56、待ってるから
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目を覚ましたナタリアはもはや懐かしさすら感じる硬いベッドの上に横たわっていた。
「……生きてたか、俺……」
ゆっくりと体を起こすと、見えるのは至る所が包帯でぐるぐる巻きにされている無様な自分の体。
あの時は自分が死ぬことを全く疑っていなかった。我ながらこの傷でよく生きていたものだ。よく見てみると、床にはポーションが入っていたと見られる大量の空き瓶がそこら中に転がっている。流石は異世界だ。医者は居なずとも簡単には死なせてはくれんらしい。
「タバコ……」
ここは俺が泊まっていた部屋だ。最近は暫く帰っていなかったが、この部屋がそのままなら恐らく……。
ナタリアは備え付けのテーブルの二番目の引き出しを開ける。
「あった」
どうやら女将はまだ部屋をそのままにしてくれいたらしい。宿屋のロゴが入っているマッチ箱からマッチを取り出すと、擦り付けた瞬間ほんのりとしたイオウが香る。
早速タバコに火をつけると、病み上がりの肺に煙を流し込む。
「ふぅ……」
ふと、視線を下に下げると、枕元に一枚の手紙が置いてあることに気づく。
[僕とアナタが初めて会った場所で待っている]
手紙には差出人の名は書いておらず、代わりに書いてあったのはその一言だけだった。
「いつから待ってんだよ……」
すると、部屋の扉がノックも無しにゆっくりと開く。
ナタリアは慌てて手紙を懐に隠す。
「あれ、この匂いって…ナタリアさん!?」
「入るならノックくらいしろ」
すぐさまビアンナはナタリアの傷のことも忘れ、その胸に飛び込んできた。
「お、おい……」
「良かった…生きてた!!」
「よせ、くっつくな」
ナタリアは少々強引にエイラを引き剥がすと、慌ててタバコの火を消し、窓を全開にすると、風が一気に流れ込み部屋の空気を循環する。
「タバコ、吸っててもよかったのに」
「なわけいくか……」
「でも私は気にしないよ」
「俺が気にするんだ」
ったく、吸い始めたばっかりだったっていうのに。
「…お前がここまで連れてきてくれたのか?」
「ううん。ナタリアさんが常連だっていうバーのマスターさんが連れてきてくれたの。ウチの店だと休まるものも休まらないだろうからって」
あのマスターに貸しを作ってしまうとは。今度会った時いくらぼったくられるのか心配で仕方ない。
「それにエイラ様もナタリアさんのお見舞いに来てたから、凄くびっくりしたんだからね!」
「そうか……」
こうして暫くの間、ここや俺の身が守られていたのも彼女のお陰だったということか。一国の王女様が無茶をする。
「ねぇ、ナタリアさんとエイラ様ってどんな関係なの?」
「ある意味、腐れ縁みたいものだ」
「くされえん?」
「親友ってことだ」
すると突然、ナタリアは徐に包帯を剥がし始める。
「え、ダメだよ無理しちゃ!」
「心配するな、お陰でもうこの通りだ」
ナタリアはこれ見よがしに腹筋や腕立て伏せをしてみせる。
「な?」
「嘘」
するとエイラはなんの躊躇もなく、傷が深い脇腹部分を小指で突っついた。
「ぐふっ…」
だんだんビアンナもナタリアの扱いを分かってきているようで、なんでもお見通しだった。
「ほらね。無理しちゃダメだって言ってるでしょ?大人しく横になってて」
きっとビアンナは俺のことを心配してくれているのだろう。気持ちはちゃんと伝わってる。
「そんなわけにはいくか」
だからこそここで大人しくしているわけにはいかない。今の俺は世間を騒がす大罪人で命を狙われる身。いくらエイラが手を回していたとしても、どこにだって言うことを聞かない跳ねっ返りはいるものだ。そうなれば俺がここに長居すればするほどビアンナや女将を危険に晒すことになってしまう。それは俺が望んでいることでは無い。
「やめてよ。ダメだってば……!」
ナタリアはビアンナの制止も無視して、黙々と荷物をまとめ始める。
「前払いしてもらった一カ月分の部屋代。まだ、一週間分も残ってるんだよ」
「釣りはいらない。浮いた分は女将に頼んでお小遣いにでもしてもらえ」
「そんなこと、ママが許してくれないよ…」
「だろうな。じゃあ仕方ない」
無理をしてでも部屋を出て行こうとするナタリア。その背中を見てビアンナは思いっきり抱きつく。
「お願いだから行かないで……!!」
おいおい…こんな展開、それは無いだろ。
「いいから離れろ…」
「今、この国はめちゃくちゃだよ。モンスター達が襲ってきたせいでお客さんも友達もみんないなくなった。それなのにナタリアさんまでいなくなって欲しくない!」
