第1話「最高の離婚と最低の幕開け」
登場人物紹介
◇リリアナ・ヴェルモント
本作の主人公。
公爵令嬢。
前世は日本の農学部学生だったが、事故死し、乙女ゲームの悪役令嬢に転生した。
破滅フラグを回避するため、自ら婚約破棄(離婚)を申し出る。
前世の知識と持ち前の行動力で、荒れた領地の農業改革に乗り出す。
現実主義者だが、情に厚い一面も。
◇カイル・マーチャント
隣国からやってきた腕利きの商人。
リリアナの作る規格外の農産物にいち早く目をつけ、ビジネスパートナーとなる。
飄々として掴みどころがないが、鋭い観察眼と商才を持つ。
その正体は、隣国フォレスティアの第二王子、カイル・レオン・フォレスティア。
◇エドワード・フォン・アルセリア
アルセリア王国の第一王子で、リリアナの元婚約者。
ゲームの攻略対象。
ヒロインのエリーに夢中で、リリアナとの婚約を疎ましく思っていた。
リリアナから離婚を切り出され、あっさり承諾するが、彼女の後の成功を知り、複雑な感情を抱く。
◇エリー・スタンリー
乙女ゲームのヒロイン。
男爵家の娘。
健気で可憐だが、強い承認欲求と嫉妬心を内に秘めている。
エドワード王子の寵愛を受けるが、自分を遥かに超える成功を収めたリリアナに対し、どす黒い感情を募らせていく。
◇ヴェルモント公爵夫妻
リリアナの両親。
父は病に倒れ、母は慣れない家事に奔走している。
領地の窮状を嘆いてはいるが、娘の突飛な行動を最終的には信じ、支える良き理解者。
「エドワード殿下、この婚約、白紙に戻していただきたく存じます」
磨き上げられた床に、私の凛とした声が響く。
目の前には、このアルセリア王国の第一王子にして私の婚約者であるエドワード・フォン・アルセリア殿下と、その隣でか弱げに寄り添う男爵令嬢、エリー・スタンリー嬢。
ああ、これだ。
これぞ乙女ゲーム『薔薇と剣の物語』のワンシーン。
本来なら、私がエリー様をいじめた罪で、殿下から婚約破棄を言い渡されるはずの場面。
けれど、そんな未来はごめんだ。
つい一週間前、高熱で倒れたのをきっかけに前世の記憶――日本の農学部で学んでいた22歳の女子大生だった記憶――を取り戻した私は、自分が悲惨な末路を辿る悪役令嬢リリアナ・ヴェルモントだと気づいてしまった。
断罪されて国外追放? 冗談じゃない。
それならこっちから願い下げだ。
「リリアナ、君は自分が何を言っているのか分かっているのか?」
エドワード殿下は驚きに目を見開いている。
まあ、そうだろう。
今まで彼に執着し、エリー様を目の敵にしてきた令嬢が、自ら身を引くと言い出したのだから。
「ええ、重々承知しております。殿下のお心は、すでにエリー様にあるのでしょう? ならば、私がおりてさしあげるのが道理というもの」
私は淑女の笑みを完璧に貼り付け、エリー様へと視線を移す。
ビクリと肩を揺らす彼女は、まさに庇護欲をそそる小動物。
ゲームのヒロインは伊達じゃない。
「そんな……リリアナ様、私が、エドワード様との仲を……」
「お気になさらないで。殿下、よろしいですわね?」
私はエリー様の言葉を遮り、エドワード殿下に最終確認を促す。
彼は一瞬戸惑った後、まるで厄介払いができるとでも言うように、ぱっと表情を明るくした。
「……ああ、わかった。君がそう言うのなら、ヴェルモント公爵家との婚約は、これをもって破棄とする」
「ありがとうございます。殿下とエリー様、末永くお幸せに」
私は優雅にカーテシーの姿勢をとると、一片の未練も見せずにその場を後にした。
扉が閉まる直前、重荷を下ろしたように息を吐くエドワード殿下と、目を見開いて立ち尽くすエリー様の姿が、妙に滑稽に思えた。
『よし、第一関門クリア!』
心の中でガッツポーズをする。
王宮の長い廊下を歩きながら、私はこれからの人生に胸を膨らませていた。
もう悪役令嬢リリアナとして振る舞う必要はない。
これからは自由だ。
そう、これからはスローライフよ!
実家のヴェルモント領は、王都からは離れているけれど、自然豊かな土地だと聞いている。
前世の知識を活かして、家庭菜園でもしながらのんびり暮らすんだ。
父様も母様も、きっと驚くけれど、分かってくれるはず。
◆ ◆ ◆
そんな甘い夢を描きながら、私はヴェルモント公爵家へと帰還した。
しかし、私を待ち受けていたのは、想像とはかけ離れた現実だった。
久しぶりに帰った我が家は、明らかに活気がなかった。
出迎えてくれた老執事のセバスも、心なしかやつれている。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「ええ、ただいま、セバス。父様と母様は?」
「旦那様は、お部屋で……奥様は、厨房にいらっしゃいます」
父が病で寝込んでいるとは聞いていたが、それだけではない何か重苦しい空気が、屋敷全体を覆っていた。
母のいる厨房へ向かうと、そこには信じられない光景が広がっていた。
かつては十数人の料理人が腕を振るっていたはずの広い厨房で、公爵夫人であるはずの私の母が、たった一人で、慣れない手つきでシチューの鍋をかき混ぜていたのだ。
「母様!? 何をしてらっしゃるのですか!」
「リリアナ……お帰りなさい」
母は疲れた顔で微笑んだ。
その笑顔が、私の胸を締め付ける。
「料理人たちはどうしたのです? 他の使用人たちは?」
「……みんな、辞めてしまったのよ。お給料を、もうずっと払えていなくて」
「え……?」
母の言葉に、私は絶句した。
ヴェルモント公爵家は、見栄っ張りで浪費家の父のせいで多額の借金を抱え、とっくの昔に没落していたのだ。
父の病気も、心労が原因らしい。
領地もまともに管理されておらず、作物は育たず、領民たちは疲弊し、税収も見込めない。
まさに、破産寸前。
スローライフ? とんでもない。
家庭菜園? そんな悠長なことは言っていられない。
私の新たな人生の幕開けは、想像を絶するほど最低なものだった。
婚約破棄という名の解放は、同時に、没落貴族という名の絶望の始まりでもあったのだ。




