第5話 姫子とのデートの夜に
――――――――――6月6日 19:30
もう一軒のファミレスで食事をした後、俺と姫子は私鉄神五目線に乗り茜色駅へと帰ってきたのだが、到着した頃にはすっかり日が暮れていた。
ファミレスで姫子に粘られたのが、戻るのが遅くなった理由でもあった。
食事中もそうだったのだが、どうして一軒目のファミレスを避けたのかと散々質問してきた。
あまりにもしつこかったのだ。一条銀次の名前さえ口にするのを忌避したかったのであえて口を閉ざした。
『瀬名と一緒に行ってみるといい。タイミングが良ければ、教えてくれるだろう』
その質問にうんざりしてきたので、一応そう答えておいた。
あの男を見れば、瀬名も同じ反応を示すだろうから姫子も察するに違いない。
会いたくないというか、関わり合いになりたくない奴があのファミレスで働いているという事を。
「お兄さんって、やっぱり優しい! そういうところ、大好き!」
日が暮れている事もあり、中学生を一人で帰すわけにはいかないと思って、俺は姫子を家まで送ることにした。
俺と一緒にいられる時間が続いて嬉しいようで、高尾山でへばった事など忘却の彼方へとやってしまったかのように元気を取り戻していた。
しかも、茜色駅の改札を通るなり、姫子は腕を無理矢理に絡めてきて、俺に身体を寄せてくるものだから、小さな子供に絡まれた犬か猫のように達観したような気分になっていた。
拒絶したり抵抗したりするよりも、姫子のやりたいようにやらせておくのが一番かもしれない。
「……」
姫子の家へと向かおうとした矢先、二子社駅のファミレスで働いていたのを見かけた一条銀次が俺を追い抜かして足早で街の中へと駆けていった。
おそらくは、仕事帰りのあの男と同じ電車に乗っていたのだろう。
その横顔を見ただけで、憎悪にも似た嫌悪感が全身を駆け巡る。
だが、それを俺に寄り添っている姫子には悟られまいと平静を装った。
「……お兄さん?」
一瞬の変化であったはずなのに、どうやら姫子には悟られてしまったようだ。
身体をぴったりと寄り添わせ、心配そうな顔で俺をして見上げていた。
「気にするな。ちょっと疲れが出ただけだ」
姫子は小首を傾げるも、それ以上は何も訊いてはこようとはしなかった。
今、姫子は何を感じ取ったのだろうか。
俺の憎悪なのだろうか?
それとも、嫌悪感なのだろうか?
「さ、帰るぞ」
足早で先に進む。
姫子は遅れまいと、俺の歩調に合わせて歩き始めた。
姫子の家までは徒歩五分程度の距離にある。小学生の頃から瀬名と遊ぶためによく行っていたから、目を閉じても行こうと思えば行けるはずだ。車にひかれたりする可能性がゼロならば、の話だが。
「……げぇ!」
とあるビルの前を通ろうとした時、奇っ怪な女の声が耳に入ったので、俺は声がした方にさりげなく顔を向ける。
すると、目が合ってしまった。
夜の街中でも、茶色に染まっていると分かる髪を肩の辺りまで伸ばしていて、俺でさえ気づくような分かりやすい化粧を顔に施している愛川ひとみであった。
どうやらこのビルから出てきたところだったようだ。
何のビルだったかと思って、案内板に目を向けると、『茜色学習塾』という文字が目に入った。他は三丸株式会社などという表記があるが、そういったところに、愛川ひとみが行っていたとは考えにくい。
愛川ひとみは外見はアレだが、テストではそれなりの順位にいる。大学受験なども見据えて、茜色学習塾に通っているのだと推測できた。
茜色学習塾は、講師のレベルがそれなりという事もあってか、地元では結構人気がある。ワンフロアを借り切っていて、中高大受験を見据えた少人数での指導などを行っていると聞いた覚えがある。
「げぇ、探偵かよ。しかも、何、小学生っぽい彼女と腕を絡めて。ロリコンかよ」
愛川ひとみは露骨に気色悪そうな顔をして俺と姫子を見た。
「ロリコンとは失敬な。それに、こいつは中等部だ」
俺は立ち止まり、愛川ひとみに抗議の意を示すように睨み付けた。
こいつは俺以上に口が悪い。
思っている事をすぐに言葉にしてしまう短絡的なところがあるのが玉に瑕だ。
性格は悪くはないんだが、口の悪さから敬遠されがちな女子でもある。
確か、五十嵐麗子との相性が最悪で、二人が顔を合わせると、言い争いに近い事によくなっていた覚えがある。
「小学生も、中等部も関係ないっしょ? 高等部じゃ誰にも相手をされなくなったからって中等部の奴に手を出したのかよ、気持ち悪ッ」
相手にされなくなったという愛川の言葉は的確と言える。
高等部の人間で、俺に積極的に関わり合いを持とうとしているのは、八丁堀瀬名くらいなものだ。
