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それから、さらに半月が経った。制服も夏服から長袖へと替わり、木々の葉も少しずつ色づき始めていた。学園祭の準備も進み、大きな荷物を抱えて行き交う生徒や、廊下を慌ただしく駆けていく生徒の姿も目立つようになった。
「だいぶ賑やかになってきたねー」
ナタリーが窓の外を眺めながら言った。外では大工道具を広げながら、男子生徒が看板を作っていた。作業中の男子生徒たちが、大声で笑い合う声が聞こえてくる。
私たちも、今はクラスで使った道具を学園の倉庫へ運んでいる最中だった。私のDクラスは、学園祭で喫茶を開くらしい。
今は『恋人役』のお役目に集中したいこともあり、私自身は最低限の手伝いだけに留めている。クラスメイトも事情を察しているのか、私があまり準備に関わらなくても、特に何も言ってくることはなかった。
「――これでよし、と」
抱えていた箱を倉庫の棚へ下ろす。思ったより重かった荷物に、小さく息をついた。
「じゃあミリィ、教室に戻ろう」
「うん」
ナタリーに声をかけられて、私は倉庫の扉を静かに閉めた。教室ではまだ学園祭の準備が続いているので、私たちは少し足早に廊下を歩く。
「――あっ!」
突然、ナタリーが声をあげた。
「どうしたの、ナタリー?」
「私、図書室で課題用の本を借りてくるの、忘れてた! ちょっと先いってて!」
「うん。また後でね」
廊下を駆けていくナタリーを見送り、私はひと足先に教室に向かう。最近は、ひそひそ話はされるものの、目立つ形での嫌がらせはめっきり減っていた。きっとオーレリア様の「羽虫処理」に、うすうす気付く生徒も多かったのかもしれない。
階段を上るため足をかけると、二階からオーレリア様が降りてきていた。そばにはシャンドール侯爵令嬢もいる。
私たちは実際は仲が良くても、表向きはまだ『恋敵』という立場を取っている。二階に上がる途中の踊り場付近、近くまで降りてきたオーレリア様にこっそり小さく会釈して、そのまま通り過ぎようとした時――
くしゃっ
「「――えっ?」」
ずるっと滑る足。ぐらりと後ろに傾く体。驚愕に目を見開くオーレリア様。
「「ミリアーナっ!!」」
オーレリア様の叫び声と共に、少し離れた場所からイリオス様の叫び声が聞こえた。
世界が、ゆっくりと流れていく。シャンドール侯爵令嬢に腕を掴まれたオーレリア様が、身を乗り出しながら手を差し伸べてくれていたが、体が宙へ投げ出されるような浮遊感に襲われた。
あ、これはまずい――
後に襲われるだろう衝撃に恐怖し、目を強く瞑って体を強張らせる。
――――っだん!
大きな足音と共に、力強い何かに勢いよく体を引き寄せられた。
衝撃は来なかった。ただ、耳元で荒い呼吸と、温かくも力強い何かが、体を包んでいる。
「……………?」
全身の強張りが少し解け、閉じていた片目を開けてみると。
「――っ!?」
私を抱き止めていたのは、イリオス様だった。顔を下に向けているので表情は分からなかったが、肩を大きく上下させて、荒い呼吸を整えていた。
え? ええっ!?
軽いパニックが私を襲う。体はまだ緊張で固まっていたが、かろうじて顔を動かして様子を見た。
階上に立つオーレリア様は、一見するといつも通り気高く佇んでいる。けれど、顔色は不自然なほど真っ青で、扇を握る指先だけが小さく震えていた。
これはまずい、もしかして誤解されてるかも!?
