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どんっ、どん、どんどん、どんっ
「…………………………」
目の前で繰り広げられる光景に、私は思わず無言になってしまった。
まさか。
まさかこの国の一番の淑女と言われる筆頭公爵家のオーレリア様が、無言で壁を叩きながら激しく失笑をされるとは、夢にも思わなかった。
「あの――、えーっと……報告は、以上です」
一応、いつも通り私は、報告時の最後の締めの言葉を告げた。オーレリア様は私たちに背を向けたまま、震えながら数回頷きを返した。
「………彼女は、いつもあんな感じなのか?」
「いや……今日は、特に激しいと思います」
後ろから聞こえてくるイリオス様の言葉は、どこか呆れが滲んでいる。私は、頬から一筋の汗を垂らしつつ答えた。
今日の報告会はいつもの馬車ではなく、先程とは別のサロン。そしてなんと、イリオス様も一緒に来られたのだった。
リュシアン殿下とのやり取りを終えた後、イリオス様と一緒に校舎の出口に向かった。殿下は、本日はもう少し時間が取れるらしく、他に参考になる本はないか探すため、図書室に向かわれた。
何となく無言のまま、気まずい思いで歩いていると、私の目の前にアンナさんが現れた。そして、アンナさんがイリオス様の顔を一目見た時、イリオス様が「全てミリアーナ嬢に聞いた。私も打ち合わせに連れて行ってもらおう」と言ったのだ。アンナさんは少し躊躇いつつも、私の濡れ髪や運動着姿に気づくと、「付いてきなさい」と小さく呟き、このサロンへ案内してくれたのだ。
「オーレリア様、そろそろ……」
アンナさんがオーレリア様の耳元で告げると、オーレリア様も小さく「そ、そうね」と呟き、少し咳払いをして、私たちの元に戻ってきた。
「待たせてしまって悪かったわね、ミリアーナ」
「いえ……大丈夫です」
慣れていますので。それは、言わなかった。
「ところで……なぜここに、イリオス・ヴァンガード伯爵子息がいるのかしら?」
少しだけ乱れた前髪を整えながら、冷ややかにオーレリア様が問うと、すかさずアンナさんが答えた。
「グリーンウッド嬢へのいじめが加速してしまったようです。そのため、事情を把握していそうなヴァンガード伯爵令息をこの場にお連れしました」
「なるほど。犯人は把握されていて?」
今度はイリオス様が口を挟む。
「ハーゲン伯爵令嬢と、ブラッドリー子爵令嬢、アシュビー子爵令嬢です。先日から続く教科書破損、廊下での転倒事件も、彼女らが裏から手を引いていたようでした……全て、シャンドール侯爵令嬢の情報ではありますが」
「そう、彼女からなのね。……ミリアーナは、いつも何かされても、わたくしには何も言わないから……」
オーレリア様が寂しそうに呟かれたので、私はどきっと肩を揺らした。
「いやっ、その……だってこれは、私の問題ですから、自分で解決しないといけないかなって!」
焦る私に、オーレリア様はやれやれと言うように小さく息を吐く。
「何を言っているの。あなたはただ、殿下とわたくしからの依頼をこなしているだけでしょう。ならば、雇用主であるわたくしたちが責任を持つべきだわ」
「そうだぞ、ミリアーナ嬢。君はそろそろ、自分がただの巻き込まれで、被害者である自覚を持つべきだ」
イリオス様が私を見ながら、静かな声で話す。
「あら? 『被害者』という言葉には、少し語弊があるのではなくて?」
オーレリア様の言葉に、イリオス様の声が僅かに低くなった。
「どこに間違いが? 王族と高位貴族のお遊びに、下位貴族である彼女を付き合わせた自覚がないと?」
「その分、わたくしは彼女への報酬を上乗せしておりますわ。現に彼女のご実家も、だいぶ助かっているようだけど? あなた方のような、お粗末な金額ではなくてね」
「契約自体は、殿下もご依頼されたことですので、私には何も申し上げられません。ですが――九年間も婚約関係にあったのでしょう。優秀なあなたなら、早々に手綱をお持ちになるべきではなかったのですか?」
「あら、それはあなたの主人に言ってほしいわね」
