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魔道戦記 ~航空魔道師の伝説~  作者: 百夜


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第三話 初めての昇級

統一暦1925年、初夏。

カルロフ渓谷の戦いは、泥沼の消耗戦の様相を呈していた。

切り立った岩肌と深い霧に包まれたこの峻険な地は、メルド帝国とサントラ共和国の国境地帯における最大の要衝である。地上では、両軍の歩兵部隊が銃剣を構えて血みどろの白兵戦を繰り広げ、谷底は流血で赤く染まっていた。


この地獄のような戦場において、エリス・サントリー少尉が率いる第1大隊第1中隊第3小隊は、過酷な遊撃任務に従事し続けていた。


「少尉殿! 右上方、霧の切れ間から敵機3! サントラ軍の曹長以下、熟練兵と見られます!」

通信機からシュミット伍長の緊迫した声が飛ぶ。

「確認しました。シュミット伍長、ワーグナー上等兵はそのまま高度を維持。マイヤー三曹、私と連動して挟撃します。今回は魔力を温存。通常の徹甲弾で確実に仕留めます」


エリスは腰部の飛行用魔道具「スカイ」の制動ノズルを小刻みに吹かし、カルロフ渓谷特有の不規則な上昇気流を完全に我が物としていた。彼女の手にある無骨な魔道銃剣は、すでに何度も敵の血を吸い、硝煙で黒ずんでいる。


「突撃!」


エリスの鋭い号令とともに、小隊は霧の中から弾丸のごとく飛び出した。

敵のサントラ軍航空魔道師たちは、予期せぬ方向からの奇襲に一瞬、隊列を乱す。エリスはその隙を逃さなかった。「スカイ」を急加速させ、敵の先頭を飛ぶ曹長機へと肉薄する。


「しまっ――」

敵曹長が銃口を向けるよりも早く、エリスの銃剣が閃いた。

キィン、と硬質な金属音が響き、エリスは敵の銃身を自身の銃剣で激しく弾き飛ばす。体勢を崩した敵の胸元へ、流れるような動作で銃口を押し当て、引き金を引き絞った。


ズドン!


至近距離から放たれた通常の徹甲弾が、敵の防壁術式を物理的な運動エネルギーだけで叩き割り、その肉体を撃ち抜く。血を吐きながら墜落していく敵機を見送る暇もなく、エリスは即座に機体を反転させた。


「残る2機、散開して反撃してきます!」

マイヤー三曹が機銃を掃射しながら、敵の退路を断つように回り込む。

エリスは空中できりもみ回転バレルロールを繰り出し、背後から迫る一等兵の銃弾を紙一重で回避した。そのまま重力を無視したような急上昇を行い、敵の死角である真上へと位置取る。


ボルトを弾き、空薬莢が渓谷の霧の中へと落ちていく。次弾装填。

「終わりです」

照準器越しに冷徹な視線を据え、引き金を引く。一発。正確無誤に撃ち抜かれた敵の頭部から鮮血が霧に混じり、また1機、空から鉄屑が落ちるように消えていった。


残された最後の1機は、エリスの人間離れした三次元機動と、無駄のない正確な射撃技術に完全に戦意を喪失し、カルロフ渓谷の深い霧の奥へと逃げ去っていった。


「深追いは禁止です。各自、残弾と魔力残量の確認を」

エリスが淡々と告げると、小隊員たちから安堵の溜息が漏れた。

「了解しました、少尉殿……。それにしても、これで今月に入って何機目ですか? 少尉殿の撃墜スコアは、もう数えるのも恐ろしい領域に入っていますよ」

ワーグナー上等兵が、畏敬の念を隠しきれない声で言う。


エリスが初陣からこれまでに積み上げた個人的な撃墜数は、すでに30機を優に超えていた。

航空魔道師の世界において、10機撃墜は「エース」、30機以上は「ハイエース」と呼ばれ、その名は敵味方の間で「ネームド(二つ名持ち)」として知れ渡る。彼女は実戦投入からわずか数ヶ月という異例の速さで、その頂へと手をかけていた。だが、彼女自身はその称号に一切の興味を示さず、ただ軍人としての任務を淡々と遂行しているに過ぎなかった。


同日午後。メルド帝国軍、ラインハルト・カルロフ方面防衛総司令部。


重厚な石造りの会議室では、前線の戦況を左右する高級将校たちによる臨時の軍事会議が開かれていた。中央の円卓には、最新の戦況が刻々と書き込まれるカルロフ渓谷の立体地図が広げられている。


上座に座るのは、この方面の総指揮を執るハインリヒ中将。その周囲を、参謀大佐や各大隊長たちが取り囲んでいた。


「……以上が、カルロフ渓谷南東部における、メードル合衆国義勇兵部隊およびサントラ共和国軍の共同攻勢の状況です。我が方の第1大隊は善戦しておりますが、敵の物量に圧され、防衛線の維持は依然として予断を許しません」

参謀の一人が報告を終え、一礼する。


ハインリヒ中将は、難気な顔で髭をなぞりながら書類に目を落とした。

「うむ。地上軍の消耗も激しいが、航空魔道師の不足が深刻だな。サントラ軍はともかく、メードル合衆国の新型魔道具を装備した部隊が非常に厄介だ。我が方の航空魔道小隊が次々と削られている。何か、この膠着状態を打破する好材料はないのか?」