私はオーレリア様を見て顔を横に振ると、階段途中で落ちてる潰れた紙に向けて、顎を数回くいくいっと動かした。犯人はあれだ。きっと私の足形もついているに違いない。
それを見て、オーレリア様の強張った肩から力が抜ける。けれど、次の瞬間には、もういつも通りに背筋を伸ばそうとしていた。
「おい、女子生徒が階段から落ちたみたい」
「あそこにランツベルグ公爵令嬢がいらっしゃるわ」
「あのお方が? まさか――」
辺りがザワザワと騒がしくなってきた。目撃者は少なかったが、叫び声を聞きつけた人が集まってきたのかもしれない。
私はオーレリア様の背後に立つシャンドール侯爵令嬢へ視線を向ける。目が合った。私は「大丈夫だから」と伝えるように何回か頷いた後、早くこの場から去るように、手を横に振る。シャンドール侯爵令嬢は意図を受け取ってくれたようで、一度だけ大きく頷いた後、オーレリア様を連れてこの場から去っていった。
オーレリア様とのやりとりは、ほんの僅かな数秒での出来事だったが、衝撃からか、やけに長い時間に感じた。だから、ずっと黙ったままのイリオス様に、ふとした不安を感じてしまう。
もしかして、私を抱き留める際に、怪我をしてしまったかもしれない。
「……あ、あの。イリオス様? もしかして、お怪我を――?」
「――他人のことを心配している場合か、君はっ!」
顔を上げたイリオス様は、苦しげに眉根を寄せながら叫んだ。いつになく大きな声に、びくっと驚く私に、イリオス様はハッとして小さく「す、すまない」と謝罪する。
「……打ちどころが悪ければ、死ぬところだった。頼むから、もう少し自分を大切にしてくれ」
イリオス様は静かに長い息を吐いた。確かにそうだ。もしイリオス様が間に合わなければ、今頃私は大怪我をしていたかもしれない。自分の身に起きたことを改めて思い出し、体がぶるっと震えた。
「――そうだ、怪我はないか? どこか痛むところは……いや、まずは先に医務室に向かおう」
そう言うとイリオス様は、私を抱き抱えたまま立ち上がった。いわゆる、『お姫様抱っこ』というものだ。
リュシアン殿下との『恋人ごっこ』の最中さえできなかったことを、すんなりとイリオス様にされ、羞恥心で顔がかぁっと赤くなる。
「わっ。い、イリオス様!? 私、どこも怪我してな――」
「まだ興奮状態で気づいていない可能性もある。医師にきちんと確認してもらうべきだ」
イリオス様は私の言葉を遮って、そのまま歩き出す。廊下にいる生徒たちも、王太子の最側近にお姫様だっこされている私に驚いて、立ち止まってこちらを見ている。
は、恥ずかしい――っ。
顔がかぁっと赤くなりつつ、なぜイリオス様が近くにいたのか、ふと疑問が湧いて聞いてみる。
「そういえば、イリオス様はなぜ、あの場に?」
「あ、ああ……」
思い出すかのように視線を動かすイリオス様。
「殿下に注文を頼まれていた新刊を受け取りに、図書室に行っていたんだ。生憎、一日違いだったようで、まだ届いていなかったが――」
「あ、そうだったんですね……」
新刊……リュシアン殿下は、まだ恋愛小説で勉強を続けているのか。
医務室に着いた。扉を開けると、医師は不在で、誰もいなかった。イリオス様はそのまま中に入り、ベッドのカーテンを開くと、そのまま私をベッドに座らせてくれた。
「――本当に、痛むところはないのか? ミリアーナ嬢」
イリオス様は、ベッドに座る私に、頭から足の先まで視線を動かした。特に痛むところはなかったので、安心してもらう意味でも、軽いガッツポーズを取る私。
「はい。イリオス様のお陰で、こうして怪我もなく元気でいます。助けてくださり、本当にありがとうございました、イリオス様」
にこりと微笑むと、イリオス様はようやくホッとされたようで、息を吐きながら目を柔らかく細めた。
「君が無事で、本当に良かった。ただ、やはり医師に確認してもらうまでは、あまり動かない方がいい。俺が探してくるから、君はここで待っていてくれ」
「はい、分かりました」
イリオス様は私に背を向けて、医務室の入り口に向かう。そして、扉を開けて退出しようとした時、立ち止まってこちらを向く。何か伝え忘れでもあったのかと思い、頭を傾げると――
「もしあの時、君を失っていたかもしれないと思うと――」
「――え?」
小さくぼそっと漏れる声は、廊下の喧騒に紛れて聞こえない。
「いや、何でもない。気にしないでくれ」
医務室の扉が閉まる。私一人になった室内は外のざわめきから閉ざされ、ただ静寂だけが広がっていた。




