第2話 尼子美羅の黄昏
俺はどうしても古城有紀の潔白を証明してやりたくて仕方がなかった。
転校と引っ越しにより、唐突に音信不通という形で俺は捨てられたようなものだったが、心のどこかで有紀の事をまだ信じていた。
引っ越し先で落ち着いたら連絡をしてきて、前のような関係に戻れる事を。
俺はそんな未来を思い描いて、奔走し始めたのだ。
自宅に帰るなり、俺は尼子美羅から借りた怪文書のコピーを食い入るように見つめた。
肉筆で書かれている事から筆跡鑑定でどうなるのかと思ったが、中高一貫の茜色学院の生徒総数は八百人以上いる事もあって、全員の筆跡を俺一人で調査することは到底不可能だという結論にたどり着く。
「……何かないものか」
筆跡鑑定に近い事は、書いた奴がある程度絞られてからすべきだと思い至る。
その前段階の絞り込みの作業をどう行うかで俺は思い悩んだ。
「何故この九人が名指しされた?」
何か理由があったからこそ、名指しまでしたのだろう。
なんら理由がないとするのならば、それは通り魔的な犯行となり、誰でも良かったとなるはずだ。
しかしながら、誰でも良かったのであれば、クラス名だけを明記して、いじめている人物の名前を記さない方が通り魔的な怪文書になり得たはずである。そうしなかったのは、何らかの目的があったはずだ。
「ならば、この九人を選んだ目的は何だ?」
物事には原因があって結果がある。
結果がこの九人であるのならば、原因はこの九人に共通したものとなるはずである。
その共通点とは何か?
まずはそれを調べるべきである、と結論づけて調査を開始した。
* * *
――――――――――6月7日 12:02
昼休みとなり、俺は一人で昼飯を食べるべく、屋上へと向かった。
屋上の扉を開けると、そこには意外な人物がいたため、俺は慌ててドアを閉めて他に行こうとした。
黄昏れている様子であったが、ドアの開く音を聞いてか、その人物が俺を見た。その瞬間、目が合ってしまい、ドアを閉めるのが憚られた。
俺はため息を一つ吐いて、観念してドアを開け放って屋上へと踏み込んだ。
「これはこれは奇遇で。問題児なお嬢様」
挨拶でもしておくかと思い、今朝がた瀬名の話題に上がっていた尼子美羅に一礼した。
尼子美羅は大人びた顔をしている。
父親の仕事を手伝ったりしており、普通の高校生がしないような経験をしているためか、もう心も身体も大人になっていますといった様子を常にまとっている。
しかも、俺達高校生を子供とでも思っているのか、見下すような視線を向けてくることが多い。住む世界が違うのだと言いたげなのが鼻持ちならない女だったりする。
「……探偵? 私に何か用なんてあるはずありませんものね」
尼子美羅は俺を一瞥するも、すぐに興味が失せたのか顔を逸らして、再び物憂げな顔で遠くを眺めるような顔をした。
「尼子美羅。聞いたぞ。どっかの教室のガラスをむしゃくしゃしたからって割ったらしいな」
俺は美羅と距離を置いて屋上の床に座った。
美羅の気色をうかがうも、眉一つ動かさなかった。
「衝動的な犯行ですわ。窓ガラスを見ているうちに、このガラス、私にも割れるのかしら? と思ってしまったんですの。魔が差したのか、自分で割ってしまったんですの」
「試したいお年頃だったのか。ヒステリーって聞いたが、そうじゃなかったんだな」
俺は弁当を広げて食べ始める。
俺を避けて屋上から出ていくのかと思っていたが、そんな事はなく、美羅は黄昏続けていた。
これは好機なのか、それとも、美羅が設定した場なのか。
俺は好機だと思って、メールの件を訊ねようとしたのだが……
「……ねえ、探偵。お金が人を変えてしまうと思う?」
「へ?」
唐突な意味不明な質問に俺は鼻白んだ。
「あなたはお金を積まれたら何でもするのかしら? 例えば……そうね、五千万円を渡されて、人を殺して欲しいと言われたりしたら、実行するかしら?」