その問いに対し、第1大隊長であるクラウス大尉が挙手し、一歩前に出た。

「中将閣下、我が大隊の遊撃小隊に、極めて際立った戦果を上げ続けている若手将校がおります。彼女の活躍により、南東部の補給線および爆撃機編隊の迎撃は、ほぼ完璧に機能しております」


「ほう? 聞かせてもらおう」

ハインリヒ中将が興味を示した。


「第1大隊第1中隊所属、エリス・サントリー少尉です。彼女は士官学校を卒業後、我が方面に配属されてから本日までに、単独で30機以上の敵航空魔道師、および4機の大型爆撃機を撃墜しております。サントラ軍の上層部からは、すでに『ラインハルトの白銀』という識別名で警戒されているとの情報も、我が方の情報部から入っております」


会議室が一瞬、ざわついた。

「30機だと……? まだ配属されて数ヶ月の新兵だろう。何かの間違いではないか?」

参謀の一人が疑わしげな声を上げる。


「間違いありません。すべての戦果は、大隊のレーダー観測手および同僚兵士の魔道記録フライトレコーダーによって厳密に実証されております。彼女の特筆すべき点は、単に魔力量が多いというだけでなく、純粋な空戦技術、銃剣術、そして射撃の精度が群を抜いていることです。直近の戦闘でも、魔力消費を抑えた通常戦闘のみで敵の熟練小隊を壊滅させております」


クラウス大尉の説明に、ハインリヒ中将は深く感銘を受けたように何度も頷いた。

「サントラ軍に『白銀』とまで呼ばせているか……。面白い。我が軍には今、戦意高揚のための英雄が必要だ。これほどの逸材を、いつまでも一少尉の地位に留めておく理由はどこにもないな」


中将は傍らに控える副官に視線を送った。

「サントリー少尉のこれまでの戦功を鑑み、軍規に基づき特進を具申する。彼女を『中尉』に昇進させよ。同時に、現在の中隊内で実績を積ませ、近いうちに1個中隊を率いる中隊長としての席を用意するのだ。若き天才がどれほどの指揮能力を持っているか、試させてもらう」


「はっ! 直ちに手続きを進めます」

副官が敬礼し、室内の空気は一気に活気づいた。

帝国軍上層部の思惑により、エリスの昇進は決定した。それは同時に、彼女がより過酷な戦場、より重い責任を背負う立場へと進むことを意味していた。


前線基地の格納庫。

夕闇が迫る中、エリスは自身の「スカイ」のメンテナンスを行っていた。ネジの一本一本を丁寧に締め直すその指先には、微塵の狂いもない。


そこへ、クラウス大尉が数名の歩兵を従えて歩いてきた。その手には、新しく仕立てられた軍服と、輝く階級章が握られている。


「サントリー少尉。いや、これからはサントリー中尉だな」

クラウス大尉の声に、エリスは手を止め、即座に直立不動の敬礼を捧げた。

「大尉殿。その階級章は……」


「ハインリヒ中将閣下からの直々の命令だ。カルロフ渓谷における貴様の卓越した戦果、および敵ネームドに比肩する『ハイエース』としての実績が認められた。本日付で貴様は中尉に昇進となる」

大尉はエリスの肩に、中尉の証である新たな階級章をピンで留めた。


「ありがとうございます。過分な評価に感謝いたします、大尉殿」

エリスの返答は、昇進の喜びよりも、新たな任務に対する義務感に満ちていた。


「喜ぶのはまだ早いぞ、サントリー中尉。中尉になったということは、いずれ一個中隊(12人)を率いる立場になるということだ。現在はまだ第3小隊の指揮を継続してもらうが、状況が変われば、貴様が前線の戦況そのものを動かす立場になる。自覚を持て」

「はっ。メルド帝国の勝利のために、全力を尽くします」


クラウス大尉が去った後、マイヤー三曹たちがニヤニヤとしながら近づいてきた。

「おめでとうございます、中尉殿! いやぁ、俺たちの隊長がこんなに早く中尉になるなんて、鼻が高いですよ」

「これで給与も上がりますね。今夜はレーションの缶詰でささやかなお祝いといきましょう」

シュミット伍長とワーグナー上等兵も嬉しそうに語りかける。


エリスは新しくなった肩の階級章を少しだけ触り、それから再び無骨な魔道銃剣を手に取った。

「お祝いは結構です。階級が上がろうとも、やるべきことは変わりません。明日の早朝からは、さらに激しい敵の攻勢が予想されます。各自、速やかに休息を取り、明日に備えてください」


「相変わらず手厳しい……。了解しました、中尉殿!」

マイヤー三曹が苦笑しながら敬礼する。


カルロフ渓谷の夜は深く、冷たい。

中尉へと昇進したエリス・サントリー。彼女の歩む道は、より多くの命を奪い、より多くの部下を率いる、さらなる激戦の荒野へと続いていた。統一暦1925年、夏。戦争の嵐は、さらにその激しさを増していこうとしていた。

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