第10話「畑の上のプロポーズ」
エリー様の策略が暴かれ、私たちの潔白が証明された後、ヴェルモント産、いや「南部組合」の農産物への信頼は、以前にも増して確固たるものとなった。
あの徹底した品質管理システムは「ヴェルモント基準」と呼ばれ、安全性と高品質の証として、王国の農業界に新たな標準を打ち立てた。
スタンリー家は、隣国への敵対行為という大罪により爵位を剥奪され、エリー様は北の修道院へと送られたと聞く。
自業自得とはいえ、彼女の行き過ぎた嫉妬が招いた結末に、私は一抹の哀れみを感じずにはいられなかった。
エドワード殿下も、ヒロインを庇いきれず、監督不行き届きとして王太子としての立場が危うくなっているらしい。
もはや、彼らのことは私の人生には関係のないことだ。
◆ ◆ ◆
騒動が落ち着いたある晴れた日、私はいつものように組合の畑を見回っていた。
豊かな土の匂い、青々と茂る作物の葉、そして汗を流して働く組合員たちの笑顔。
これこそが、私の守りたかったものであり、私の全てだった。
「いい顔をするようになったな、リリアナ」
ふと、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには見慣れた商人の服装のカイルが立っていた。
王子様の正装も素敵だったけれど、やっぱり私には、こっちの姿の方がしっくりくる。
「カイル。もう王子の仕事はいいの?」
「今日はサボってきた。お前に、大事な話がある」
彼はそう言うと、私の手を引き、二人で学校の裏にある、一番見晴らしの良い丘へと登った。
眼下には、私たちが育ててきた黄金色の麦畑が、風にそよいで波のように揺れている。
「ここから見る景色が、俺は一番好きだ」
カイルは感慨深げに呟いた。
「俺の国、フォレスティアも緑豊かな国だが、お前が作ったこの景色には敵わない。ここには、希望があるからな」
「大げさよ。私一人の力じゃないわ。皆がいたから」
「その皆を一つにしたのは、お前だ」
カイルは私に向き直ると、その両肩を優しく掴んだ。
彼の瞳は、どこまでも真剣だった。
「リリアナ・ヴェルモント。俺は、お前という人間を心から尊敬し、そして、愛している」
突然の、あまりにも真っ直ぐな告白に、私の心臓が大きく跳ねる。
分かっていたはずなのに、彼の口から改めて聞くと、どうしようもなく動揺してしまう。
「俺の正体を明かした今、もうお前をただのビジネスパートナーとして隣に置くことはできない。政治的な問題も、身分の違いも、たくさんの障害があることは分かってる。だが、それでも俺は……お前と共に生きていきたい」
彼は私の前で片膝をつくと、懐から小さなベルベットの箱を取り出した。
「リリアナ。俺と、結婚してくれないか」
箱の中には、エメラルドの石がついた、シンプルな指輪が輝いていた。
それは、彼の瞳と同じ、深く澄んだ緑色だった。
プロポーズ。
それも、王子様から。
普通なら、どんな令嬢でも飛び上がって喜ぶだろう。
でも、私はすぐには返事ができなかった。
「私で、いいの……? 私は、悪役令嬢として王子に捨てられた、いわば『傷物』の公爵令嬢よ。それに、私はもう貴族の窮屈な生活には戻りたくない。この土と、畑と、ここにいる人々と離れたくないの」
私の不安を、カイルは優しい眼差しで受け止めてくれた。
「それがどうした。俺が愛したのは、悪役令嬢でも公爵令嬢でもない。自分の手で運命を切り開いた、農業家リリアナだ。それに、お前に宮殿の奥で大人しくしていてほしいなんて、少しも思っていない」
彼は立ち上がると、私の手を強く握った。
「むしろ、頼みたいことがある。俺の国、フォレスティアに来て、その知識と情熱で、我が国の農業を発展させてほしいんだ。アルセリアとフォレスティア、両国が手を取り合って、農業の力で世界を豊かにする。それが、俺たちの共通の目標になる。……もちろん、ヴェルモント領がお前の故郷であることは変わらない。自由に行き来すればいい。俺も、お前と一緒にこの畑を耕したい」
彼の言葉は、私の心の奥底にあった最後の不安を、綺麗に溶かしてくれた。
政治的な結婚じゃない。
ただ愛しているからだけでもない。
私という人間そのものを認め、同じ夢を、同じ未来を、一緒に見てくれるという。
これ以上の幸せがあるだろうか。
せき止めていた感情が熱となって溢れ出し、大粒の涙がぽろぽろと頬を伝って足元の土へと落ちていった。
「……はい」
私は、涙で濡れた笑顔で、精一杯頷いた。
「喜んで、お受けします。あなたの妻に、なってください」
「……ああ!」
カイルは満面の笑みを浮かべると、私を力強く抱きしめ、その場でくるくると回した。
麦畑の匂いと、太陽の光と、彼の腕の温かさに包まれて、私は心からの幸福を感じていた。
悪役令嬢として捨てられた私が、こんな幸せを手にするなんて、夢にも思わなかった。
でも、これは夢じゃない。
私が自分の足で立ち、自分の手で掴み取った、確かな現実だ。
畑の上でのプロポーズ。
それは、私たちらしい、新たな人生の始まりの誓いとなった。




