流離の葛篭・溝出:第九話
今回、本当に少しですがホラーっぽい表現を含みます。
伊吹さんと周さんと一緒にお出掛けをして何日かたった、陽射しもうららかなある日の午後。
小鳥のさえずりが微かに聞こえるなか、私と周さんはお店に面した倉庫に身を隠していた。
それもこれも、〝今日あたり例の男が来そうじゃないか?〟と私の野生の勘が囁いたせいだ。
とはいえ、さてどうするべきかと思いながら行動に移せていなかった私を周さんが見つけ……この間と同様に倉庫に隠れることになったわけだ。
「……あの男の人、来ますかねぇ」
「来るさ。必ず来る。なにせ、伊吹が上手いこと言いくるめてたからな」
「ああ……なんだかお金に困ってそうでしたものね」
そりゃあもう悪い顔で笑う周さんが教えてくれたことには、以前にあの男の人が山吹堂に来たとき、伊吹さんは「金子を用意しておくから、もうしばらくしたらまた来るといい」とかなんとか言って帰らせたらしいのよね。
あれだけ怒ってた人を言葉だけで帰らせられる伊吹さんの話術、すごいと思うわ。
「……それにしても、意外と騒がしいですよね、ここ」
いつ来るかわからない人を待つ倉庫の中は、存外に賑やかだ。
この前入ったときは気がつかなかったけど、中にしまわれてる商品の劣化を防ぐためか窓がないのよね、ここ。
お店に面してる長暖簾から差し込む光が唯一の光源だから、部屋の中はかなり暗い。
そんな中、さっきから聞こえる鳥のさえずり以外にも、川のせせらぎや室内を歩き回る何者かの衣擦れの音、ヒソヒソとなにかを囁きあうような声がひっきりなしに聞こえてる。
……おかしな話よね。倉庫の中には、私と周さんしかいないのによ?
今も、私の後ろからナニカの濃密な気配がするんだけど、振り返っても誰もいない……というか。
「それに、結局あの葛籠はなんなんですか? 伊吹さんが持ち帰る、って言ったから持ってきましたけど……」
私の視線の先にあるものは、おでかけの最後に海から引き上げた竹製の葛籠だ。
縛っていた縄が緩んだのか蓋がかなりずれていて、引き上げた時点で中身はもう入ってはいなかった。
照魔鏡をかけて見てもなにも見えないし、葛籠自体もけっこうボロボロだったから、てっきり捨て置くのかと思ったんだけど……伊吹さんの一言でこうして持ち帰ることになったのよね。
未だ意図が読めない私とは違い、周さんの方はなにかに感づいてるみたいだけど……。
「まー、ある意味アレが今回の主役だからなあ。出番が来るまで待ってるのさ」
そう言って笑う周さんは、なんだか悪戯を企んでる子供みたいな顔をしてる。
教えてくれればいいのに、って思う反面、その顔に〝めちゃくちゃ楽しみ!〟ってデカデカと書いてあって……その顔を見てると、この状況を周さんが楽しんでるならそれはそれでいいのかなぁ、なんてついつい思ったりもしちゃうのよ。
「…………っっ!」
そんなやるせない思いを抱えてるうちに、不意に店の方から荒々しい足音が聞こえてきた。
それと同時に鼓膜を震わせるのは、間違いなくこの間の男の人の声。
お金がもらえると思ってるのかしら? この前とはうって変わって、声の端々に媚びるような調子が混ざってる。
「ようやくのお出ましだなぁ? これで役者は揃ったってことか」
いっぽうで、私の隣で成り行きを見守っている周さんの声は、どことなく冷たかった。
そのくせ、罠にかかった獲物を前に舌なめずりでもしてるような顔をしてるのよ。
なんとも頼りない暖簾越しに会話を聞いている周さんに倣って、扉の向こうの会話に神経を集中させる。
さっきから、ベラベラと調子のいいことを語っているようだ。この前はあんなに怒ってたのに、今はこんなにヘコヘコして……。
「雪」
中身のない話にいい加減我慢ができなくなっていた頃合いに、不意に伊吹さんが私の名前を読んだ。見えるはずがないのに、二つの満月がこちらを見透かしているような気さえする。
その瞬間に、私が何をすべきか頭の中にぽこぽこと浮かんできた。
――ああ、なるほど……私は、この時のために呼ばれたのね……。
衝動のままに立ち上がり、背後に置いてあった葛籠を抱え上げる。
「お? そろそろ雪ちゃんの出番かぁ。そりゃあ見に行かないとな」
私が動き出したのを見た周さんが、待ってましたといわんばかりに立ち上がり、恭しい仕草で暖簾を捲ってくれた。
大きく開いた光めがけて、私は葛籠を抱えて足を踏み入れる。
「な、なんだよ、お前! どこからでてきやがった!」
私の姿を見止めた男が、威嚇するように大声で怒鳴る。
でも、残念。今の私は、あなたのことちっとも怖くないの。それどころか、あなたを睨み返す余裕まであるのよ?
そう思ってじいっと男の顔を見つめていたら、そこでようやく私が抱えている葛籠に気付いたらしい男の顔色がさっと変わる。
最初は奥から突然現れた私に気を取られていたけど、少し落ち着いたおかげで細かい部分まで気が回るようになったんでしょうね。
「なっっ……そ、その葛篭は……っ! まさか、そんな……そんなわけがあるか!」
恐怖に歪んだ顔で男は後ずさろうとするけど、どうしてか足が動かないようだった。
ヒッ、ヒッと喉の奥で悲鳴を上げながら、その場に縫い留められたまま……それでもどうにか逃げようと必死で藻掻いてる。
そんな男の目の前で、私の腕の中に抱えた葛篭の蓋がゆっくりゆっくり開いていった。
濃厚な磯の匂いと水の気配が、空っぽのはずの葛篭からドッと溢れ出す。
……人の世の理から外れたことが起ころうとしている……。
ぼんやりする頭でも、そのことだけははっきりと分かった。