「五千万……か。微妙な額だな。生涯賃金を考えると、それよりも遙かに少ないし、俺ならやらないな。十億くらいなら考えるかもな。完全犯罪にしたてて、ばれないようにすればいし」
「探偵らしい返答ね。けれども、五千万円でも人によってはやってしまうと思わないかしら?」
「金に困っている人なら引き受けそうだな。将来よりも目先の金ってな」
「……そうね」
尼子美羅はそこで押し黙ってしまい、遠くを見るような目でどこかを見続けていた。
「そういや、変なメールは届いていないか?」
例のメールが届いたため、俺にその事を訊ねて欲しくて、ここに居続けているのではないかとの可能性に思い至い、そう切り出した。
「メール? どのような?」
美羅は怪訝な表情をして、俺に視線を移した。
しらばっくれているようには見えず、その表情からは演技の断片さえ見つける事はできなかった。
「あの白ワニ事件、何があったのか知っているぞ、とだけ書かれていたメールだが、美羅には来ていないのか? あの事件の関係者には届いているらしいんだが」
「……残念ながら届いてはいないですわ」
思案顔で俺の目を見てきた。
何かを確かめているようなそんな瞳であった。
「五十嵐麗子、錦屋いなりとかには届いていたらしいんだが、本当に届いて居ないのか? 迷惑メールとして処理したとかそんな事はないのか?」
「ない、と断言しますわ。そのようなメールを受け取っていたら、あなたにまず報告しますもの。あなたが一番興味を示しそうですもの」
「美羅が受け取っていないという事はつまり……」
まだ話を聞いていない、あの事件の関係者である桜庭美奈、大塚珠希にも、メールの件を問いただす必要性がありそうだ。
もし全員が受け取っていないようならば、これにも何か法則性が存在している可能性を示す。
その法則性さえ見つけ出しさえすれば、この問題の本質を見抜くことができそうだ。
誰が何の目的であのようなメールを出したのかの真意が。
……あれ?
どうして、俺があの事件に関わろうと積極的になっているんだ?
古城有紀に再会した影響なのだろうか。
それとも……。
「……さて」
弁当を一気にかき込むと、俺はおもむろに立ち上がった。
この昼休みを最大限活用しないといけないようだ。
「そういえば、先日、古城有紀に再会したぞ。元気そうだったな、有紀は」
「有紀は相変わらずですわ」
「あれ? 会っていたのか?」
「当然ですわ」
有紀と再会してどんな話をしたのか訊こうかと思った時、不意に屋上の扉が開いた。
昼休みであっても、何故か滅多に利用者がいない屋上にこんなに人が来るなんて珍しいと思いながら、扉の方へと目を向けた。
「錦屋……いなり?」
屋上へと来たのは、錦屋いなりであった。
しかしながら、図書室で眠り猫シキの謎を解いた時とは、様相が異なっていた。
頭に包帯を巻いているだけではなく、右足に怪我でもしたのか松葉杖をついていた。何かしらの事故に巻き込まれて、大怪我を負ったかのようであった。
「やっぱりここにいたのです」
外見が痛々しいというのに、いなりは以前と変わらぬ朗らかな笑みを浮かべた。
「いなり、どうしたんだ? 怪我をしたのか?」
いなりは松葉杖を使って、懸命にも俺の前まで歩いてくると、俺の顔をのぞき込むようにして見上げてくる。
その目は俺に何かを望もうとしている目そのものであった。
「数日前に通り魔に逢ってしまって、こんな怪我をしてしまったのです」
衝撃の事実を知り、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が全身を駆け抜けた。
「通り魔って……」
ここ数日、ニュースや新聞などを全くチェックしていなかったが、ここ茜色市で通り魔事件なんていうものは初耳だった。
そういった情報を拾うアンテナを立てていなかった自分を呪った。
横目で尼子美羅を見ると、悲しげな表情をして顔を曇らせていた。同級生が通り魔に逢ったという事実を知り、恐怖心を抱いたのかもしれない。
