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学園に入ってから初めての夏季休暇は、あっという間に過ぎ去っていった。
私の実家、グリーンウッド男爵領は、王都より北方、馬車で七日ほどかかる距離にある。山や森に囲まれ、自然豊かといえば聞こえはいいが、要は特産品と呼べるものも目立った産業もない、なんの変哲もない土地だ。
まず、帰ってびっくりしたのは、あのオンボロ屋敷の修繕が思ったよりも進んでいなかったことだった。雨漏りや門の建て付けなど、最低限の箇所こそ直っていたものの、それ以上の余裕はなかったらしい。
理由はすぐに判明した。領地の山からお湯が湧き出たとかで、父がすっかり色めき立ち、新しい一大事業を立ち上げてしまっていたのだ。しかも、その計画と開発のために、私が稼いだ報酬のほとんどを既に注ぎ込んでしまっていた。
「これが成功すれば、我が領地もきっと発展する!」
力強くそう語る父の目は、なぜかキラキラと輝いていたが――私としては、安心して住める家と、満足のいく食事の方が、よほど重要なんだけどなぁ。父の話に、私ががっくりと肩を落としたのはいうまでもない。
おかげで、この夏季休暇中は家族の三食の用意、合間に領民たちへの挨拶や手伝い、母や弟と一緒に内職と、体をゆっくり休める暇もなかった。まぁ、それはそれで、我が家としては通常運転なので、それほど気にしてはいなかった。
だが、問題はお金の方だ。弟の学費のために貯めていたお金まで、全部使われてしまった。「事業が成功すればすぐに取り戻せる」と言っても、成功するかどうかの保証なんてどこにもない。父は頼りにならないから、私がどうにか頑張らなければ。
そう意気込んで、私は夏季休暇を終え、王都に戻ってきたのだった。
*****
「そうか。お前の父は変わりなかったか」
サロン室でそう答えるのは、リュシアン殿下。夏季休暇の様子を聞かれたのでお伝えしたのだが、あっさりした口調で言われた。
そして、殿下の目の前のテーブルには、相変わらず本が数冊積まれており、目線は本のページに向けられている。
「はい。まぁ、殿下のお耳に入れるほどの話でもないので、どうかお気になさらないでください」
「だが、湯が沸いたのだろう? 温泉宿でも作る予定か?」
「ああ――……まぁ。父はそのつもりのようですが」
私は視線を逸らしながら、頬をかいた。信頼できる職人たちは領地にいるのだが、何よりも資金が足りてない。
「温泉はいいぞ。疲れが取れるし、心も癒される。うまく行くようなら、私も一度、お前の領地を訪ねてみることにしよう」
ようやく顔を上げ、本をテーブルに置く殿下。
まじか? とんでもないことを言い出したぞ!
「ひ、ひぇっ! わ、分かりました。父にもそう申し付けておきます」
王族が訪ねるかもしれないなんて、建物の外観や周囲の施設にも力を入れないといけないんじゃ? 必要になる金額がさらに膨れ上がる予想に、私は内心、頭を抱えてしまった。
「――殿下。あまりミリアーナ嬢を揶揄わないでやってください」
お茶の準備を終えたイリオス様が、殿下と私の分をテーブルに並べてくれる。イリオス様は最初の交渉の時から、こうやって男爵令嬢の私にもお茶を用意してくれていた。
最近、イリオス様の背景を知った身としては、元公爵家の方にお茶の準備などさせてはいけないと思うのだが――実はイリオス様、お茶を淹れるのがとてもお上手だった。私はお菓子作りはできても、お茶を淹れるのが苦手なので、つい今もこうして甘えてしまっている。
「ありがとうございます。――あ、美味しい」
お礼を伝えてから一口飲むと、思わず声が溢れてしまった。私の感想に、イリオス様がクスリと笑った。
うーん。なんだか悔しい。アンナさんもお上手だから、今度こっそり美味しいお茶の淹れ方でも伝授してもらおう。密かに心に決める私。
「そういえば。殿下はこの休暇中、どのようにお過ごしになられたのですか?」
何となく気にかかり、リュシアン殿下に話を振ってみる。
「私か? そうだな。ほとんど、公務ばかりではあったが――」
記憶を探るように、殿下は顎に手を当てた。思い出したことがあったようで、ポンと手を叩いた。
「そうそう。そういえば、隣国で流行っているという劇を、オーレリアと共に観に行ったぞ」
「オーレリア様と観劇ですか?」
お、これは気になる話題だぞ。つい、身を乗り出して聞いてしまう。
「そうだ。王太子と平民が恋に落ちるという話でな、市井でも大人気だそうだ。私も、今は本を読んで学習している身。勉強の一環として行ってきたのだ」
「――ほ、ほう。王太子と平民が……ですか」
「ああ。いや、なかなか面白い脚本だった」
「……………………」
あなたも今、似たような脚本描いてますよね。喉元まで出かけた言葉は、紅茶と共に流し込む。
「しかし、オーレリアも大層喜んでいたな。ああいう恋愛ものの話が好きとは、オーレリアもなかなか可愛いところがあるものだ」
「「可愛い!?」」
殿下がさらりと流したその言葉に、私とイリオス様が反応して顔を見合わせる。
(い、今。殿下がオーレリア様のことを「可愛い」と言いましたよね)
(ああ。俺も確かにこの耳で聞いた)
満足そうにお茶を飲む殿下を他所に、イリオス様とひそひそ話を始める。
(これはもしや、練習の成果が出ているのではないでしょうか)
(確かに、殿下の口からこのように「可愛い」と賛美する声は、聞いた覚えがない)
(もしかして、これは結構イケてるんじゃ?)
