第六話 大隊
統一暦1925年、冬。
メルド帝国の帝都は、重く垂れ込めた雪雲から舞い散る牡丹雪によって、一面の白に覆われていた。しかし、その静謐な景色とは裏腹に、帝国最高中枢である参謀本部の内部は、熱気と焦燥、そしてかすかな希望が入り混じった異様な空気に包まれていた。
帝都、最高軍事会議室
巨大なマホガニーの円卓には、大陸全土を網羅した巨大な戦略地図が広げられ、各地の戦況を示す駒が無数に配置されていた。上座には参謀本部総長のフリードリヒ・ツィーグラー大将が鎮座し、その周囲をハインリヒ中将、ヴィルヘルム・フォン・マクシミリアン少将といった帝国軍の頭脳たる高級将官たちが囲んでいる。
「……以上が、サン・メリエル高地攻防戦における我が軍の被害状況、および獲得した越冬陣地の報告です」
報告を終えた参謀将校が一礼して下がる。円卓の将官たちの顔には、疲労の色とともに、確かな安堵が浮かんでいた。
「難攻不落のサン・メリエル高地を、予定より一ヶ月も早く、しかも想定の三分の一の損害で落とせたことは大きい。これでウール王国とサントラ共和国の連携を大きく分断できる」
ハインリヒ中将が、安堵の息を吐きながら地図上のウール王国の駒を弾き飛ばした。
「すべては、あの作戦における第1中隊……いや、エリス・サントリー中尉の規格外の働きによるものです」
マクシミリアン少将が、手元の分厚い報告書をパラパラと捲りながら口を開いた。
「彼女の単独での敵対空砲火の制圧、およびウール王国の精鋭『王立グリフォン大隊』の壊滅。これがなければ、我が方の地上部隊は高地の斜面で文字通り全滅していたでしょう。敵国が彼女につけた『白銀の悪魔』という二つ名、もはや過大評価でも何でもありません。彼女の個人撃墜数は、すでに優に100機を超えています。もはや一介の中尉として、単一の防衛線に縛り付けておく器ではない」
ツィーグラー大将は深く頷き、葉巻に火を点けた。
「同感だ。我々参謀本部は、彼女の運用方法を根本から見直す時期に来ている。現在、我がメルド帝国とエゴロ王国の同盟軍は、三国協商の圧倒的な物量に対して局地的な優勢を保っているに過ぎない。この膠着状態を打破し、敵の急所を的確に破壊するための『独立した矛』が必要だ」
大将は立ち上がり、戦略地図の中央を指揮棒で力強く叩いた。
「これより、参謀本部直轄の遊撃部隊として『第101特殊魔導士大隊』を新設する。任務は、全戦線における最も困難な局地戦への介入、敵重要拠点の強襲、および敵ネームド部隊の排除だ」
会議室にどよめきが走った。参謀本部直轄の独立大隊となれば、その権限と自由度は前線の師団長クラスに匹敵する。
「その特殊大隊の指揮官として、エリス・サントリー中尉を大尉に特進させ、大隊長に任命する。定数は規定通り48名。人員の選抜権、および部隊の訓練に関する全権を彼女に与える。彼女の戦術ドクトリンを完全に理解し、実行できる『悪魔の分身』を48人作り上げるのだ」
「ツィーグラー閣下、いくらなんでも早すぎませんか? 彼女はまだ士官学校を出て一年未満の少女です。大隊の指揮など……」
ハインリヒ中将が懸念を口にするが、大将はそれを冷笑で遮った。
「年齢など関係ない。戦場において絶対的な正義は『戦果』だ。彼女は生還を約束し、それを完全に実行している。兵士たちにとって、無能な老将より、必ず自分たちを勝利と生還に導く悪魔のほうが何百倍も信頼に足る。即座に辞令を出せ。人員の選抜を急がせろ。春の雪解けと共に、三国協商の喉笛を食い破ってもらう」
こうして、帝国軍上層部の決定により、エリス・サントリーは最年少の「大尉」として、帝国軍最強の独立遊撃部隊を率いることとなったのである。
第101特殊魔導士大隊・編成準備室
帝都の片隅に用意された新設部隊の執務室。
真新しい軍服に袖を通し、肩に輝く「大尉」の階級章をつけたエリスは、机の上にうず高く積まれた数百名分の人事記録と無言で睨み合っていた。
