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夕刻。
寮に戻った私は、リュシアン王太子殿下とオーレリア様から頂いた前金を実家に送金した後、父に手紙を書いた。「良いバイトが決まったから、しばらく仕送りをするので、領地経営や屋敷の修繕に回してほしい。くれぐれも、変な投資や寄付には手を出さないように」と念を押して。
オーレリア様は領地の状況について、昨年の暴風雨と土砂崩れの話をしていたけれど、実は優柔不断で騙されやすい男爵の父は、困っている人がいたら惜しみなくお金を渡してしまう。おかげで、母や三歳下の弟も内職をし、屋敷の使用人も最低限の通いのみ。自分たちのことは自分たちでやる生活だった。
屋敷も先祖代々使っているもので、よく言えば歴史の趣があり、普通にいえばオンボロ屋敷。門は閉まらず、屋根は雨漏り、ドアの建て付けも悪い。男爵という爵位はあっても、王都の平民が食べるご飯や寮の食事の方が、まだ豪華かもしれない。
領地の立て直し、屋敷の修繕、弟の学費準備。私の嫁入りの持参金は――まだ婚約者もいないし、後回しでいいか。とにかく、どんな形でも、今はお金が必要だ。そう思えば、学園内での私の評判は落ちたとしても、リュシアン殿下やオーレリア様の依頼は、今の私にとっては悪くはない――ううん、かなりの良い稼ぎ先となっていた。
「しかし……『恋人役』かぁ」
諸々の用を済ませて布団に入りながら、小さく呟く。明日からどうなるのか。もう前金はしっかり受け取ったので、後は覚悟してお役目を務めるしかない。
とりあえず、お偉いさんたちの言う通りに従おう。面倒なことは全部後回しにして、私は布団をかぶって目を閉じた。
*****
そして翌日。
朝から王太子の『恋人役』はどうするのかと、ドキドキしながら学園に向かったのだけど――
一限目、何もなし。
二限目、何もなし。
そういえば、殿下と私はクラスが違った。殿下やイリオス様、オーレリア様は、高位貴族や成績の高い人が集まるAクラス。私は低位貴族や平民が集まるDクラス。そもそも、殿下との接点なんて何もなかったなぁと、今更ながら気付く。
そうして、何もないまま時間が過ぎ――
カァ、カァ、カァ……
「……………………」
一日の授業が終わって皆が帰宅する頃になり、私はイリオス様に昨日のサロンに連れられていった。目の前には、昨日と同じく、足と腕を組みながら偉そうにふんぞり返るリュシアン殿下。
一応、「家格の低い者から話しかけてはいけない」という有り難い逃げ道を理由に、殿下から言葉があるのを待っているけれど、一向に何も話してくれない。イリオス様も、もちろん沈黙してる。そろそろ、この空気が辛くなってきたのだけれど。
「…………なぜ」
殿下がようやく、重々しく口を開いた。
「なぜ貴様は、今日一日、何もしなかった?」
「…………はい?」
「私のクラスにも来なかったし、話しかけもしなかった」
「いや……あの、その………」
え? この方は一体、何を言っているんだ?
「そもそもだが、『恋人役』とは、一体何をするんだ?」
「はい―――!?」
思わずガタンっとソファから立ち上がる。
「え? ちょっ? そういうのを何も考えずに、私に『恋人役』をしろ、とおっしゃってたんですか!?」
「そうだ」
殿下は、「何が悪いんだ?」とでもいうような顔をしている。
「それに、私だって、今日は殿下からどのような接し方をすればいいのか、ずっと指示を待ってたんですよ?」
「なぜだ?」
「貴方が依頼主でしょうが!」
何も考えないで依頼してたなんて、信じられない!
呆れるのを通り越して、もはや怒りすら湧いてきた。
「だが、私は『恋人役』が何をするのか知らんぞ?」
「殿下がランツベルグ公爵令嬢と恋人同士になったらやりたいことを、私にしたらいいんですよ!」
「なっ!? お、オーレリアと恋人同士だなんて……そ、そそ、そんな」
「何でそこで真っ赤になるんですか! お二人は恋人を通り越して、すでに婚約者同士でしょう!」
「殿下はランツベルグ公爵令嬢のことを考えると、顔が茹で蛸になられて思考停止します」
「おい! 余計なツッコミはやめろ!」
殿下とイリオス様のボケツッコミに、何だか怒りがどこかに消えてしまった。大きく息を吐いて、私はソファに腰をかける。
「そういうわけですので。申し訳ありませんが、グリーンウッド嬢には、『恋人役』の指導も一緒にお願い致します」
まだ続いている殿下の抗議を完全に無視して、イリオス様が新たに私に契約内容を追加してきた。確かに、この殿下のポンコツ度を思えば、私が考えざるを得ないかもしれない。
「……それはもちろん、報酬に上乗せされるのですよね?」
「………全てが無事にうまくいった場合にのみ、成功報酬への追加として上乗せは検討しましょう」
イリオス様は「検討する」と言う良い塩梅で収めてくる。なかなかの交渉人だ。
「――分かりました。頂けるものを頂けるのであれば、私もその内容に応じて努力しましょう」
これで追加契約が成立した。資金難の領地のためなら、私も汗水流しましょう。
まだ憮然とした顔をしている殿下に、明日の朝の行動の指示を出して、今日のこの場は終わりにした。
そもそも私たちは、あまりの身分差に出会うきっかけすらないのだから、そこから始めないといけない。細かな演技指導はイリオス様にお願いして、私はサロンから退出したのだった。
*****
「――――と、いう感じの一日でした」
「…………ぷっ、ぷぷ………くっ……」
扇で顔を隠しながら、オーレリア様は馬車の座席に斜めに体を倒しながら、ぷるぷると震えていた。今の話のどこに笑いのツボがあったのか、私にはいまいち分からないけど、お気に召してくれたみたいで、ホッと肩の力を抜いた。
あの後私は、案の定アンナさんに連れられて公爵家の馬車に乗った。もちろん道中には人影が全くなかったので、殿下たちに見られる心配もなかった。アンナさんは、公爵家に代々仕える影の一族だそうだ。護衛も兼ねて同じクラスに通っているらしい。
そういえば、今日の授業が全て終わってからこの馬車に来るまでの時間、そこそこあると思うのだけれど。オーレリア様はその間、何をしているんだろう?
