飛鳥08 17条の憲法
夜になり、鎌足の家もようやく静かになった。
土間の上に敷かれた筵の上に横になる。
掛け布代わりの布は思ったより薄い。
これ、冬だったら絶対寒い……。
そう思いながら体を丸め、布の中で光が漏れないようにスマホを取り出し、ライメッセを開く。
うわ、お兄ちゃんからこんなにきてる!
気づかない内に、レンからのライメッセが何通か来ていた。
【レン】木簡の写真沢山送ってきたのか?
【レン】これを読めって?
【レン】 無茶振りすんな。
【レン】17枚? これで全部か?
【レン】この木簡、多分、聖徳太子の17条の憲法だな。
「じゅうしち……?」
アリスは首を傾げた。
そこで、ブルッとスマホが震える。
【レン】どうせ知らないよな。
エスパーか!
アリスの頬が引きつる。
【レン】聖徳太子が作ったとされる役人への教えだ。
【アリス】法律?
【レン】いや、憲法というけど、少し違う。
【レン】こういう心構えで国を治めよう、っていう役人のルールみたいなものだ。
アリスは送った写真をもう一度開いた。
読めない漢字ばかりだった木札が、急に気になってくる。
【アリス】何が書いてあるの?
少し間が空いた。
【レン】一番有名なのは最初。
【レン】一曰 以和爲貴 無忤爲宗
【レン】意味は、第一条 和を以て貴しとなす
【アリス】すごい! さすがお兄ちゃん!
【レン】ネットで調べてるだけだ。
【レン】和が一番大事だって意味だ。
【アリス】和?
【レン】簡単に言えば、調和だ。人と争わず、話し合って協力することを大切にしろってことだ。
アリスは目を丸くした。
【アリス】うそでしょ?
【レン】うそって? 何が?
【アリス】聖徳太子が、決めたルールなんだよね?
アリスには信じられなかった。
聖徳太子は、当時、この国の政治を動かしていた、とても偉い人だった筈だ。
そんな人が、「和」?
争いを避けて調和?
――違和感しかない。
アリスは、埴輪村でも、ココ村でも感じていた。
この世界は、今まで自分がいた時と違う怖い世界だ。
みんな、村の人達は優しい人ばかりだった。
おばあちゃんも、ハニャさんやおじいちゃんも。
けれど、国を支配している人たちは違う。
占いで簡単に村を焼く猫目の男の笑い顔、大王の使いのおじいちゃんへの態度、兵士達の濁った目。
本当に怖い人達が沢山いるのだ。
それに、食べ物を手に入れるために命がけでみんな生きている。
だから、みんなゆとりなんてない。
あたしが、無事にこうして生きていられるのは、単にラッキーだったからだ。
ここは、暴力的な世界だ。
それを肌でアリスは知った。
簡単に、人を殺せる人が支配している場所だ。
【アリス】聖徳太子って、何者?
【アリス】そんな綺麗事いう人は信じられない!
【レン】どうした?
【レン】綺麗事と言われても、だから聖徳太子は尊敬されてるんじゃないのか?
アリスは思わず黙る。
やっぱり、あたしは信じられない。
聖徳太子って、何を考えてそんな事を?
邪馬台国では、兵士達があの猫目の命令で簡単に村を焼いていた。
偉い人の命令で、古墳を作るために沢山の人達が重い石を運んだり埴輪を作ったりしているのを見た。
この世界を「和」でまとめるなんて無理だと思う。
和……。
そう言えば、カマッタリの部屋にあった棚の木にも和が書いてあった。
あの綺麗な字で書かれていた木簡も、17条の憲法だったのだろうか。
【レン】他にもあるぞ。
【レン】仏教を大事にしろとか、天皇の命令を守りなさいとかな。
【アリス】天皇? もういるの?
【レン】は? いるに決まってるだろ。
【レン】例えば、そうだな、あの巨大な古墳だけど。
【レン】あれ、日本で一番大きい有名な前方後円墳だ。
【アリス】えっ、あれが?
【レン】大仙古墳だ。第十六代・仁徳天皇の墓だと言われている。
【アリス】大王って、天皇様のことだったの?
【レン】まぁ、今の天皇につながる存在だな。あの頃は大王と呼ばれていた。
【レン】で、お前が今いるのは第三十三代・推古天皇の時代。
十六代と三十三代!?
