番外編3「カイルの商人放浪記」
◇カイル・レオン・フォレスティア視点
「へい、らっしゃい! フォレスティア産の珍しい香辛料だよ! 料理の味が一段と引き立つこと間違いなし!」
活気あふれるアルセリア王国の市場で、カイル・マーチャントは威勢のいい声を張り上げていた。
その身なりは上質な旅装だが、態度はそこらの商人よりもよほど板についている。
「お兄さん、これ、少し負けてくれないかい?」
「おっと、おばちゃん、これでもギリギリの値段なんだ。だが、そっちのハーブも一緒に買ってくれるなら、少しサービスしようじゃないか」
軽妙なやり取りで、次々と商品を売りさばいていく。
フォレスティア王国第二王子、カイル・レオン・フォレスティアが、なぜこんなことをしているのか。
答えは単純だ。
「退屈だったから」である。
王宮での堅苦しい生活、政略結婚の話、兄である第一王子との比較。
全てが、カイルの自由な魂を縛り付けていた。
彼は、自分の力がどこまで通用するのか、王子という肩書きなしで試してみたかったのだ。
そうして彼は、身分を隠し、一人の商人として国を飛び出した。
商人としての生活は、刺激的で面白かった。
様々な国の人間と出会い、駆け引きをし、自分の才覚だけで富を築いていく。
それは、王子として生きるよりも遥かに実感のある、生きている証だった。
◆ ◆ ◆
そんなある日、彼は「ヴェルモント領の野菜がとんでもないことになっている」という噂を耳にする。
没落寸前だったはずの貧乏領地が、にわかに活気づいているというのだ。
商人の勘が、そこに何か面白い「儲け話」があると告げていた。
軽い気持ちで訪れたヴェルモント領で、彼は運命に出会う。
泥だらけの格好で、汗を流しながら、しかし誰よりも生き生きとした瞳で畑に立つ、一人の令嬢。
リリアナ・ヴェルモント。
彼女が作った野菜を口にした時の衝撃は、今でも忘れられない。
ただ美味しいだけではない。
そこには、作り手の確かな知識と、揺るぎない哲学、そして何より深い愛情が込められていた。
『こいつは、とんでもない逸材だ……!』
カイルは、一瞬で彼女に魅了された。
最初は、彼女の才能に対するビジネスとしての興味だった。
この才能を利用すれば、莫大な富を築ける。
そう考えた。
しかし、彼女と共に過ごすうちに、その感情はゆっくりと変化していった。
彼女は、ただ知識があるだけではなかった。
絶望的な状況でも決して諦めない強さ、領民を思う優しさ、そして時折見せる、年相応の可愛らしい一面。
その全てが、カイルの心を惹きつけてやまなかった。
いつしか彼は、金儲けのためではなく、ただ純粋に、彼女の夢を応援したいと思うようになっていた。
彼女が笑うと、自分も嬉しくなる。
彼女が悩んでいると、自分のことのように胸が痛む。
そんな感情は、生まれて初めてだった。
『ああ、俺は、この女に惚れたんだな』
そう自覚した時、カイルは長かった商人としての放浪生活に、終わりが来たことを悟った。
もう、あてのない旅をする必要はない。
自分の帰る場所は、彼女の隣なのだと。
だから、彼女の事業が危機に陥った時、彼は迷わず自分の正体を明かす覚悟を決めた。
王子という、かつては捨て去りたいと願った身分が、今、愛する人を守るための最大の武器になる。
運命とは、なんと皮肉で、そして面白いものだろうか。
商人カイル・マーチャントの冒険は、リリアナという最高の宝物を見つけたことで幕を閉じた。
しかしそれは、王子カイル・レオン・フォレスティアとしての、もっと大きな冒険の始まりでもあった。
彼は、隣に立つ愛しい女性の横顔を見つめる。
個人の幸せと、王子としての責任。
かつては両立できないと思っていた二つを、今、彼はこの腕の中に抱いている。
この幸せを守るためなら、国だって動かしてやる。
カイルは、新たな決意を胸に、悪戯っぽく微笑んだ。