中等部時代、古城有紀の件で真実を突き止めた後、学院側に有紀の処分撤回を求めて署名活動などをした事で、俺は瀬名以外の同級生から煙たがられて距離を置かれて孤立した。
それが今も続いているところがある。
「お姉さん、それは違う! 私がお兄さんに手を出したの!」
俺が口を開こうとした矢先、姫子の方が渋面を隠さずに愛川ひとみを凝視した。
「うへぇ」
姫子の反論に愛川は変な顔をして、奇妙な声を出した。
「こいつは八丁堀瀬名の妹だ。そういえば、お前なら分かるだろ?」
「へぇ……瀬名くんの妹」
愛川は目を見張って、興味津々といった様子で姫子を見た。
瀬名に妹がいることは知っていても、こいつだとは見知ってはいなかったようだ。
「なので、あんまり悪く言わないでくれ」
「親友の妹に好かれるのはよくある事よね。収まるべき鞘に収まったみたいなものね。なら、好きにやりなさいよ」
もう俺と話す事は何もないといった様子で、愛川は俺たちを避けるように歩き出す。
「変なメールが来なかったか?」
愛川の背中に俺はそんな言葉を放り投げた。
ピタリと愛川の足が止まったが、振り返りはしなかった。
「あの白ワニ事件、何があったのか知っているぞ」
あのメールの文面をさらに愛川の背中へと投げつける。
「あたしにも、そのメール来たよ。すぐにゴミ箱に入れた。でも、探偵がなんで知っているのよ? もしかして、あんたが出したの? そうだったら、悪趣味すぎ」
愛川は振り向かず、投げやりに言う。
「五十嵐麗子と、錦屋いなりから相談を受けた。それだけだ」
「……ああ、探偵の領分ね。なら言っておくけど、一穂と絵里にも同じメールが来てたそうよ。さっき塾の教室でね、あたしに話しかけてきて確認してきたのよ、その二人が」
「一穂と絵里……? 三富一穂と赤城絵里か? 他の奴からは何か聞いてないか?」
「それは探偵が調べなよ。あたしは知らない」
愛川は俺達を一顧だにせずに歩き出した。
俺はそんな愛川の背中が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。
麗子、いなりと同じようにメールで送付されたとしたら、やはり学院の関係者が送ったメールなのだろうか。
あの関係者のメールアドレスを知っているような人物ならば限定されるはずだ。
割合、すんなりとメールを送付した人物の特定はできそうな気がする。
だが、不安要素はある。あの関係者が俺に話してくれるかどうかという事だ。
愛川でさえ認知している事だが、俺は高等部では嫌われているので、話してくれない可能性が高い。
「……お兄さん?」
腕を絡めたままの姫子が俺の腕を引っ張り始めたので、俺は思考の海からあっさり引き上げられた。
「さっさと帰ろう」
「白ワニ事件って何?」
「昔あった事件だ。ただそれだけだよ」
「ふ~ん」
俺はそれ以上何かを訊かれるのが嫌だったので歩き出そうとしたのだが……。
「……」
俺達の目の前に奇妙な風貌の人物がいて、俺は射すくめられたように前へと進む事ができなかった。
白いマスクに、サングラスをかけていて顔が見えない、腰の辺りまで伸びている黒髪を強調するかのように真っ赤なロングコートを着ている人物であった。
俺達の事を注視しているのか、それとも、俺達がいるせいで先に進む事ができず立ち止まっているのか、サングラスで目が見えない上、マスクをしているため表情が読み取れず、判然としていなかった。深く息を吸い込んでいるのか喉が何度も何度も隆起していた。
俺が身構えると、姫子も警戒心を露わにして、真っ赤なロングコートを着た人物に身構えた。
「……」
だが、そんな警戒心など無用だったように、赤いロングコートの人物は俺達の方へと歩いてくると、何事もなかったかのように横を通り過ぎて、夜の闇の中へと消えていった。
どうやら、俺達が邪魔だったので立ち止まっていただけのようだ。
「……口裂け女みたいだったね、あの人」
緊張感を息と共に吐き出した後、姫子がぼそりと呟いた。
「赤いロングコートに、マスク……か」
言われてみれば、そうだ。
都市伝説である『口裂け女』そっくりの外見であった。
口裂け女と言えば、1979年の春から夏にかけて日本で流れたとされ、社会問題にまで発展した都市伝説だ。
赤い服を着ている、そして、マスクという外見的特徴は、なるほど口裂け女そのものだ。
サングラスはどうだろうか。
一部の噂では、サングラスをかけていた口裂け女もいたとされており、口裂け女の特徴として合ってはいる。
だがしかし、あの人物を口裂け女だと思うには、何か激しい違和感が残った。
なんだろうか、この違和感は。
俺は姫子を家まで送った後、帰宅するまでその違和感の正体を求め続けたが、結局、答えを見つけることはできなかった……。