(そうだな。だいぶ成長なされたようだ)
「そうだ、イリオス」
そんな私たちのやり取りを全く気にしていない様子で、殿下がイリオス様を呼ぶ。
「はい、殿下」
「この前、夏季休暇中のフェリシアが一時帰国していてな。お前に会いたがっていたぞ」
「フェリシア殿下が、ですか?」
イリオス様が驚く。フェリシア殿下とは、現在他国に留学中の、リュシアン殿下の二つ下の妹姫だ。
「ああ。フェリシアは小さい頃から、お前に惚れていたからな。留学先に戻る前に、良ければ一度、会ってやってほしい」
――え?
何だか、少しモヤっとした。あれ、何だろう?
「……まだ幼少の頃の話ですよ。もう、姫もお忘れでしょう」
「いや、あれはまだ四歳の頃だったが、意外と覚えていたぞ? お前に求婚したことを。もしかしたらその内、私とお前は義兄弟になるかもしれないな」
ハハハと軽やかに笑う殿下の声とは裏腹に、私の胸の奥がどんどん重くなる。殿下は楽しそうな雰囲気なのに笑顔を作れなくて、下を向きながら紅茶を一口飲んだ。
そんな私の様子を、イリオス様がちらっと見るが、下を向いていた私は気付かなかった。
「――ほら、殿下。そろそろ、迎えの馬車も到着する頃でしょう。王城に戻りますよ」
イリオス様がテーブルの茶器を片付け始めたので、私は慌てて自分のティーカップをお盆に乗せる。イリオス様はお盆をワゴンに乗せた後、入り口のドアを開けて、外に控えていた使用人に受け渡した。
「そうだな。全く、帰ったらまた大量の書類が待っているのか。ため息しか出んな」
リュシアン殿下は文字通り大きなため息をつかれると、ソファから立ち上がられたので、私も急いで立ち上がって礼を取った。殿下は軽く手を上げた後、そのままサロンの入り口に向かわれた。
あ、そういえば――!
「あ、あの! リュシアン殿下!」
私は慌てて、殿下を呼び止めた。大事な確認をするのを忘れていた。
「ん? 何だ、グリーンウッド」
「あの……殿下の『恋人役』は、明日からまた継続でよろしいのでしょうか?」
殿下は「何を今更」というように、目を軽く開く。
「ああ、もちろんだ。また明日からもよろしく頼むぞ」
ああ、良かった。長期休みを挟んだとは言え、雇用関係はまだ続くようだ。これなら、何とか実家への資金繰りもできそうだ。私は安堵から、自然と笑みがこぼれ落ちた。
「――ミリアーナ嬢」
殿下の後ろに控えていたイリオス様が、扉に手をかけながら声をかける。
「はい。何でしょう、イリオス様」
「まさかとは思うが……もしかして君は、殿下のことを――?」
「? リュシアン殿下が、どうかされましたか?」
「……いや。何でもない。また明日な」
立ち止まったイリオス様は、軽く頭を振った後、そのままサロンを退出された。
さて、明日からまた『恋人役』だ。どんな嫌がらせが待ち受けているか分からないが、父が始めてしまった温泉事業は、殿下が「訪ねに行く」と言われた以上、何としてでも成功させなければならない。
「よし! 明日からまた、頑張るぞ!」
私は両拳を握りしめ、気合いを入れるのであった。