イリオス様とオーレリア様の舌戦が繰り広げられる。笑顔を浮かべているはずなのに、互いを見る視線はどんどん鋭さを増していく。
そんな中ではあったが、私はどうしても気になることがあったので、アンナさんにこっそり耳打ちした。
「あの……アンナさん」
「はい、何でしょう」
「イリオス様、やけにオーレリア様に強気じゃないですか? オーレリア様の方が家格は上だと思うのですが」
すると、アンナさんは不思議そうに目を見開いた。
「おや、ご存知なかったですか? 今の家格は確かに伯爵家ですが、元はランツベルグ公爵家と並ぶ、二大公爵家の一つであるヴァルハイト公爵家の三男としてお生まれになった方ですよ」
「え、ええ!? そ、そうなんですか?」
「はい。幼少期の頃に、公爵家当主の弟君が継がれていた伯爵家へ養子に入られています」
なんか、殿下の側近に選ばれるくらい優秀な方だから、その実力からくる自信でオーレリア様にも辛辣な言葉を投げているのかと思いきや……まさか、そんな背景があったとは。
今更ながら、私を取り巻く人たちの家格の高さを改めて実感して、思わず驚きの声をあげてしまった。
そんな私の様子を見て、オーレリア様とイリオス様は、ふっと口元を緩ませた。
「ふふ、ミリアーナは相変わらずね」
「俺の元の出身は気にしなくていい。俺は、今の立場を気に入っているからな」
先程の張り詰めていた空気もほどけ、いつもの穏やかなサロンの雰囲気に戻った。
オーレリア様は気を取り直すように、私たちをソファへ促してくれた。オーレリア様の前に、私とイリオス様が座る形になった。あまりに自然に、イリオス様が私の隣に腰をかけたので、なぜか先程とは別の意味で緊張が押し寄せてきた。
私の動きがわずかにぎこちなくなったのに気付いたのか、オーレリア様はくすりと小さく微笑まれた。
「さて、少し話を変えましょうか。間も無く夏季休暇に入るでしょう? ミリアーナは、この期間は領地に戻るのかしら?」
パチンと手を軽く叩いた後、オーレリア様は私の方に向き合った。質問された私は、わずかに背を伸ばして姿勢を正す。
「は、はい。一応、当初の予定では領地に戻って父の手伝いをする予定でしたが――もし、こちらでお役目の方がありましたら、寮に残ろうと思っています」
「まぁ。あなたは本当に真面目ね。入学式以来、今日までなかなか気を抜けなかったでしょうに。夏季休暇期間くらい、実家でゆっくりなさいな」
「確かにそうですね。私の方でも、殿下にそれとなく伝えておきましょう」
イリオス様も、オーレリア様と同意見のようだ。
「はい、ありがとうございます。お言葉に甘えて、実家に戻ろうと思います」
良かった。報酬の仕送りをしていたとはいえ、領地や家族のことが少し気になっていたのは確かだった。
「ふふ、それに――」
オーレリア様が扇をパチンと開くと、口元をわずかに隠す。
「夏は羽虫の処理をするのに……ちょうど良い季節ですものね」
うっすらと細められた美しい碧眼に、イリオス様も口元に笑みを浮かべた。
羽虫? 何の話だろう?
「それは素晴らしい。我が主もお望みでしょう。何かお手伝いできることはありますか?」
「構わなくてよ。わたくしはわたくしの方法で、猫の快適な生活を守るだけですもの。あなた方は、ただ静観していなさい」
「かしこまりました、ランツベルグ公爵令嬢」
今度はお互いに視線を合わせながら、クスクスと笑うお二人。よく分からないけど、なんか先程よりも怖さが増している気がする。
その後、少しだけ退出していたアンナさんが戻ってきた。新しい制服と運動着、そして特別手当が入った小さな白い袋を一緒に私に渡してくれて、この場は解散となったのだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
イリオスの意外な過去や、オーレリアとの駆け引きなど、少しずつ登場人物たちの奥行きも見えてきたのではないでしょうか。物語はまだまだ続きます。少しでも楽しんで頂けましたら、評価やブックマークで応援して頂けると嬉しいです。




