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夏季休暇が終わって半月が経った。
まだ日中は汗ばむ陽気が続いているものの、朝晩は幾分か涼しさが増し、吹き抜ける風にはほんの少しだけ秋の気配が混じり始めていた。休暇気分の抜けきらなかった生徒たちも、ようやく学園生活のリズムを取り戻しつつあった。
私は、休暇前と変わらず、学園にいる時は基本的にナタリーと共に行動した。嫌がらせも再び起きるかと思っていたが、それほどではなく、以前よりは比較的穏やかな生活を送れていた。
「――そういえばさ、ナタリー」
廊下を歩きながら、隣を歩くナタリーに声をかける。
「ん? なぁに、ミリィ?」
「最近、あの三人組をあまり見かけないような気がするんだけど――」
三人組とは、もちろんハーゲン伯爵令嬢をはじめ、私を率先していじめてきた人たちだ。クラスは違うとは言え、Bクラスの彼女たちは廊下を歩けばそこそこ見かけたはずだったのだが。
「ああ、彼女たちね」
ナタリーは世間話でもするかのように口を開く。
「夏季休暇中に、急に嫁ぎ先が決まったみたいでね。学園を辞めたそうだよ」
「えっ!? そうなの!?」
「うん。後は、足癖の悪かったあの人も、実家の家業が大変みたいで、手伝いのために領地に戻ったみたいだけどねー」
「へ、へぇー。そうなんだ」
まるで興味が削がれたかのようなナタリーの様子に、私は密かに冷や汗をかいた。
思い出されるのは、オーレリア様の「羽虫の処理」……
こ、怖いっ! 高位貴族って、本気で怖いわっ!!
高位貴族は絶対に敵に回さないぞと、心に決める。
窓から外の天気を確認していたナタリーは、青ざめた私の顔に気づくことはなかった。
*****
昼休み。
最近は数日に一度の頻度で、昼食は中庭で食べるようになった。今日のメニューはなんと、私の手作りサンドイッチである。
『恋人役』を続けるにあたって、ただ一緒に昼食を食べたりお菓子を作るだけでなく、一段階関係を深める様子を見せた方がいいのではないか、という話になった。
そこで、どんな方法がいいか話し合う中で、何気なく「お弁当作りましょうか?」と言うと、リュシアン殿下がものすごい勢いで食いついた。さすがに、お弁当を作って朝の内に毒見をしてもらうのは私も時間が厳しいため、昼食は三人分をまとめて作ることになり、まず先に毒見役としてイリオス様が食べ、安全そうならそのままリュシアン殿下も召し上がる形になった。
お昼ご飯の入った籠を中庭に持っていくと、すでに木陰の下に敷かれた敷物の上で、リュシアン殿下が寛がれていた。イリオス様はその側で立って待っている。
「リュシアン様ー、お待たせしました♡」
これ見よがしに少し大きめの声を出して手を振った後、殿下の近くに向かう。イリオス様にも軽く頭を下げてから、私も敷物に座らせてもらった。
「今日はサンドイッチを作ってきました」
人も雑音も多い中庭での会話は、そんなに周りには聞こえにくいだろうということで、食事の最中は普通に話すことにしている。たまに、殿下が大きな声で私を賛美したり、私もわざと甘え声を出したりして、仲の良さをアピールした。イリオス様はその間、もちろん無言だった。
私は敷物の上に籠を置くと、上にかけていた布をめくる。中には、香草の鶏肉とレタスや玉ねぎを挟んだものと、卵とレタスを挟んだものが入っている。
「おおー! 今日も美味そうだな!」
リュシアン殿下が嬉しそうな声を上げる。一瞬手を伸ばしそうになったが、ぐっと堪えて、殿下はイリオス様を見た。イリオス様も頷いた後、一種類ずつをお皿に取り出して、一口ずつ口に入れる。
「……お願いします」
私も神妙な声でイリオス様に言った。何も入れていないと自分でも分かってはいるけれど、この時間はやはり、なかなか慣れるものではなかった。
「――大丈夫です、殿下」
イリオス様とリュシアン殿下が視線を交わした後、殿下は破顔して鶏肉のサンドイッチを掴んだ。
「――っ! おおっ! 今日のはまた、一段と美味いな!!」
手に持ったサンドイッチをがつがつと勢いよく食べると、次は卵のサンドイッチを掴む。そちらも、口に含んでは満足そうに頷いている。
「ふふ、お口にあったようで良かったです」
豪快な食べっぷりに、思わず笑みが溢れる。
イリオス様も、先に食べたサンドイッチは既にお腹に入り、お代わりに新しいものを籠から取り出していた。
「――ああ。ミリアーナ嬢の作るサンドイッチは、本当に美味いな」
「ありがとうございます、イリオス様。リュシアン殿下も」
感想を述べてくれる二人にお礼を伝えたその時、少し離れたところに立つ男子生徒と目が合ってハッとする。彼の顔は、Aクラスでは見かけたことない。
(――殿下。例の一言を)