コンコン、と控えめなノックの音が響き、長身で金髪の青年将校が執務室に入ってきた。
「失礼します、サントリー大尉。本日付で第101特殊魔導士大隊の副隊長に任命されました、レオンハルト・フォン・シュタイン中尉です。着任の申告に上がりました」
レオンハルト中尉は、士官学校を首席で卒業したエリートであり、戦術理論と指揮能力において高く評価されている若手将校だった。参謀本部が、実戦経験こそ豊富だが書類仕事や部隊運営の経験が浅いエリスを補佐させるために送り込んできた人材である。
「ご苦労様です、レオンハルト中尉。早速ですが、大隊の編成作業を手伝ってください」
エリスは敬礼を短く返し、視線をファイルに戻した。
「はっ。すでに各方面軍から、優秀な魔力保有量と撃墜スコアを持つ『エース』候補生たちの推薦状が届いております。彼らを中心に選抜すれば、最強の大隊が……」
「必要ありません」
エリスはレオンハルトの言葉を冷たく遮り、エース候補生たちのファイルを丸ごとゴミ箱へと放り投げた。
「なっ……大尉!? 何をされているのですか! 彼らは各部隊の精鋭ですよ!」
「魔力量に頼り、無駄な大魔法をぶっ放すだけの『的』です。私の大隊に、派手な術式は必要ありません」
エリスは手元に残した一握りのファイルをレオンハルトに差し出した。
「私が選抜する基準は三つ。一つ、いかなる極限状況下でも冷静に私の指示に従えること。二つ、魔力防壁に頼らず、純粋な三次元機動と物理的回避能力に長けていること。三つ、何が何でも生き残るという泥臭い生存本能を持っていること。……撃墜スコアなど、どうでもいい。ただ死なない兵士を集めなさい」
レオンハルトは差し出されたファイルを見て絶句した。
そこに記載されていたのは、軍紀違反スレスレの荒くれ者、臆病で逃げ回ってばかりいると評価された古参兵、そして、エリスの元で地獄を生き抜いてきたマイヤー、シュミット、ワーグナーといった名もなき下士官たちだった。
「……大尉。これでは、まるでならず者の寄せ集めです」
「それで結構。生にしがみつく執念こそが、戦場における最大の防御装甲です。彼らを、私が一から鍛え直します。マイヤー三曹はこれまでの戦功と指揮能力を評価し、曹長(大隊付き下士官)へ昇進させ、現場のまとめ役とします。中尉は彼らへの招集命令を即座に手配してください」
「……了解、いたしました」
レオンハルト中尉は、目の前の小柄な少女が放つ、氷のような、しかし一切の妥協を許さない異様なプレッシャーに冷や汗を流しながら、部屋を後にした。
凍てつく地獄の教導
一ヶ月後。帝国北部の山岳地帯に位置する、極寒の特別演習場。
猛吹雪が吹き荒れ、視界は数メートル先すら確保できない過酷な環境下で、集められた48名の魔導士たちは、地獄のような訓練を強いられていた。
「高度が下がっています! スロットルの微調整を怠るな! 魔力は推進機関のみに回せ!」
拡声術式を使ったレオンハルト中尉の怒声が、吹雪の中に響き渡る。
「ひぃぃっ! 指が凍って引き金が引けねぇ!」
「馬鹿野郎、動きを止めるな! 『悪魔』の弾が飛んでくるぞ!」
マイヤー曹長が新兵たちに怒鳴り散らしながら、上空からの死の気配に全神経を集中させている。
彼らの訓練内容は、常軌を逸していた。
「防壁術式の使用禁止」「攻撃魔法の使用禁止」
そして、「エリス・サントリー大尉(単機)による、実弾での無差別奇襲から10分間生き延びること」。
『右翼、甘いです』
通信機から、感情の一切こもっていないエリスの声が響いた直後。
猛吹雪の壁を突き破り、銀色の閃光が部隊の中央に突っ込んできた。
「散開しろ!!」
レオンハルト中尉が叫ぶが遅い。
エリスは一切の術式を使わず、「スカイ」の制動ノズルによる純粋な物理機動だけで、48人の集団を内側からかき乱す。彼女の手にある魔道銃剣からは、魔力を纏わない通常の徹甲弾が容赦なく放たれた。
パァン! パァン!
