、あー」
お腹にふんっと力を入れて。
「あー♡ リュシアン様、いたいたー♡」
ぶふっ、と教室のどこかから吹き出す音が聞こえたが、気にせず殿下の元にるんるん歩き出す。
「お、おお! ミリィじゃないか! あ、相変わらず、今日も可愛いな!」
すかさず殿下が反応してくれた。その前にイリオス様がそっと殿下の耳元に手と顔を近づけていたのは、もちろん見ていない振りである。
「えへへ、リュシアン様♡ 今日はね、リュシアン様のために、クッキー焼いてきたの♡」
「おお! それは嬉しいな! ぜひ、さっそく頂こうではないか!」
嬉しそうに手を差し出してくる殿下。これは完全に素だな。
胸に抱いてたクッキー入りの袋を差し出すと、殿下はすぐに一枚取り出して口に入れた。
「おお! これは美味い! 美味いぞ!」
袋から次々とクッキーを取り出し、口に放り込んでいく殿下。その勢いに、つい呆気に取られてしまった。
「わ、わぁい♡ こんなに喜んでくれるなんて、嬉しいな♡ 頑張って作った甲斐がありました♡」
「うむ、美味い、美味いぞ。美味い!」
おいおい、この王太子。さっきから美味いしか言わないぞ。
(殿下)
すかさず、イリオス様のフォローが入った。
(何だ、イリオス。私は食べるのに忙しい)
(そろそろ『美味い』以外の褒め言葉を、どうか)
いつものやり取りが始まってしまったが、とりあえず私は気にせず、にこにこ笑うことにした。幸い、クラスの生徒も少し離れたところにいるので、囁き声は聞こえなさそうだ。
(おお、そうか。何と言ったらいい)
(『ミリィはお菓子作りが上手なんだな。こんなに美味しいなら、毎日でも食べたいくらいだ』はいかがでしょう)
「ミリィはお菓子作りが上手なんだな! こんなに美味しいなら、毎日でも食べたいくらいだ!」
リュシアン殿下は私の方を見てニカッと笑い、イリオス様に耳打ちされた言葉を、一言一句そのまま口にした。やはり予想通りだ。
いかん……笑うな私。笑ってはいけない。
「え、えへへ♡ そんなに喜んでもらえるなら、また作ってきますね♡」
背中で手を組んで『てへぺろ』しながら、私も返事をした。
よし、これで今日の作戦は終了かな。
そっと肩を撫で下ろすと、そこに、サッと一人の影が入ってきた。
「あら。美味しそうなお菓子ですわね、リュシアン様」
オーレリア様だった。
え? なぜオーレリア様が入ってくるの? 先程まで、ぷるぷる震えながらこちらを見ていたはずなのに?
「ぜひ、わたくしも一つ食べてみたいですわ」
オーレリア様は扇で半分顔を隠しながら、リュシアン殿下の手に持つクッキーを指でつまみ取って、何とそのまま食べてしまったのだ!
わ、わーお! これは一体、どう反応すればいいのかしら!?
突然のことに、私も殿下も、イリオス様さえも驚いて固まってしまった。
「あら、美味しいですわね」
思わず溢れたというような声。さく、さくさく。軽快な音を立てながら食べ終わったオーレリア様は、なぜか私を見た。少し拗ねたような色を瞳に浮かべて。
え? なぜ、そんな目線?
「こんなに美味しいお菓子を食べられるなんて……リュシアン様は羨ましいですわね」
そっと歩き出すオーレリア様。
ぽかーんと見送る私の横を通り過ぎる時。
(今度はわたくしの分も作ってちょうだいね)
こそっと私の耳元で囁いていった。
ちょっ、オーレリア様!? 今、イリオス様がぴくっと反応しましたよ!?
私がリュシアン殿下とオーレリア様の二重契約になっていることは、殿下たちは知らない。親密な様子は見せてはいけないはずなのに。内心びくびくしながらリュシアン殿下を見ると。
「お、おおお…オーレリアが……私の食べかけの……クッキーを………」
あ、赤面して固まっている。さりげなくイリオス様が移動して壁になっているので、赤面殿下が見える人はあまりいないのが救いだった。
(殿下、殿下。しっかりしてください)
どうやら、オーレリア様の囁きは上手く誤魔化せたようだ。私は何事もなかったかのように振る舞いながら、殿下に声をかけた。それに、私もそろそろ、自分のクラスに戻らないといけない。
「じゃあ、殿下♡ 私もそろそろ自分の教室に戻りますね♡」
「あ。そ、そうだったな。ありがとう、ミリィ。また昼休みに会おうぞ」
「はーい♡」
入ってきた時と同じルンルン姿でAクラスを退出する。その時、後ろで殿下とイリオス様の声が聞こえた。
「しかし……最後の一枚だったのに」
「またミリアーナ嬢に作ってもらいましょう」
残念そうな殿下の声。
もしかして――オーレリア様は、私のクッキーを味見したくて、最後の一枚を殿下から奪い取った……とか?
まさかね。そう思いながら、Aクラスの扉の枠に手をかけた時。
「そういえば、ミリアーナ嬢」
イリオス様から声がかかった。
「は、はぁい、イリオス様♡ 何ですか?♡」
振り向くと、イリオス様はいつもの無表情でこちらを見ている。
「――後で確認したいことがあります。放課後にお時間頂きたいのですが」
さ――っと、私の顔から一気に血の気が引いた。
「……はぁい、分かりました♡ また放課後に……」
ぺこりと頭を下げて廊下に出る。少しだけ静かに歩いてAクラスから離れた後。私は、心の動揺を発散するかのように、ダッシュで自分のクラスへと戻っていった。
そのため―――
その時、Aクラスの外から一部始終を見ていた生徒たちが、どう受け取っていたのか。私には知りようもなかったのだった。
「ヴィオレット様――」
銀髪の長い髪を煌めかせた女子生徒が、赤髪の女子生徒に囁いた。
「ええ、見ましたわ。オーレリア様、なんてお労しい。あんな田舎娘の菓子で、殿下の心を奪われるなんて」
「すれ違い様に囁かれていましたね。きっと、『後で覚えていなさい』とおっしゃられたのではないかと」
「ええ。伏し目がちで離れられて。きっと、心の中で泣いていらっしゃるのね。お可哀想に」
赤髪の彼女は、手に持つ扇をぎりっと力強く握りしめた。
「ミリアーナ・グリーンウッド」
Dクラスに向けて走る私の背中を、彼女は強く睨みつけて言った。
「オーレリア様の悲しみは、わたくしが必ず晴らして見せますわ……!」




