縄文06 火
遠くの闇から、低い唸り声が響いた。
グルルルル……。
南条アリスの背筋を、冷たいものが這い上がる。
犬とはまるで違った。
もっと低く、もっと重い。
聞いただけで、近づいてはいけないと体が勝手に理解してしまうような声だった。
土の家の空気が変わる。
さっきまで火を囲んでいた男たちが、別人みたいな顔で手に取るのは石の刃、長い槍、先端で火が燃えている木の棒。
女たちは子どもを自分の後ろへ引き寄せ、火のそばに集まっている。
小さな子が泣き出した。
その声を聞いただけで、アリスまで胸がぎゅっと苦しくなった。
入口の外では、誰かが次々と木を火へ放り込んでいる。
乾いた枝が爆ぜ、炎が高くなるたび、外の闇が少しずつ押し返されていった。
そこでようやく気づく。
火を怖がっているんだ。
外の“何か”が。
また唸り声が響く。
さっきより近い。
入口の向こうを、黒い影が横切った。
速い。
目で追えないほどだった。
アリスはとっさに口を押さえる。
男たちが叫び声を上げた。
凄まじい迫力に身体が強張る。
槍を構え、燃える木を突き出す。
グルルルッ!!
獣の声も一際大きく響き渡る。
入口近くの男が火を大きく振る。
赤い火の粉がぱっと散り、その一瞬だけ闇の奥が見えた。
目だった。
真っ黒な毛皮の中に光る金色の目。
ひとつじゃない。
ふたつ。
みっつ。
暗闇の中で、いくつもの目が低く光っていた。
アリスの指先から血の気が引く。
一匹じゃない。
何匹もいる。
群れでこの場所を襲いかかり、この家の周囲を取り囲み、私達に手を出そうとしている。
みんな、本気で怯えていた。
男達の叫び声は、必死だった。
家のに2残っている女性や子供達は、本気で怯えて震えていた。
アリスは毛皮をぎゅっと握る。
ふと、隣へ気配が落ちた。
あの女の子だった。
何も言わない。ただアリスの隣へ座り、一緒に火を見ている。
強そうに見えていた横顔は、よく見ると少しこわばっていた。
その顔を見て、アリスはようやく気づく。
この子だって怖いんだ。
火の向こうで男たちが声を張り上げる。
誰かが木を運び、誰かが炎へ投げ込む。煙が増え、目が痛い。喉まで焼けるみたいだった。
それでも、炎が強くなるほど外の気配は少しずつ遠ざかっていく。
グルル……。
唸り声が離れていく。
男たちはまだ槍を構えたままだったが、張りつめていた空気がほんの少しだけ緩んだ。子どもの泣き声も止まる。
アリスはぼんやり炎を見つめた。
もし、この火が消えたら。
あれが入ってくる。
なぜか、それだけははっきり分かった。
だからみんな必死なんだ。
昨日まで、火なんてスイッチひとつだったのに。
ブルッ。
胸の奥でスマホが震える。
ブルッ。
もう一度。
アリスは毛皮の中で、そっとスマホを握りしめた。




