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流離の葛篭・溝出:第八話

断続的に超えるのは、ほーい、ほーいと、何かに呼び掛けているような、鳥の鳴き声のような、不思議な音。

それと同時に、水をかき分けて何かがこちらに向かってくる水音がする。


「お、来たな。今日の船頭さんの登場だ」


勢い良く立ち上がった周さんが、高く掲げた掌の上に青白い炎が灯る。

……なるほど。これが狐火……! 実物は初めて見たわ!

こちらの居場所を示すように周さんが手を動かすと、川面にぽつりと明かりが灯った。

周さんの狐火とは違って、こちらは赤みがかった橙色だ。それは、ゆらゆら揺らめきながらこちらへ寄ってくる。

灯りの正体は、猪牙船(ちょきぶね)の舳先に灯された提灯だった。


「やあやあ、旦那方ァ。遅くなりましてぇ……」


器用に櫂を操って船を岸に着けた船頭さんが、目深に被った網代笠を軽く持ち上げて小さく頭を下げる。

姿形も、その声も、ずいぶんとぬらりとしてるなぁ……っていうのが、第一印象ね。

スラリとしてるとか、シュッとしてるとかじゃなくて、なんていうか、こう……本当にぬらぁっとしてるとしか言えないのよ……!


「ここら辺の川で漁をしてる獺だ。これで海まで連れてってもらおうと思ってな」

「はぁ……獺…………なるほど……」


人と言えば人なんだけど、どうしても違和感がぬぐえない船頭さんに面食らう私に、伊吹さんがこっそり耳打ちしてくれた。

獺……獺って、あの……水辺に棲んでるイタチみたいな……!

確かにそう言われれば、にょろりとした雰囲気がそっくりかもしれない。

物珍しさからジロジロ見すぎちゃったかしら。

私の視線に気付いたらしい船頭さんが、私を見て……パチパチと何度か瞬きをした後、弾けるように笑いだした。


「んはは……こりゃあ珍しいお連れさんがご一緒で……」

「可愛いだろう? (おれ)が最近拾ったんだ」

「ハ、なるほど、そりゃあ……掌中の珠、って感じですかィ? ああ、ああ。そう心配しなくても、そうそうひっくり返ったりはしないよぉ。安心して乗っておくれな」


船に乗り込む伊吹さんたちと言葉を交わしていた船頭さんが、おっかなびっくりで船に乗ろうとする私を見てケラケラ笑う。

ひとしきり笑って、笑って……目尻に浮かんだ涙を指で拭った船頭さんが、すっと手を差し伸べてくれた。

うぅん。これぞまさしく〝助け舟〟ね。

それにしても、伊吹さんの言うとおり……船頭さんの腕は毛むくじゃらだし、口の横からは髭が猫みたいにピンピン飛び出てる。

何より、尻っぱしょりにした着物の裾から、長い尻尾がぬうっと出てるのよねぇ。

うーん。人じゃない存在が身近にいるって言うのはわかったつもりだったけど、こうもポンポン遭遇するとは思わなかったわ。


「うんうん。お嬢ちゃんは伊吹の旦那の横に乗るといいさね。そこが一番安全だろうからさぁ」

「ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えて……」


それでも、船頭さんはとっても優しかったから、〝怖い〟と思うことはなかった。

私がどうにか座席に腰を落ち着けたのを確認し、船頭さんが櫂を持ち上げてゆっくりと漕ぎ始める。

船旅のお供は櫂のぎいぎいと鳴る音と、船頭さんが歌う不思議な旋律の舟歌だ。

船が進むにつれて、潮の匂いが強くなっていく。そんなに時間は経っていないはずなのに、もう海に出たの?

沖に進むにつれて、濃い霧がひたひたと押し寄せてきて船の周りを包み込む。


「えぇぇ……霧って、こんなに急に出るものなんですか? 陸は、なんともなかったのに……」

「うーん……出るといえば出るし、出ないといえば出ない、かなぁ?」


気が付けば、私たちは一間先も見えないくらい白い霧にいた。

隣にいる伊吹さんの顔すら霞んで見えないくらい。ちょっと離れたところにいる周さんは、もう服の色すら見えなかった。

独り言みたいな呟きに、舳先の方に腰かけていた周さんが意味ありげな調子で口を開く。

周さんの真意がよくわからずに小首を傾げた時、ふと船頭さんの舟歌に別の音が混ざっていることに気が付いた。

伊吹さんも周さんも……歌ってる船頭さんもなんにも反応してないし、もしかしたら私だけに聞こえてる、ってこと?

それに気が付いた瞬間、耳鳴りに似た甲高い音がキィンと頭の奥に響く。

……この感覚は、前にも感じたことがある……。伊吹さんの倉庫で、カードを見つけた時とそっくりだわ……!


「…………歌が、聞こえる……」


聞こえてきたのは、年配の女の人の声だ。歌詞こそわからないけど、何かを歌ってるみたい。

遠くなったり、近くなったりするその歌は、なんだか私に「こっちにおいで」って呼びかけてるような気がするの……。


「む、来たか。雪、どっちから聞こえる?」

「…………こっち……もっと、右手の方……」

「おぁー。こりゃまたずいぶんと潮の流れに逆らってるなぁ」

「こら、雪。わかったからあまり身を乗り出すな。船が揺れる」


少しでも声を聞きとろうとする私の帯を掴んで引き戻す伊吹さんの声も、困惑したような周さんの声も……どちらもどこか遠くに聞こえる。

伊吹さんの方が近くにいるはずなのに、歌の方がはっきり聞こえる気がするのはどうしてかしら……?

目出度い、目出度いと女の声が歌う。思っていたことが叶って目出度いと歌う声に、狂ったような笑い声が混ざる。

ジカジカと世界が明滅する。

家に押し入ってくる男。

夥しく流れる血。

奪われた宝物。

狭い葛篭。

何かが投げ込まれる音。

全身を押し包むのは、冷たく重い川の水……。

その冷たさがやけにリアルで………………そこでようやく、私は海の水に両手を突っ込んでいたことに気が付いた。

それと同時に、手に何かが当たったような感じがする。


「今だ、雪! 掴め!!!!」


空気を震わせる裂帛の声に、反射的に握った手の中から伝わるモノは、太く荒い縄の感触だった。

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