棲み潜む空腹:第二話
朝草の街は、この前行った吟座とは趣をまったく異にしてる。
活動写真館やら劇場やら……道の両端は賑やかな幟や派手な看板で彩られ、あちこちから賑やかな音楽が聞こえてくる。
下町情緒あふれる、と言えばいいのかしら?
吟座が〝モダン〟とか〝ハイカラ〟っていう言葉が似合う街だとすると、朝草は〝ごっちゃり〟とか〝猥雑〟とか……そんな感じ。
表通りから少し離れると、大人の雰囲気のお店なんかもあるせいかしらね。
街を歩いてる人たちの様子や服装も、吟座と比べてざっくばらんな感じがするわ。
……それにしても……。
人々のお喋りが混ざり合った喧騒から、耳が勝手に怠病とか見世物小屋とかの単語を耳が勝手に拾い上げるのはどういう原理なのかしらね?
「相変わらずの人出だなぁ。こういう歓楽的な面だけじゃなく、大きな寺があったりもするから当然と言えば当然なんだが」
「平日でこの賑わいなら、お休みの日はそりゃあもうすごいんでしょうねぇ」
「噂に聞いただけなんだが、あまりに人の密度が凄くて、人ごみの中心にいる人間の足が浮くくらいになるとか……」
「わぁ……! 歩かなくても、人ごみに乗って移動できちゃいますね」
それはもう愉しげな様子で周りを見回す周さんが、私の手を引きながらそんな街の中を悠々と歩く。
周さんが言うとおり、朝草の街には大きなお寺がどーんと建ってるのよね。
そこを中心に、屋台が並ぶ参道が大通りまで通っていたり、路面電車の駅まで道が伸びてる。
さらには各所の見世物小屋やら十四階に行く道や、歓楽街に通じる道が網目状に繋がっていって……。
大通りはともかく、一歩路地裏に足を踏み入れるとなかなかに複雑な感じに入り組んでるのよ。
気を抜くと迷子になっちゃいそう!
だって、道を歩いてると、そこかしこにある総天然色の大看板に目を引かれちゃうし、移動動物園やら遊園地の客引きに掴まっちゃいそうになるの。
「ううぅ……誘惑が多すぎるわ……!」
「あははは! 最初はそんなもんだよ。そのうち慣れて、スイスイ歩けるようになるさ」
「うーん。まずは、迷子にならないよう頑張ります」
すぐに人波に飲み込まれてはぐれかける私の手を、周さんがぎゅうっと繋いでくれた。
気恥ずかしさもあるけど、今は「これではぐれなくて済む!」っていう安心感の方が強いのよ。
今にも鼻歌でも歌いだしそうなくらいに上機嫌な周さんに手を引かれ、人の流れに乗って通りを歩く。
この辺は、お寺の参道……から、一本奥に入った路地ね。
表通りと比べたら歩いてる人の数は少なくて、多少は歩きやすい。
「さーて、どうするか……寺参りしてから門前通りを攻めるのじゃあ、ちょっと腹が減りすぎてるしなぁ。かといって、華屋舗で遊ぶにはもっと時間が欲しいところだし……そもそも十四階に行くんなら、あんまり寄り道もしてられないな」
お祭り騒ぎみたいな喧騒の中を足取り軽く進みつつ、周さんが今後の予定を呟いてる。
今の時間はお昼をちょっと過ぎたところだ。
当日の午前中に思い立って動いたにしては早く到着したほうなんだろうけど、朝草をたっぷり満喫するには少々時間が心許ない。
周さんの言うとおり、いくつかの選択肢は諦めなくちゃいけないかもしれないわね。
「まあ、朝草に来れるのは今日が最後ってわけじゃないからな。今日行けなかった場所は、機会を見つけて一緒に来ればいいし」
「は、はい! そのときは、是非……!」
あああ……私がお母さんの話を思い出したばっかりに……周さんが気を使って連れだしたくれたのに……なんて。
チクチクと心を突き刺す罪悪感を、周さんの笑顔が吹き飛ばしてくれた。
……そっ、か。確かに、来ようと思えばいつでも来れるのよね……!
「とりあえず、今日のところはちょっと腹ごしらえをして、十四階に向かうとするか! 雪ちゃんの思い出の場所だもんな」
「いいんですか? 覚えてはいないんですが、なんだかちょっと楽しみです」
「帝都地震の修理がてら、内装やら何やらいろいろと変わった、って話だし……雪ちゃんが見た頃と全くおんなじってわけにはいかないだろうが……」
「いいえ。十四階に行けるだけで充分です! 当時のことは覚えてないですけど、その分、今の光景を目に焼き付けたいと思います!」
「そっかそっか。過去も大事だけど、未来を見据えて前を向くことも忘れちゃ駄目だもんな」
お母さんとの思い出に、周さんと行った記憶が加わるってことだもの。
そうすると、お母さんと一緒に周さんのことも思い出せるってことで……記憶が補強されて、忘れにくくなる気がするの!
それって、いいこと……よね?
胸の奥に微かに蟠る感傷を振り払うように顔を上げると、周さんもそれを後押しするようにニカリと笑ってくれた。
「そうと決まれば……ここのちょっと先に、上手い団子屋があるんだ。そこにちょっと腰を据えるとするか…………ん?」
「……? どうかしました?」
路地の少し先を指しかけた周さんが、ふとその足を止めた。
不思議に思ってその視線の先を辿ると、男の人が酔っ払ったようにふらふらと歩いてる。
書生さんみたいなのに、昼間からお酒を飲んだの?
「ん……あ。違う……!」
……なんて、不謹慎に思ったのは最初だけだった。
よーく見たら、顔色は真っ青で、酔っ払ってる感じなんか微塵もない。
「こりゃ大変だ! おい、あんた! 大丈夫か?」
声を上げた周さんが男の元へ駆け寄っていくのと、その人が声もなく頽れるのと、どちらが早かったか……。
辛うじて地面に倒れ込む寸前で、周さんの手が男の人を襟首を掴んでいた。




