第2話「絶望の領地と一筋の光」
翌朝、私は老執事のセバスに案内され、ヴェルモント領の現状を見て回ることにした。
屋敷から一歩外に出た瞬間から、その惨状は明らかだった。
かつては手入れの行き届いた庭園だった場所は雑草に覆われ、領地へと続く道は至る所がひび割れている。
馬車に揺られながら窓の外を眺めれば、広がるのはどこまでも荒れ果てた土地ばかり。
「これが……ヴェルモント領……」
私の呟きは、馬車の走行音に虚しくかき消された。
畑だったであろう場所は、固くひび割れた土が剥き出しになり、雑草すらまばらにしか生えていない。
痩せた土地、というレベルではない。
これはもはや、死んだ土地だ。
領地の中心にある村も酷い有様だった。
傾いた家々の隙間を乾いた風が吹き抜け、すれ違う村人たちの痩せこけた頬には生気がなく、その身を包む布は擦り切れている。
彼らは私たちの馬車を見ても、感情の抜け落ちた虚ろな目を向けるだけだった。
かつて領主一家が通れば、皆が道を開け、頭を垂れたものだが、今は侮蔑すら感じられない。
ただ、無関心。
それが一番、胸にこたえた。
「セバス、どうしてこんなことに……」
私の問いに、セバスは静かに首を横に振った。
「……旦那様は、王都での体面を保つことに必死で、領地の経営を顧みられませんでした。数年前からの不作続きで税収は落ち込み、それを補うためにさらに重税を課すという悪循環……領民たちの心は、とっくに離れております」
「父様……」
見栄とプライドのために、足元にある一番大切なものを切り捨ててきた結果がこれだ。
王都で華やかな生活を送っていた自分も、同罪ではないか。
唇を噛み締めると、鉄の味がした。
「お嬢様、お気を落とさずに。まずはご自身のことを……」
セバスは慰めてくれるが、そんな気休めは耳に入らなかった。
このままでは、ヴェルモント家は間違いなく破産する。
そうなれば、私たちは路頭に迷い、領民たちは見捨てられる。
『冗談じゃない……!』
ゲームのシナリオでは、断罪されたリリアナの行く末は描かれていなかった。
けれど、きっとこんな絶望的な状況に放り込まれ、プライドだけを支えに生き、惨めに死んでいったのだろう。
そんな結末、絶対に受け入れられない。
記憶が戻る前の「リリアナ」は、確かに傲慢でわがままな令嬢だった。
でも、この領地で生まれ育ったのだ。
この風景が、かつては豊かで美しかったことを、私も知っている。
馬車を降り、私は乾ききった畑の土を、一掴み手に取った。
サラサラと指の間からこぼれ落ちる、生命力の欠片もない砂のような土。
『でも……』
その時、私の脳裏に、前世の記憶が鮮やかに蘇った。
大学の研究室で、教授が熱弁していた言葉。
『どんな痩せた土地でも、土壌改良で再生は可能だ。必要なのは、知識と、時間と、そして何より根気だよ』
そうだ。
私は、ただの悪役令嬢じゃない。
農業を専門に学んだ、農学部の学生だったんだ。
この世界の農業技術は、驚くほど原始的だ。
天候と土地の地力に頼るばかりで、体系的な知識がない。
連作障害なんて概念も知らないだろうし、緑肥や堆肥の重要性も理解されていない。
この死んだような土。
でも、よく見れば、わずかに生き残っている草がある。
どんなに過酷な環境でも、生きようとする生命がある。
なら、まだ希望は捨てられない。
「……セバス。私、やるわ」
「お嬢様……?」
振り返った私の顔を見て、セバスは息を呑んだ。
きっと、今まで見せたことのない表情をしていたのだろう。
「私が、この領地を立て直す。この手で、この荒れ地を、豊かな農地に変えてみせる」
それは、絶望の淵から生まれた、確かな決意だった。
もう、誰かに与えられる幸せを待つのは終わりだ。
悪役令嬢としての運命も、没落貴族の現実も、全部まとめてひっくり返してやる。
私の武器は、前世の記憶――農業に関する膨大な知識。
そして、この世界ならではの力、「魔法」。
そうだ、この世界には魔法がある。
水や土に働きかける魔法を使えば、土壌改良も灌漑も、もっと効率的にできるはずだ。
乾いた土を握りしめる。
指先に、ほんのわずかだが、魔力が流れていくのを感じた。
私の魔力量は平凡だが、それでも無ではない。
『知識と、魔法。これを組み合わせれば……』
目の前に広がる絶望的な風景が、今はもう、無限の可能性を秘めたキャンバスに見えていた。
悪役令嬢リリアナ・ヴェルモントの人生は終わった。
今日この瞬間から、農業家リリアナ・ヴェルモントの人生が始まるのだ。
一筋の光が、厚い雲の隙間から差し込み、乾いた大地を照らした。
それはまるで、私の新たな門出を祝福しているかのようだった。