それって……。
【レン】つまり、お前は古墳時代から二百年くらい未来へ進んだことになる。
「二百年……」
画面を見つめながら、アリスは思わず呟いた。
やがて、レンから別の話題が送られてきた。
【レン】そうだ。
【レン】お前に伝えたかったことがある。
【アリス】あ、昨日言ってたこと?
【レン】ああ。タイムカプセルなんだが。
その文字を見た途端に、アリスの胸が苦しくなる。
けれど、すぐに震えて送られてきたメッセージに、アリスは首を傾げる。
【レン】シマエナガ埴輪。
え?
そして次のメッセージを見て、アリスは飛び起きた。
【レン】見つかった。
「はぁ!?」
【アリス】見つかったって?
【アリス】どういうこと? どういうこと?
あの丸い土人形。
少しの間だったけれど、一緒に眠っていた可愛い子だ。
それが、見つかった?
【レン】本当に存在した。見つかったんだ。
【アリス】ねねねね! どういうこと?
意味がわからない。
けれど、すごいことが起きた予感がアリスを昂ぶらせる。
【レン】こっちから、そっちにやっぱり画像は送れないらしい。
【レン】記事の文面だけ送るぞ
【レン】『全国でも例のない形の、鳥を思わせる埴輪が数百体確認された』
そして長文の貼り付けられた記事が送られてくる。
え。
なになに?
アリスは記事を読み、ますます混乱する。
画像は見れないけれど、あたしが作ったシマエナガが数百体?
1個じゃないの?
これ、どういうこと?
【レン】多分、あの少年だろ?
【アリス】あたし、1個しか作ってないよ!
【レン】だから、お前がいなくなったあと、沢山作ったんだろ?
【アリス】数百体も?
【レン】それしか考えられない。
【レン】このデザインの埴輪は、お前の作ったものしかないと思うぞ。
どうして、そんなに作ったの……。
アリスはスマホを握りしめる。
まだ、理解できないのに、心が締め付けられていた。
【レン】きっと突然消えたお前を想ってだろうな。
……あたしを思って、シマエナガを沢山作った?
ふいに、少年の笑顔が目に浮かんだ。
……もう忘れられていると思っていた。
……もう会えないと思っていた。
【レン】少年がお前に向けたタイムカプセルだ。
【レン】あの子の想いが千五百年を越えて現代に届いた。
【レン】写真は送れないけど、伝えたくて。
画面を見ながら、アリスは静かに笑った。
その頬に涙がこぼれ落ちる。
あの子。
毎日一緒に遊んで。
毎日一緒に埴輪を作って。
照れながら渡してくれた、小さなシマエナガ。
数百も作ってくれたんだ……。
もう会えないけれど、埴輪だけは残った。
【レン】これでもう疑いようがない。
――え?
【レン】アリスが今いる場所。
アリスは息をとめる。
【レン】日本の過去の歴史にタイムスリップしてるって事。
【レン】そしてそこは、千四百年前の飛鳥時代だ。
◇
残酷なライメッセを送ったレンの表情は硬い。
少年の埴輪で、アリスは過去にいる事が確定した。
けれど……。
レンの目が、少しずつ細まり、険しいものになっていく。
……ちょっと、待て。
アリスにシマエナガ埴輪の事を伝えながら、レンは気付いてしまった。
つまり。
アリスがいた古墳時代は、日本の歴史そのものだ。
パラレルワールドなんかじゃない。
俺のいる世界の過去。
一つの時間が、そのまま繋がっている、同じ世界線。
レンはスマホを握り締めた。
――六月。
アリスがあの日、星空の写真を送ってきた夜。
あの日、アリスは縄文時代へ、何らかの理由でタイムスリップしてしまった。
あの日から弥生時代も、古墳時代も、飛鳥時代も、ずっと時間は流れ続けている。
そういう事なのだ。
――だったら。
――今、実家にいるアリスは?
――一体、誰なんだ?
レンは画面を閉じた。
一体、俺は何を考えているんだ?
あのアリスが、アリスじゃなかったら、誰だというんだ。
父の言葉が頭をよぎった。
――母さんも。
――アリスも。
――別人みたいなんだ。




