流離の葛篭・溝出:第七話
追加で頼んでもらった〝クラブハウスサンド〟っていうサンドウヰッチ……コレは大変なシロモノだったわ。
こんがり焼いた薄いパンの間に、焼いた鶏肉とかいろんな葉野菜とか燻製肉とか……いろんな具材が挟んであるの。
だから、齧った途端に口の中いっぱいにいろんな味が広がってね……もう、もう……極楽浄土ってこんな感じなのかしら、って。
しかも、季節によって中の具が変わるらしいから、お金を貯めてまた食べに来なくっちゃ……!
「美味かったか、雪? また来ような」
「……はい! 絶対にまた来てみたいです!」
そんな経験を経て、私たちは今、真橋駅に降り立ったわ。
吟座から真橋まで路面電車に乗って、そこから波間離宮公園まで歩くことにするって、伊吹さんが決めてくれたの。
確かに、歩けない距離ではなかったんだけど……実際にこうして乗ってみると、かなり身楽なのよ。
目的地に行くために、自分で歩かなくていいなんて……いい時代になったわねぇ。
「さーて。真橋芸者の姐さん方も目の保養だけど、波間離宮もまた別の綺麗さがあるからなぁ」
「うーん……人のきれいさと風景のきれいさって、また別のような気もしますけどね」
それにしても、さすがは横波間との間に鉄道が結ばれてるだけあるわ。
もう夕暮れも近いというのに、結構な人出がある。
三味線の袋を抱えて歩くお姐さんたちを横目に見送りながら、私たちは波間利休に向かって足を進めた。
頬を撫でる風に、ほんのりと湿り気が混ざってきたような感じがする。水の気配がずいぶんと濃厚だ。
海が近くなってる、って言うのを否応なしに感じる。
新旧入り混じる建物が多かった風景も、次第に緑が増えていってる。
恩賜公園の近くだから、刈り取られることもなく、なおかつきれいに手入れをされつつ残っているんでしょうね。
「もう少しで瓦斯灯に火が灯る頃合いか」
「ふむ……こっそりと紛れ込むにはいい時合いだな」
「なんて大胆な潜伏宣言……!」
もともとは公方様と宮様のものだった庭園に身を潜めるなんて、いったい何をするつもりなんだろう?
……というより、仮に公園に隠れられたとして、こういう場所って入場者数と退場者数を数えてるものじゃない?
数が合わないって、あとから問題になったりしないかしら?
「雪。ほら、こっちへ来い」
「え、あ、ハ…………うわ、あ……むがっっ……!」
公園近くで私が首を捻っているうちに、伊吹さんたちはなにがしかの準備をすっかり整えたみたいだった。
手招きされるままに伊吹さんの元に歩み寄ると、どこから取り出したものなのか分厚い布のようなものをバサリとかけられた。
もがもが呻きながら藻掻いているうちに、中央に空いていた穴からひょこりと頭を出すことができた。
少し落ち着いた頭で布をよく見てみると、トンビコートの上半分みたいな作りになってる。
マント、っていうのかしらね? 黒色の布は存外に大きくて、私の太腿のあたりまでがすっぽりと埋もれてる。
「天狗の隠れ蓑、ってあるだろう? それを模して急拵えで作ってみたんだが、意外と上手くできたみたいだな」
「隠れ蓑……民話とかでよく聞く、羽織ると姿が見えなくなる……っていう、あの……?」
「うん、その。雪ちゃんはまだ上手く気配を消せないだろうし、こういうのがあると便利だろうなーと思って」
「確かに、気配を消すとかはよくわかりませんけど……でも、そんな凄いマント、世に出して大丈夫なんですか?」
周さんの話を聞く限り、これを着ると周りの人から姿が見えなくなるんでしょ?
私は悪いことに使おうとは思わないけど、もし悪い人の手に渡ったら、悪用され放題じゃない!
……でも、そんな心配は杞憂だったみたい。
「ああ、それに関しては大丈夫。オレが一緒じゃないと使えないようになってるんだ」
「成程。それなら安心ですね」
カラカラ笑う周さんが話してくれた続きを聞いて、ちょっと安心できた。
周さんがいないと使えないって言うのなら、まぁ……。悪用される場面は限られるわよね、うん。
……当の本人が〝悪いことに使おう〟と思わない限りは、だけど。
「よーし。そのフードを被った時から効果が発揮されるから。そしたら、行動開始と行こうか!」
「わかりました。それじゃあ、被ります……!」
伊吹さんと周さんの顔を見ながら、マントと同じく分厚い生地でできたフードを被る。
その途端に、私と周囲とを隔てるように薄い膜のようなもので包まれるような感じがした。
フードを被ったから音が遮断された、とかではなさそう……。
首を傾げっぱなしの私の手を引いて、伊吹さんが公園の中に入っていった。入園料が必要になるかと思ってたけど、無料で入れるみたいね。
無銭入園……とは言わないんだろうけど、悪いことをしてるわけじゃないとわかって一安心だわ。
初めて見る公園の風景に思わず声を上げそうになった私に、しーっと言いながら人差し指を唇に当てた周さんがにこりと笑ってみせる。
いけないいけない! 人にばれちゃいけなかったんだった!
それでも、緑と水路でできた公園は、薄暗い中でもきれいだったわ。
「…………そろそろ人気もなくなったかねぇ? 雪ちゃん、そろそろフードを取ってもいいかもな」
「はい……それにしても、ずいぶんと奥まったところまで来ましたね」
「周。どこでヤツとの待ち合わせ場所はどこだ?」
「稲舞神社の裏手だよ……百年松がいいって言ったのに、押し切られちまった」
いくつもの茂みを越え、水路を跨ぐ橋を越えていくうちに、どんどん周りから人の気配がなくなっていく。
……というか、外では瓦斯灯が灯り始めるくらいに暗くなってるのに、見え方が昼間とあまり変わらないんだけど……これも、私が人間じゃなくなったせいなのかしらね。
待ち合わせ場所が不服そうな周さんに連れられて、辿り着いたところはこじんまりとしたお社の裏手……すぐそばに川というか、堀というかが流れている場所だ。
「この辺りは居心地が悪いから、あんまり長居したくはないんだけどなぁ」
「あー……まぁ、お前としては、なぁ……」
珍しくぶすくれている周さんを、気の毒そうな目で伊吹さんが眺めている。この神社と、何か因縁があるのかしら?
そんなことを考えているうちに、川奥の方から奇妙な音が聞こえてきた。




