流離の葛篭・溝出:第十一話
若干ですがホラーっぽい表現、流血&グロテスクな描写を含みます
尻もちをついた男の上に、葛篭の人が覆いかぶさるように腰を折った。
見るからにバサバサの髪が、唇の端が切れるほどに大きく開いた口に容赦なく垂れ落ちる。
『……か九∴せ……帙°縺かえ○縺せ……! かえせ……!』
「ぎゃっ、ぎゃあ! やめろ! やめてくれ!」
「……相手が〝やめて〟って言っても、やめなかったのはアイツも同じはずなのになぁ? なんで自分の時は聞いてもらえると思っているのかね?」
「当事者にならないとわからないことがある、ってことなんじゃないでしょうか」
隣に立つ周さんをちらりと見上げると、心底不思議そうに小首を傾げてた。
でも、その顔に浮かんでるのは〝矛盾する人間の心理って本当に面白い〟っていう表情だったわ。なんかもう、今にも〝愉悦愉悦〟と笑いだしそうね。
「なぁ、オイ! おまえ! お前、みえてるんだろ! たす、助けろ! おれをたすけろよぉぉ!!」
「え?」
「なんでオレがこんな目に遭わなきゃいけないんだ! ぜんぶぜんぶ素直に金を出さなかったこいつが悪いっていうのに!」
「そういうところなんじゃないでしょうか? それに、私にあなたを助ける義理はないので……」
必死に葛篭の人をどかそうと暴れながら、男が血走った目で私を見つけて腕を伸ばす。
困ったなぁ。私、あなたがどうなろうと、心底どうでもいいのよね。
……というか、殴られて殺されて川に流された身としては、むしろ葛篭の人に肩入れしたい気分だわ。
いいぞもっとやれ、って思っちゃう。
だって、葛篭の人のお腹……あれ、あの男の人がやったんだもの。
葛篭を引き上げる途中で私の中にドッと流れ込んできた今際の際の映像は、未だに生々しく頭の中に残っている。
一人静かに暮らしてるところに、急に押し入られて、身勝手な理由で殺されて……どれだけ無念だっただろう……。
「金目的で押し入って、見つかったらそのまま居直り強盗に変わるとか……あのご婦人も災難だよな」
「復讐なんてなにも産まない……っていう人もいますけど、心の折り合いをつけないと進めないっていう人もいると思うんですよねぇ」
「あー……実感籠ってるねぇ、雪ちゃん」
「私も、もうちょっと体力が戻ったら、アイツらをどうこうしてやりたい、って思ってる派ですもの」
「そりゃあそうか。それじゃああのご婦人は、雪ちゃんが本懐を遂げるためのいい見本、ってことか」
納得するように幾度も頷く周さんの視線の先にいるのは、体力が尽きかけてるのか悲鳴も絶え絶えの男と、それに覆い被さる葛篭の人。
もう姿を保っているのも大変なんだろう。
頬と言わず腕と言わず……皮膚が爛れてズルズルと剥がれはじめたかと思うと、腐ったような色合いの肉がボトボトと糸を引いて崩れ落ちる。
葛篭の人の足元には、どす黒く濁った血脂が水たまりみたいになっていた。
「溝出とは、葛篭に入れて捨てられた遺体が成ると言われている。まぁ、粗末に扱われた遺体が、その恨みのままに怪異と化したようなものだな」
静かな伊吹さんの声を聞きながら、私は腕に抱えたままだった葛篭をそっと床に下ろした。
骨が丸見えになった指で男の足首を掴み、葛篭の人がくるりと踵を返す。
「や、やめろ! やめろって!! 離せぇぇ!!!!」
葛篭の人が、私が置いた葛篭に向かってゆっくりと歩きだした。
もちろん、男の足を持ったままで、ね。
男の方は必死の形相でガラス戸の桟を掴んでるけど、たぶん無駄な抵抗だと思うわ。
そんなことで放してもらえるほど、因果は浅くはないもの。
「あ、ぎゃあっ! いやだぁぁぁぁ!!!!」
今にも泣きそうな悲鳴が聞こえて、とうとう手が離れたんだと知った。
店の床をガリガリと爪で引っ掻きながら、男は床を引き摺られていく。
さっきよりも一層激しく暴れてるけど、葛篭の人の足が遅れる様子はまるでない。
「……そうよねぇ。それだけ、恨みは深いわよね……」
先に、葛篭に戻ったのは葛篭の人だ。
この頃には、もうすっかり白い骨だけになってたけど、大の男一血引き摺ってるとは思えないほど足取りはしっかりしてる。
跪くように身体を屈めたかと思うと、ぽっかりと口を開けた葛篭の口にズルリと頭が潜り込んだ。
それからはもうあっという間だったわ。
「あ゛っ、ギャッッ、ごびゅ……っっ……!」
濁った悲鳴を上げながら、男が足から葛篭に飲み込まれていく。
漏れ聞こえるゴキッとかバキッっていう音は、いったい何の音なのかしらね?
それにしても、無駄だとわかってても必死で爪を立てたせいで、爪が剥がれちゃったんでしょうね。
お店の床に何本も赤い線ができてるわ。
「うーん……お掃除が大変そう」
「付いてすぐなら、大根おろしの汁できれいに落ちるって聞いたことあるぞ~?」
「それは布についた場合の落とし方じゃなかったか?」
「布に使えるんなら、床にだって使えるだろー」
私たちがお掃除談議に興じている間に、嫌だ嫌だと泣き喚く男は腰から下が葛篭に納まっている。
血やら汗やら涙やら鼻水やら……。
顔から出せる水分を全部絞り出しつつ、助けを求めるようにこちらを見る男の顔に、奥から伸びてきた白骨の指が纏わりついた。
最期の足掻きすら封じられ……絶望しきった顔のまま、男は葛篭に飲み込まれた。
「……雪、これを」
「あら、まぁ。それじゃあ、返してきますね」
未だに大根かシャボンかで言い争ってたらしい伊吹さんが、周さんとの会話を切り上げて私に声をかけてきた。
懐から取り出されたのは、掌に乗るサイズの布包み……。中身は、聞かなくてもわかっていた。
そうこうしてる間にも、男を飲み込んだ葛篭の中からぬうっと骨の手が伸びてきて、そのまま蓋を閉めようとする。
「待って待って! まだ閉めないで!」
慌てて声をかけてそれを止めて、私はその手に布の包みを握らせた。
その拍子にはらりと解けた布の隙間から覗くのは、彫金細工と宝石とで作られた華やかな簪だ。
「娘さんの、形見なんでしょう? お返しするわ」
本来であれば、娘さんがお嫁入りする時に渡すはずだった、簪。
その前に娘さんは亡くなってしまったけど、どうしても手放せなくて……大事に大事に持っていた、宝物。
……母から貰った宝物をほとんど奪われた私が、娘のものを奪われた母親に宝物を返すことができた……。
そう思うと、胸の奥がぽうっと温かくなるのを感じる。
『……………………ありがとう……』
大事そうに簪を握った手とは別の手がゆっくりと蓋を閉める寸前に、そんな優しい声が葛篭の中から聞こえてきた。