マズイな。この状況でそんなこと言われたら気が変わるのも時間の問題だ。なんとかしなければ。
「直ぐに客も友達も戻ってくるさ。その為にここを離れるんだ。だから俺がいなくなっても問題はない」
「ナタリアさんに死んで欲しくないの!」
「俺は死なない」
「そう言って、パパは死んで二度と帰ってこなかったもん!」
声を掠らせながら泣き噦るビアンナ。これにはナタリアも困り顔だ。
「だからお願いだよ。もう少し、その場にいて…」
「あんまりうちの太客を困らせるじゃないよ、ビアンナ」
太客って。太客の前で言うことか。
「ママ……」
それでもようやくやってきた助け舟。女将の登場にそっと心を撫で下ろす。
「こっちにおいでビアンナ。お客様のお帰りだよ、ちゃんと見送りな」
「イヤだ…」
「ビアンナがワガママを言うなんて珍しい。だけどそのワガママを聞く気はないよ」
女将はナタリアにしがみつくビアンナをひょいと持ち上げ引き剥がす。
「母親ってのはね、娘のワガママに耳を貸しても、思い通りにさせないのが仕事なんだよ」
「……それでママはいいの?」
「いいに決まってるだろ。いくらナタリアがウチの太客とはいえ、その正体が他の客にでもバレてみな。ウチみたいなオンボロは直ぐに潰れちまうよ」
女将の言う通り、俺みたいな訳アリを泊まらせておくメリットなど何一つないのだ。寧ろ、今まで俺の正体を知っても尚、部屋を貸してくれていたことに感謝しなくては。
「じゃあなんで、ママは悲しそうな顔をしているの……?」
言われてみれば、涙こそ流していないがいつものような余裕な雰囲気も無い。
「バカ言っちゃいけないよ。そんなわけないだろ」
「でも、」
「いいかいビアンナ。ナタリアのことをお前の父親と重ねているなら一つ言っておくよ。私は今も、あの人を戦場に送ったことを後悔なんてしちゃいない」
そういえば、前にこんな話を耳にしたことがある。この宿の主人は騎士団の元兵士。除隊後、妻と共に宿を始めたが、その数年後に主人は戦争に駆り出され、帰ってきた時にはもう……。
その経験が今もビアンナは忘れられずにいるのだろう。
「だけどそれでパパは……!」
「だけどね、あの人が自分の意思で、覚悟を決めて、その道を選んだんだ。パパのことを今でも好きならその覚悟を否定しないでおやり」
ビアンナはそれからずっと黙ったままだった。
「それにあの人もナタリアもやめろと言ってやめるような中途半端なヤツじゃない。私達みたいなのができるのは、その背中をそっと見守ってやることだけさ」
すると女将はナタリアに見覚えのある小袋を投げ渡した。
「ほらよ」
「?…」
中身は、前払いで渡しておいた部屋料一カ月分、それの残りだった。
「釣りならいらない。今までの迷惑料として貰っておいてくれ」
「だとしたら足りないよ」
女将に投げ返すと、また直ぐに投げ返されてしまった。
「死なないんだろ?だったらその残った金で、またウチに泊まりに来な。この部屋はそれまで空けておいてやる」
アンタって人は……。
「女将は本当に太っ腹だな。惚れ惚れするよ」
「悪いけど私に女を抱く趣味は無いんだよ」
「フッ、それは残念だ」
こんなこと言われたら、泊まりに来ないわけには行かなくなってしまったな。
「この子のことは私に任せて、早く行きな」
ナタリアは静かに頷き部屋を後にしようとする。しかし、ずっと下を向いたままのビアンナのことがどうしても気になってしまい、直前で足を止める。
「……ビアンナ」
するとナタリアはにポーチから予備の銃を取り出すと、そこに弾を一発だけ込めて、ビアンナに渡す。
「…私にはいらないよ、そんなの……」
「分かってる。だからこれは貸すだけだ」
ビアンナの手にそっと握らせる。子供の手にはまだ大きく、格好もつかない。
「俺はまたここに泊まりにくる。それまでこれはもしもの時のお守りみたいなものだと思って持っていてくれ」
「お守り……?」
「使わないならそれに越したことはない。でも、そのもしもが来た時は遠慮なくその引き金を引け。たった一発だが、その一撃は運命を変える一発になるかもしれない」
ビアンナは受け取った銃をまじまじと見つめる。
「…分かった。これは私が責任を持って預かる。だけど、そのもしもの時は来ないよ」
「なんでそう言い切れる?」
「その前にナタリアさんが戻ってくるから」
ビアンナの頭を優しく撫でる。
「私、待ってるから!!」
ナタリアはそれに答えないまま、後ろ姿で手だけ振りかえし、宿を去った。
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