今度聞いてみようと思いながら、いつまでも震えている姿を見ていては話が終わらないと思い、私は口を開いた。
「……そういうわけですので、明日の朝、登校時に殿下との出会いの場を設ける予定です」
「………わ、分かったわ。確かに接点がまるで無いのに、突然『恋人関係』にはなり得ないものね。ええ、そうしてちょうだい」
オーレリア様は体を起こして、そう答えた。理解の早い相手だと本当に助かる。婚約者からの許可も得られたので、安心して、明日の計画を実行しよう。
「――ところで」
「はい?」
何か期待に満ちた目で見つめてくるオーレリア様。
「わたくしは、何かすることはありまして?」
「え――っと……それは、役割をお願いした方がいいのか、それともランツベルグ公爵令嬢が何かをやりたいのか――」
「オーレリアと呼んで。そうね、わたくしも何か役割が欲しいわね」
にこりと美しく微笑むオーレリア様。これは、依頼主からの要望だな。
ふむ……と少しだけ考えてから、オーレリア様に向き合った。
「明日の朝の出会い後からですが、私たちは基本的に、オーレリア様の目の前で恋人同士の演技をします」
人差し指を立てながら説明をしていく。
「ですので、オーレリア様には演技をしている私たちを見て――」
「ええ、嫉妬している姿を見せればいいのね」
「いいえ」
「え?」
私はオーレリア様の言葉を即座に否定した。
「もし、殿下の要望に応えて嫉妬心を見せたとしても、このままでは、殿下のポンコツ具合は直らないでしょう」
ただの欲求を満たすだけの行為になってしまうからだ。
「殿下にはオーレリア様に、しっかりとご自分の想いを伝えるために、一皮剥けてもらわなければなりません」
「なるほど……確かにその通りね」
「ですので、私たちが演技をしても、ぜひ『無反応』でいて頂きたいのです」
「無反応、ですって?」
「はい」
私の考えとしてはこうだ。
オーレリア様の前で繰り返し恋人同士の演技をする。しかし、肝心のオーレリア様は反応せず嫉妬心のかけらも見せない。それを繰り返すことで、「この手法では駄目だ」と悟った殿下が決意して、オーレリア様にご自分の口から想いを伝えて頂く。
ここまで来てこそ、報酬を貰ってまで『仲を取り持つ』という役目を貰った私の責任も、果たせたことになるだろう。
「そう、無反応ね………分かったわ」
少しつまらなさそうにしながらも、オーレリア様は私の計画を受け入れたようだった。
でも、確かに依頼主の満足度が足りないのは、少し申し訳ないかもしれない。
「そうですね。まぁ、強いて言うなら、私たちが通り過ぎた後に、少し悲しそうな雰囲気を見せて頂けたら、周りの方も私たちの『恋人関係』を演技と思わないかなと思います」
「そうね。あの殿下のことですもの。あまりの大根役者だとしても、わたくしが悲しむ素振りをすれば、『恋人関係は事実だった』という誤解も招きそうでいいわね」
自ら誤解を集める婚約者という姿もなかなかシュールな気もするけれど、とりあえず自分のやることが決まったことで、オーレリア様も満足されたようだった。
「今日はこの辺でよろしいですか?」
「ええ、良くてよ。明日からもこの調子でよろしくね」
「はい、精進します!」
両手をあげて、報酬の白銀貨一枚を受け取る。
この国の通貨は銅貨、銀貨、大銀貨、白銀貨、金貨の五種類。十枚ずつで単価が上がっていくが、王都の一般的な市民の月収は大銀貨十五枚から二十枚ほどだ。ちなみに、リュシアン殿下から頂く日当は大銀貨一枚。王族は公爵家よりは、少しケチだったらしい。
アンナさんの誘導で私は馬車から降りて、寮に向かって歩き始めた。
すーーっと息を吸って、思いっきり吐き出す。
よし、明日から頑張るぞ!




