番外編1「農業学校の穏やかな日々」
「先生! 見てください! このジャガイモ、双子です!」
ヴェルモント農業技術学校の実習畑に、生徒のティムの快活な声が響く。
彼が掲げた手には、ひょうたんのような形をした、見事に大きなジャガイモが握られていた。
「まあ、本当ね。土の栄養がたっぷり行き渡った証拠よ」
王妃となってフォレスティアに渡ってからも、私は定期的にこうしてアルセリアの学校を訪れ、特別講義を受け持っていた。
王妃としての公務も大事だが、私にとってこの場所は、原点であり、何より心が安らぐ場所なのだ。
リリアナ先生がいると畑の作物が元気になる気がする、さすが豊穣の女神様だと、生徒たちから冗談が飛んでくる。
彼らのからかい混じりの言葉に、私は「もう、やめなさい」と笑って応じる。
彼らとのこんなやり取りが、たまらなく好きだった。
今日の授業は、新しい品種のトマトの糖度を上げるための、魔法を利用した土壌改良実験だ。
生徒たちはグループに分かれ、それぞれが仮説を立てて土に配合する有機物や魔力の量を調整している。
「こちらの班は、魚の骨を砕いたものを混ぜて、リン酸を強化する作戦ね。面白いわ」
「はい! 甘みだけじゃなく、旨味も増やせるんじゃないかと思って!」
活き活きと語る生徒たちの目は、知識欲と探究心に満ちて輝いている。
私が教えた基礎を元に、彼ら自身のアイデアで、新しい農業の可能性を切り開こうとしている。
土まみれになって笑い合う頼もしい姿を見つめていると、胸の奥に温かいものがじんわりと広がっていく。
◆ ◆ ◆
授業が終わり、生徒たちが片付けを始める頃、畑の入り口に長身の人影が見えた。
「おや、女神様は今日も大人気だな」
いつもの軽口と共に現れたのは、フォレスティアでの公務を抜け出して、私を迎えに来てくれたカイルだった。
彼は王子の身分を隠す気もないようで、生徒たちは畏敬と親しみを込めて「カイル様」「王子様先生」などと呼んでいる。
「カイル! また抜け出してきたの?」
「愛する妻を迎えに来る、優しい夫の鑑だろう?」
彼はそう言うと、私の頬についた土を、優しく指で拭ってくれた。
その自然な仕草に、生徒たちがひゅーひゅーと囃し立てる。
私は顔を赤くして、彼の腕を軽く叩いた。
「みんなの前でやめてって言ってるでしょ!」
「はは、すまんすまん。だが、今日の授業で試していた新しいトマト、一つ味見させてもらってもいいか?」
カイルはそう言うと、生徒たちが実験のために収穫していたトマトの一つを、ひょいとつまんで口に放り込んだ。
「ん……美味い! これは凄いな。フルーツのような甘みだ。王都のパティシエに教えたら、新しいデザートを考え出すぞ」
商人としての鋭い視点は、今も健在らしい。
彼の言葉に、トマトを育てたグループの生徒たちが、ぱっと顔を輝かせた。
自分の努力が認められる。
その喜びは、何物にも代えがたいものだ。
◆ ◆ ◆
その夜は、ヴェルモントの実家で過ごした。
両親とカイルと私の四人で囲む食卓は、いつも温かくて、穏やかな時間が流れる。
今日の食事にも、学校で収穫されたばかりの新鮮な野菜が、ふんだんに使われている。
「リリアナ、お前が作った学校は、本当にこの土地の宝になったな」
父が、心から嬉しそうに微笑んだ。
食事が終わった後、私はカイルと二人で、月明かりに照らされた庭を散歩した。
昼間の喧騒が嘘のように静かで、虫の声だけが響いている。
「疲れただろう?」
カイルが、私の肩をそっと抱き寄せる。
「ううん、全然。むしろ、エネルギーをもらったくらいよ。あの子たちの顔を見ていると、私ももっと頑張らなくちゃって思うの」
「そうか。だが、あまり無理はするなよ」
彼の腕の中で、私はこくんと頷いた。
悪役令嬢だった頃の孤独な夜が、遠い昔のことのように思える。
今はこんなにも温かい場所に、私の居場所がある。
平和な日常。
生徒たちとの交流。
カイルとの微笑ましい時間。
この何でもない一日一日が、私にとって、何よりも尊い宝物なのだ。
豊かな大地に根ざした、穏やかで、幸福な日々。
それこそが、私がこの手で掴み取った、最高の人生の果実だった。




