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魔道戦記 ~航空魔道師の伝説~  作者: 百夜


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第二話 ハイエース

統一暦1925年、春も半ば。

ラインハルト方面の前線基地は、重苦しい空気に包まれていた。連日の降雨により大地は底なしの泥濘と化し、兵士たちの軍靴は重く沈み込んでいる。塹壕の中で震える歩兵たちにとって、空を見上げることは死を意味した。サントラ共和国軍の航空魔道師たちが、雲の切れ間から容赦なく機銃掃射を浴びせてくるからだ。


しかし、その日ばかりは様子が違っていた。


第3航空魔道師団、第2大隊のブリーフィングテント。

むせ返るような安煙草の煙と、泥臭いコーヒーの匂いが充満する中、大隊長であるギュンター・クラウス大尉は、机に叩きつけられた報告書と、その前に直立不動で立つ小柄な少女を交互に見比べていた。


「……サントラ共和国軍、第8航空魔道中隊。確認された撃墜数は10。我が大隊のレーダー観測手によれば、敵中隊は交戦開始からわずかな時間で壊滅状態に陥り、撤退したとある」

クラウス大尉は、信じられないものを見るような目でエリス・サントリー少尉を見下ろした。

「初陣で単独撃墜数10機。文句なしの『エース』だ。しかも、味方の損害はゼロ。サントリー少尉、貴様は一体どんな魔法を使った?」


「魔法ではありません、大尉殿。規定通りの戦術機動と、適切なタイミングでの術式展開、そして精密射撃を行ったのみです」

エリスは表情一つ変えず、淡々と報告した。その後ろでは、マイヤー三曹、シュミット伍長、ワーグナー上等兵の三人が、幽霊でも見るかのような顔で硬直している。


「……よかろう。事実として、敵の攻勢は完全に頓挫した。だが、少尉。貴様のような規格外の火力を、この単なる防衛線に置いておくのは宝の持ち腐れだ。上層部も同じ見解らしい」

クラウス大尉は一枚の辞令をエリスに差し出した。

「本日付で、貴様ら第3小隊は第1大隊へ転属となる。あちらはメードル合衆国からの義勇兵部隊とサントラ軍が合流し、最も激しい攻防が繰り広げられている激戦区『カルロフ渓谷』だ。そこで遊撃小隊として、敵の補給線と爆撃機の迎撃にあたれ」


「はっ。命のままに」

エリスは微塵も動揺を見せず、美しい敬礼をして踵を返した。小隊の三人は「一番の地獄に送られるのか」と顔面を蒼白にしていたが、もはや彼女の背中についていくしかなかった。


時を同じくして。

サントラ共和国の首都、防衛省の地下深くにある最高作戦会議室。


シャンデリアの薄暗い光の下、サントラ共和国軍の上層部が円卓を囲んでいた。彼らの顔は一様に険しく、重苦しい沈黙が場を支配している。


「ラインハルト方面へ展開していた第8航空魔道中隊が、実質的な壊滅状態に陥った件についてだ」

作戦局長であるルブラン少将が、葉巻の煙を吐き出しながら口を開いた。

「生存者の報告によれば、敵はたった1機の魔道師。それも、銀髪の小柄な少女だったという。彼女が放った一撃で、中隊の過半数が文字通り蒸発したそうだ」


「馬鹿な。帝国軍にそんな新兵器が開発されているという情報は入っていないぞ!」

隣に座るガリアーノ中佐が机を叩く。

「一個人の魔力による術式展開だとしても、限度がある。戦艦の主砲でもあるまいし、単身で中隊を壊滅させるなど、おとぎ話の類だ」


「だが、現実にピエール中尉は戦死し、部隊は壊滅した」

情報部のデュバル大佐が、冷徹な声で告げる。

「生存者の兵士二名は、極度の恐慌状態にあった。彼らは口を揃えてこう言っている。『銀色の死神を見た』と。幸い、帝国軍のプロパガンダ放送ではまだ大々的に報じられていない。彼女が帝国全体で英雄視される前に、我々の手で確実に葬り去る必要がある」


ルブラン少将は深く頷いた。

「敵ながら天晴れな戦果だ。軍の士気を維持するためにも、この未知の脅威には明確な識別名を与え、最優先撃墜目標に指定する。彼女の容姿と、ラインハルトでの惨劇を鑑み……奴を『ラインハルトの白銀』と呼称する。全航空魔道師団に通達しろ。『白銀』を見つけ次第、大隊規模で包囲し、確実に仕留めろとな」


敵国の上層部によって、エリス・サントリーは図らずも「ネームド(二つ名持ち)」として認定されたのであった。


数日後。カルロフ渓谷上空。

高度4000メートル。肌を刺すような冷気と、薄い酸素。

エリス率いる第3小隊は、渓谷の合間を縫うように飛翔しながら、敵の爆撃機編隊を捜索していた。


『少尉殿、前方に敵影! サントラ共和国軍の護衛魔道師、およそ2個小隊(8機)! その後ろに爆撃機が3機います!』

ワーグナー上等兵の焦った声が通信機に響く。

「落ち着きなさい、ワーグナー上等兵。敵の数は我々の倍ですが、地の利はこちらにあります。雲海を利用して接近し、まずは護衛を引き剥がします」


エリスは魔道具「スカイ」の出力を微調整し、分厚い積乱雲の中へと機体を滑り込ませた。視界が真っ白に染まり、水滴が軍服を濡らす。


(今回は術式の乱用は控えます。前回の戦闘で魔力消費の効率が悪かった。基本に忠実に、物理的な制圧を行います)