「ぐわぁっ!」
「ぎゃあっ!」
弾丸は、兵士たちのヘルメットを掠め、軍服の袖を千切り、時には装備品の魔道具を正確に撃ち抜いて破壊した。急所は完全に外されているものの、わずかでも回避が遅れれば即座に重傷を負う実弾射撃である。
「撃ち返せ! 大尉殿を牽制しろ!」
シュミット伍長とワーグナー上等兵が、かつての経験を活かして即座に反撃態勢を取る。しかし、彼らの放つ訓練用のペイント弾は、エリスの予測不能な急旋回と急停止の前には、文字通り虚空を斬るのみであった。
「的が大きすぎます。もっとコンパクトに機動しなさい」
エリスは空中で宙返りをしながら、ボルトを引いて空薬莢を排出し、次弾を装填。そのまま背面の状態で、死角から迫ろうとしていた兵士の眉間めがけて発砲する。
パァン!
弾丸は兵士のゴーグルの数ミリ横を通り抜け、背後の岩山に着弾して砕け散った。
「ヒィッ……!」
兵士は恐怖で完全に硬直した。
「止まるなと言ったはずです。実戦ならあなたは今、死んでいます」
エリスは冷徹に言い放ち、再び吹雪の中へと消えていく。
地上でその光景を監視していたレオンハルト中尉は、双眼鏡を持つ手を震わせていた。
(なんだ、あれは……。48人を相手に、単機で完全に制圧している。しかも魔法を一切使わずに、純粋な射撃技術と銃剣術、機動のキレだけで……)
士官学校で学んだ戦術理論など、彼女の前では単なる紙切れに等しかった。彼女の戦闘は、無駄を徹底的に削ぎ落とした、殺戮の最適解そのものだ。
「……訓練終了。全機、地上へ降下してください」
10分後。エリスの号令がかかると、48人の兵士たちは、もはやまともに「スカイ」を制御する余力も残っておらず、ボロ雑巾のように雪原へと墜落していった。
エリスは静かに地上に降り立つと、銃剣を背中に納め、雪原でゼェゼェと荒い息を吐く部下たちを見下ろした。
「本日の生存率、実質0パーセント。全滅です」
彼女の言葉に、兵士たちは悔しさと疲労で唇を噛み締めた。
「レオンハルト中尉、彼らの動きはどうでしたか」
エリスが振り返り、副隊長に問う。
「はっ……! 散開の速度は昨日より向上していますが、依然として個々の回避行動において、魔力による力任せの制動が目立ちます。また、連携時の死角のカバーが遅れており……」
レオンハルト中尉は、慌ててメモ帳を開きながら的確な分析を述べる。
「その通りです。魔力は有限。魔力に頼った回避は、必ず乱戦で命取りになります。空力と重力を利用し、最小限の推力で敵の射線を外す感覚を身体に叩き込んでください」
エリスは兵士たちに向き直った。
「あなたたちは、全軍から掻き集められた『生き残りのプロ』のはずです。ですが、今のままでは三国協商の正規軍の飽和攻撃の前に、数分で肉片に変わるでしょう」
彼女は冷たい雪をブーツで踏みしめ、部下たちの中央へと歩み出た。
「魔法で吹き飛ばすのは簡単です。私がやれば一瞬で終わる。ですが、私が求めるのは、私が撃ち漏らした敵を確実に処理し、私の死角を完璧にカバーし、そして……誰一人欠けることなく、共に生きて帰る部隊です」
その言葉の裏にある、狂気じみた「仲間を死なせない」という執念。
マイヤー曹長をはじめとする兵士たちは、その言葉を聞くたびに、不思議と恐怖が消え去り、代わりに熱い血が全身を駆け巡るのを感じていた。
「明日はさらに射線を増やします。私についてこられない者は、今すぐ荷物をまとめて国へ帰りなさい。……ですが、私についてくる覚悟があるのなら」
エリスは氷のような瞳で、全員を見据えた。
「私が、あなたたち全員を『死神すら恐れる最強の部隊』にしてあげます」
「……ついていきますよ、大尉殿!」
真っ先に声を上げたのは、マイヤー曹長だった。雪だらけの体を起こし、力強く敬礼する。
「どうせ拾った命だ! 悪魔のシゴキに耐え抜いて、三国協商の連中に本当の地獄を見せてやりましょう!」
「そうだ! ついていくぜ!」
「やってやりますよ、大尉殿!!」
48人の兵士たちが次々と立ち上がり、猛吹雪の中で決意の咆哮を上げた。レオンハルト中尉もまた、この異様な光景に胸を熱くし、無意識のうちに完璧な敬礼を行っていた。
統一暦1926年、早春。
のちに三国協商から「悪魔の軍団」として恐れられ、戦局を単独で覆すほどの暴力装置となる第101特殊魔導士大隊が、雪深き北の地で産声を上げたのである。