サッと殿下の体の陰に隠れるように身を潜めた後、小さな声で告げた。
(よし)
殿下は私を見て頷いた後、大きく口を開く。
「いやぁ! ミリィが作るサンドイッチは本当に美味いな こんな美味いご飯を食べられるなんて、私は幸せ者だ!!」
声を張り上げる殿下に合わせて、私も頬に手を当てる。
「やだぁ、リュシアン様ってば♡! ミリィ、とっても嬉しい〜♡!」
わざと大口を開けながらキャハハと笑っていると、男子生徒は視線を逸らして歩き始めた。未だに「ミリィは可愛い! ミリィは素晴らしい!」と言い続けている殿下に、そっと声をかける。
「殿下、もう大丈夫そうですよ」
「うむ、分かった。しかし、毎度のこととは言え、なかなか面倒だな」
「――それは仕方がありません。外は特に衆目が集まりやすいです。お二人には、十分気をつけて頂かなければ」
演技の間、気配を消して背後の風景と化していたイリオス様が、殿下を静かに窘めた。
「ふん、イリオスは生真面目だな」
指摘されて、不貞腐れながら新しいサンドイッチを手に取る殿下。そして、一口食べると、また嬉しそうに相好を崩した。
「いやしかし、グリーンウッドの作る飯は本当に美味いな。これを毎日食べられるというのは、お前の夫となる男は幸せ者だな」
「「――ぶっ!」」
リュシアン殿下の言葉に、私は思わずお茶を吹き出してしまった。横を見ると、なぜかイリオス様も同じように咳き込まれている。
「おや? どうしたのだ、お前たちは」
「だっ――そ、それは、殿下が急にっ!」
「急に一体、何ということをおっしゃるのですか!」
驚く殿下に対し、私とイリオス様が同時に叫ぶ。
「なぜ驚くのか。お前に婚約者がいても、何も不思議ではあるまい」
「――残念ながら! 私にはまだ、誰一人として釣り書きも頂いてませんし、婚約を申し出てくださる方も一人もいません!」
「そうなのか? お前は背も低いし顔もこれといった特徴はないが、良い貴族夫人になるとは思うのだがな」
「殿下、そのように容姿についておっしゃるのは、ミリアーナ嬢に失礼ですよ!」
そうだ、イリオス様の言う通りだ!
何の変哲もない顔だというのは、私だって少しは気にしているのだから!
ふんっと息を吐いて、私はイライラする気持ちを吐き出した。
「別にいいんですよ、私は。実家は貧乏男爵家ですし、今は特に殿下の『恋人役』をしています。こんな私に、釣り書きを送ってくれるような猛者はいませんよ」
そう言って腕を組むと、リュシアン殿下はみるみる元気をなくしてしまった。あ、しまった。正論言いすぎたかも?
「――そうだったな。すまない。お前に婚約の話が来ないのは、私のせいでもあったな」
「あ、あの……殿下、私なら大丈夫ですよ?」
「そうだな……なら、もしこの依頼後もお前に婚約の話が来ないようなら、私が良さそうな男を見繕って――」
「殿下」
イリオス様が唐突に、リュシアン殿下の言葉を遮った。
「貴族間の結婚に王族が関与するのは、いささか問題ではないでしょうか」
「いや、しかしな。確かに、グリーンウッドに婚約話が出ないのは、私の責任でもある訳で――」
「殿下がもしミリアーナ嬢の相手を選ばれたとしたら、それは事実上、王命に近い意味を持ってしまいます。そうなった場合、大きな負担を背負うのはミリアーナ嬢です」
イリオス様は、いつもよりも真剣な顔で殿下を諭される。確かに、リュシアン殿下が選ばれた相手がいれば、それを男爵家は断ることはできない。
「――そうだな。それもそうだ。グリーンウッド、今のは聞かなかったことにしろ」
その一言には、先ほどまでの軽い口調ではなく、王太子としての重みが宿っていた。思わず私も背筋を伸ばす。
「……はい。かしこまりました、殿下」
昼食の場に、しばし沈黙が落ちた。辺りを歩く生徒たちもまばらになり、私とイリオス様も昼食の後片付けを始める。
「……だが、しかしなぁ」
頭の後ろで腕を組みながら、リュシアン殿下が小さく息を吐いた。
「もしこの依頼が終わり、卒業の頃になってもなお、お前に婚約を申し出る者が現れなければ、さすがに私もお前の父君に申し訳が立たん。だから、その時は私からも一言、口添えくらいはさせてもらうかもしれん」
頭を左右に捻りながらうんうん唸る殿下は、先ほどの王族らしさは抜け、本気で私のことを心配しているように見えた。
「……ありがとうございます、殿下」
殿下の優しさに心が打たれる。恋愛ごとになるとポンコツになってしまっても、人を思いやる心は誰よりもまっすぐなのだと感じた。
昼食の片付けが終わり、私のDクラスは中庭から一番離れているので、お先に上がらせてもらった。
「――卒業まで、か……」
背を向けて走り出した私を見ながら、イリオス様は小さく呟いていたが、その声は私の耳には届かなかった。