「全機、銃剣の白兵戦用意。通常の徹甲弾を装填」

『了解!』


雲を抜け出た瞬間、エリスたちの目の前にはサントラ軍の魔道師たちが無防備な背中を晒していた。

「撃て!」


エリスの号令と共に、四丁の魔道銃が一斉に火を噴く。

魔力を纏わない純粋な鉛の弾丸が、空気を切り裂いて敵機に殺到する。敵の一等兵が背中に直撃を受け、血飛沫を上げて墜落していく。


「敵襲だ! 帝国軍の魔道師!」

サントラ軍の小隊長(少尉)が叫び、即座に陣形を立て直す。彼らも歴戦の猛者だ。すぐさま反転し、猛烈な弾幕を張り巡らせてきた。


ドドドドドッ!

空中で無数の曳光弾が交差する。エリスは「スカイ」のノズルを右へ左へと小刻みに噴射し、弾幕の隙間を踊るように回避していく。銃弾が頬を掠め、髪の毛数本が空に散った。


「マイヤー三曹、右翼の2機を牽制。シュミット、ワーグナーは左翼へ! 私は中央を突破します!」

『無茶だ少尉殿! 敵の弾幕が濃すぎる!』

「問題ありません」


エリスはスロットルを全開にし、敵の小隊長機へ向かって一直線に突撃した。

「舐めるな、小娘が!」

敵少尉が銃を構え、エリスの眉間を狙って引き金を引く。だが、エリスはその瞬間に機体をきりもみ回転させ、弾丸を間一髪で回避。そのまま敵の懐へと潜り込んだ。


ガキィィィンッ!!


空中で金属と金属が激突する甲高い音が響き渡った。エリスの銃剣と、敵少尉の銃剣が交差したのだ。

凄まじい衝撃に腕が痺れるが、エリスは表情を変えない。敵少尉の顔には驚愕が張り付いていた。

(この華奢な体のどこに、こんな筋力が……!?)


「隙だらけです」

エリスは銃剣を滑らせて敵の刃をいなし、空いた左手で敵少尉の軍服の胸ぐらを掴むと、至近距離から銃の引き金を引いた。

ズガンッ!

通常の徹甲弾が、敵少尉の胸部装甲を貫通し、心臓を正確に撃ち抜いた。


「隊長ーっ!!」

残されたサントラ軍の兵士たちが激昂し、エリスに向かって殺到する。

エリスは敵少尉の死体を蹴り飛ばして距離を取ると、ボルトを引いて空薬莢を排出した。


ここからは、高度な三次元機動と、純粋な射撃技術、そして銃剣術の応酬だった。

右から迫る敵機の弾丸を「スカイ」の急制動で避け、すれ違いざまに銃剣で敵の脚を斬り裂く。悲鳴を上げて高度を下げる敵に対し、冷酷に追撃の弾丸を撃ち込む。


『少尉殿! 後ろだ!』

マイヤー三曹の叫び声。背後からサントラ軍の曹長が、エリスの死角を突いて迫っていた。

エリスは振り返ることなく、空中で完全に姿勢を反転バックフリップさせた。逆さまの状態で敵と相対し、そのまま銃を構える。


「なっ……!?」

驚く敵曹長の額に、エリスの放った一発の弾丸が吸い込まれた。


戦闘開始から十分。激しいドッグファイトの末、エリスは術式(魔法)を一度も使うことなく、純粋な射撃と白兵戦のみで敵小隊長を含む4機を撃墜していた。マイヤーたちも健闘し、残る敵は完全に散り散りになって逃走していった。


息を切らし、軍服には敵の返り血とオイルがこびりついている。だが、エリスの瞳は依然として氷のように冷ややかだった。


「……護衛の排除を完了。これより、本命の爆撃機を叩きます」

エリスは銃口を、遠くで逃走を図る3機の巨大な爆撃機へと向けた。

「ここは確実に落とします。少しだけ、魔力を使います」


彼女は銃身に魔力を流し込んだ。カチリ、と術式回路が起動する音が響く。

(術式展開。貫通付与、軌道補正――『狙撃徹甲弾』)


放たれた一条の光芒は、数千メートル先の爆撃機のエンジン部分に正確に突き刺さった。火を噴き、黒煙を上げて墜落していく巨体を見届けると、エリスは静かに銃を下ろした。


「全機、帰投します」

『……了解しました、少尉殿』

マイヤー三曹の声には、もはや疑念も不安もなかった。ただ、得体の知れない強者に対する純粋な畏怖だけが混じっていた。


「ラインハルトの白銀」。

その異名が帝国全土に轟くのは、もう少し先の話である。今はまだ、彼女はこの泥濘の空で、静かに、そして確実に死体の山を築き上げているに過ぎなかった。

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