「なので、探偵さんには解決して欲しい事があるのです」
「いなりを襲った通り魔の件か?」
それは俺の領分ではなく警察の本分だろう、と言いたかったが、俺にできる事であれば最大限協力はしたい。
「あのメールの謎を解いて欲しいのです」
いなりはまっすぐな瞳で俺の目を射貫くように見つめてくる。
目をそらすのが憚られるほどの瞳で。
「あの白ワニ事件、何があったのか知っているぞ……のメールか。分かっている」
「昨日、愛川ひとみちゃんも通り魔に襲われたそうなのです」
「……は?」
昨日と言えば、八丁堀姫子とデートした日だ。
しかも、その帰り道で、愛川ひとみとはばったりと出会っている。
襲われたとするのならば、俺達と会った後なのだろうか。
俺と立ち話をしてしまったが故に、通り魔に襲われた可能性も否定しきれない。
誤差であれ、俺と数分の立ち話をしなければ、通り魔に狙われずに無事に帰宅したという世界線があったかもしれない。
愛川ひとみが襲われる要因を俺が作ってしまったかもしれないのが悔やんでも悔やみきれない。
「今日の朝、通り魔が出没しているかもしれないので、当塾の生徒は来る時には注意してくださいというとメールであったのです」
「……他にも誰か犠牲になっているのか?」
「はいなのです。私が襲われた次の日には、五十嵐麗子ちゃんが襲われているのです。私もなのですが、警棒で何度も殴られていて、ひどい怪我をしているのです。私なんか骨が折れていて痛いのです」
陰鬱さを包み隠さずに、いなりはそう口にした。
痛みを我慢してまで俺に会いに来て、真相究明を依頼してくる。
錦屋いなりはおっとりとしているようで、強い子なのだと分かった。
「……そういう事か。メールと通り魔の関連性か。偶然なのか、必然なのか……か」
あの麗子も襲われたというのか。
つい最近普通……とは言えないまでも話した相手だったのに。
今のところ通り魔に襲われたのは、錦屋いなり、五十嵐麗子、愛川ひとみの三人なのか。
通り魔の衝動的な犯行を装いながらも、実は計画的な犯行という線が強いとも思える。
「探偵の領分のようですわね」
尼子美羅の一言が俺の背中を押した。
白ワニ事件の亡霊か何かが出現し、通り魔となっているのならば、俺が関わるべきなのだろう。
それが偶然であれ、必然であれ。
「通り魔はどんな格好をしていた? 覚えている限りの事を訊かせてくれ」
「赤いロングコートを着ていて、長い黒髪の人なのです。マスクとサングラスをしていて、顔までは分からないのです。口裂け女のような人だったのです」
「……ッ!?」
同じような特徴の人物になら、俺達は昨日遭遇している。
茜色学習塾の前で偶然にも。
違う。
あの遭遇は、偶然ではない。
愛川ひとみを狙っていたとするのならば、通り魔的犯行ではなく、計画的な暴行事件という事になる。
学習塾の前で待ち伏せをして、愛川の跡を付け、そして、襲ったとするのならば計画的だ。
だが、あんな目立つ格好でつけ回すには、リスクがつきまとう。それを承知であんな目立つ格好だったのだろうか。
あの格好に何か意味があったというのか?
「私が覚えているのは、それだけなのです」
「ありがとう。その情報だけで十分だ」
通り魔の件は、学校にいる間に調べるのは不可能に近いから、まずはあの事件の関係者である桜庭美奈、大塚珠希に話を聞くことだ。
その後は、ちょっと気になる事があるので、それを調べるとしよう。
今は一秒一分が惜しい。
昼休み中になんとか二人に話を聞きたいし。
俺は調査を開始するために一歩踏み出そうとしたのだが……。
「探偵も、いなりさんも、古城有紀を見かけたら優しくして上げて欲しいですわ」
俺の気が急いているのを感じ取ってか、尼子美羅がそう声をかけてきた。
どういう意図で、今そんな事を言う?
何か裏で動いているというのか、尼子美羅は。




