棲み潜む空腹:第三話
地面と接吻する寸前で周さんが助け出した書生さんらしき男の人のお腹から、盛大な腹の虫が聞こえたのはついさっきのこと。
朦朧としている大の男を抱えて帰路に就くより、すぐ近くの店でご飯を食べさせた方が手っ取り早い、と判断したんだろう。
周さんは、半ば引き摺るように男の人をお店に運び、目に付いた商品を片っ端から注文して……今に至ってる。
「この店の菓子は恵戸は安成の頃から人気の品なんだが……菓子本人もそう飲み込まれるように喰われるとは思わなかっただろうなぁ」
「……っ、…………!!!」
「ああ、ああ。そう頬張ったまま話そうとするな。言いたいことはなんとなくわかるから」
ちょっぴり呆れたような、驚いたような顔で豆寒天の匙を弄ぶ周さんの目の前に座った男の人は、申し訳なさそうな雰囲気半分、自分のお腹を満たすのに必死な雰囲気半分で、目の前の料理を飲み込んでいく。
もがもが言ってるのは、お礼なのか謝罪なのか……いずれにせよ、今は目の前の食事に夢中になってるようね。
「あんみつ、力うどん、豆寒、雑炊、きんつばにどら焼きに饅頭……でもまぁ、この様子ならまだ入りそうだなぁ」
今まで注文した品を、周さんが指折り数えてる。
私も人じゃなくなってからよく食べるようになったけど、それに匹敵するくらいの食欲だと思うわ。
出会った当初は、もしかしたら怠病じゃないかとも思ったんだけど、どうもそうじゃないような感じね。
怠病だとほとんど動けなくなるみたいだけど、この人は食べ物を前にしたら自力で食べられてるみたいだし、食べれば食べるほど元気になってるみたいだし……。
ただ単にお腹が空いてただけみたいね。
さっきまで紙みたいに真っ白だった頬に、少しずつ赤みが戻ってるわ。
元気になってきたみたいで、ちょっと安心しちゃった。
「ここまで必死に食べてもらえるんなら、料理としてはある意味本望か」
卓の上に商品が置かれるや否や、親の敵にでも遭ったかのような勢いで料理を平らげる男の人を眺めつつ、お茶を啜る周さんが半ば感嘆したような声を上げた。
正直なところ、せっかく美味しそうなお料理なのに味わってる余裕はなさそう……って思っちゃったけど、周さんみたいな考え方もあるわね。
「雪ちゃんも、もう少し食べられるだろ? 善哉にするか? それとも、あんみつの方がいいか?」
目の前の男の人の食べっぷりに感心していると、すいっと周さんがメニュー表を差し出してくれた。
ううぅぅ……なんて悪魔的なお誘いなのかしら!
そりゃあね、さっき私もお汁粉を頂いたけど……お汁粉一杯じゃあ、私のお腹が満足してくれるはずもなかったわよね……。
心許なそうにきゅるきゅるとなるお腹を押さえながら、私は今日はもう周さんに甘えてしまおうと心に決めた。
「え、っと……それじゃあお言葉に甘えて、粟善哉と豆大福と草餅が食べたいです」
「いいねぇ。雪ちゃんのそういうとこ、好きだよ。というか、もっと甘えてくれてもいいんだがなぁ?」
懐いてくれた仔猫をデレデレと可愛がる飼い主のような雰囲気を纏う周さんが、クシャクシャと私の頭を撫でてくる。
うーん。安定のペット枠感。
結局、私が豆大福と草餅をやっつけている間に、書生さんは磯部餅を二皿平らげて……ようやく人心地着いたのか、ふうと満足したように息を吐いた。
その、次の瞬間……。
「この度は、助けていただき本当にありがとうございました!!!!!」
「いや、まぁ……目の前で倒れられたのを放っておいたんじゃ寝覚めが悪いからなぁ。今は、腹の底から声を出す元気が出たようで何よりだ」
私たちを目に留めて、勢いよく頭を下げてくれた。
その勢いたるや、額がテーブルにぶつかってゴツンと音がするくらい。うう……音だけで痛そう……!
実際、顔を上げた時にはオデコが真っ赤になってたもの。
……それにしても、どうしてこの人、こんなにお腹が空いてたのかしら?
中に着ているハイカラーのシャツも、着物も袴も……生地も仕立ても良さそうだし、お金がないようには見えないのよね……。
金欠で欠食、っていう線はないように思えるのだけど???
そんな私の疑問を拾い上げたのか、はたまた周さんも不思議に思っていたのか……。
「それにしても、いったいなんだってこんなにフラフラになってたんだ? まるで、何日も食ってないような感じだが……」
軽く首を捻った周さんが、ちょうど運ばれてきたあんみつにスプーンを入れながら口を開く。
私も、話を聞き逃さないよう聞き耳を立てつつ、前に置かれた粟善哉の蓋を開けた。
小豆の甘い匂いが、ふわりと鼻先を擽っていく。
見るからに柔らかな粟餅と、ねっとり濃厚そうなこしあんが美味しそう……!
「いや、それが、自分にもよくわからないんです。しっかりと朝飯を食ってから出かけたんですが、友人と別れてから急に身体の力が抜けてしまって……」
「ほーん? 友人、ねぇ?」
「待ってください! 本当にただの友人……というか、フラリといなくなってしまった学友です!」
ニヤッと唇の片方だけを持ち上げて笑う周さんが言わんとしてるのは、「〝友人〟という名の〝おねーちゃん〟じゃないだろうな?」ってところかしら?
まぁ、そういう大人なお店も裏通りにあるみたいだし、書生さんもよくよく眺めるとお顔も整ってるし、かなりモテそうだものねぇ。
書生さんは焦って否定してるけど……男ならそういう遊びも必要、って……あの思い出したくもない親戚のおじさんもよく言ってたのよね……。
…………。
……………………。
……なんか、イヤなこと思い出しちゃったわねぇ……。
胸の奥に湧き上がる嫌悪感を抑え込むように、あつあつの善哉にスプーンを口に運ぶ。
舌を焼く熱さと甘さがささくれだった心にねっとりと染み込んで、じわじわと補修してくれてる感じがする。
「その格好から予想はしてたが、学友がいるってことはあんたも学生なのか。というか……そもそもの話、名前も聞いてなかったな」
「そういえば……助けていただいたのに、名乗りもせずに失礼いたしました! 二ツ門大学に在籍しています、虎落 靜といいます」
「うぉっ!? あの二ツ門大学の学生かぁ……!」
「優秀な方だったんですねぇ!」
書生さん……虎落さんの口から飛び出た学府の名前に驚いた私と周さんは、口を揃えて驚嘆の声を上げた。




