飛鳥07 タマケリ
朝から、アリスは木の札と向き合っていた。
細長い木の表面には、カマッタリが墨で書いた文字が並んでいる。
その隣の新しい木の札へ、同じ文字を書き写す……らしい。
らしい、というのは、説明された言葉の半分以上が分からなかったからだ。
『二曰 篤敬三寶 三寶者佛法僧也』
板いっぱいに並ぶ漢字は、さっぱり意味が分からない。
とりあえず書き写しているけれど、これに何の意味があるのだろう。
紙ではなく木だから筆も滑らない。筆もあまり良くないし、上手く書けないのが悔しい。
……そこそこ字は自信があるのに。
失敗したら、このナイフで削れと言われた気がするが、流石にそんな物騒な消しゴムは使う気になれなかった。
カマッタリが憎い。
普通に女の人達のお手伝いをしたかったのに。
お手本は全部で十七枚。
どれも読めないが、字だけは驚くほど達筆だった。
ふと、アリスは筆を止めた。
一枚目の木の札を見る。
それから二枚目、三枚目。
気付けば、並んでいる木の札を端から順番に見ていた。
昨日見た、あの字がどこかにないか。
ママの字に似た文字が、もう一つくらい混じっていないか。
十七枚、全部に目を通した。
「……ない」
どれだけ探しても、ママの字に似た文字は見つからなかった。
ここにあるのは、たぶんカマッタリが書いた字だ。
あの木の札の字とは、違う。
……カマッタリらしい字だな、とアリスは思う。
一画一画が太く、まっすぐで力強い。
はねまで迷いがなく、真面目な性格がそのまま字になったような筆跡。
昨日、棚に飾られていた木の札。
あれは、カマッタリの字じゃない。
もっと柔らかく、それでいて不思議な力強さがあった。
もう一度、ちゃんと見てみたい……。
アリスはしばらく木の札を眺めていたが、やがて諦めて筆を持ち直した。
やっと二枚目を書き終え、アリスは筆を置く。
「あと十五枚……ムリ……」
肩は凝り、足は痺れ、思わず板張りの床へ寝転がった。
しばらくぼんやりした後、お手本をスマホで一枚ずつ撮影する。
「お兄ちゃんに送っとこっと」
意味くらいは知りたいよね。
パシャパシャしていると、家の外から賑やかな声が聞こえてきた。
「アリー!」
「オー!」
「アリー!」
何をしているのか気になり、レンへのライメッセ送信が終わったところで、アリスは立ち上がった。
離れた場所から女の人が何か言っていたが、聞こえないふりをして声のする方へと向かう。
すると、庭でカマッタリが玉を蹴っていた。
周りには何人もの男達。
玉が落ちるたびに拾い、また投げ返している。
「アリー!」
「オー!」
蹴鞠の練習みたいだ。
掛け声だけは勇ましい。
だが肝心の蹴鞠は、驚くほど下手だった。
空振りが多くて、蹴れば変な方向へ飛ぶ。
それを男達が慌てて拾い、またカマッタリは空振る。
「……下手っぴさん?」
教科書では優雅な遊びに見えた蹴鞠も、現実はずいぶん泥臭い。
カマッタリは真剣な顔で何度も玉を追い掛けていた。
その時、コロコロと白い玉が目の前に転がってきた。
見ていられなくなり、アリスは裸足で庭へ飛び出す。
周囲が一斉に振り向いた。
「もっと、こう!」
自分の足の内側を叩いて見せる。
「ここ! 足の横!」
玉を軽く放り上げ、足の内側で蹴る。
玉はポコリと気持ちのよい音を立て、ふわりと上がった。
……カマッタリとは別の方向へ。
「……今のは違うから」
失敗したが、それでもカマッタリは真剣にアリスの足元を見つめている。
アリスはもう一度、足の内側を叩いた。
「ここ!」
カマッタリも同じ場所を指差す。
「そうそう!」
頷くと、カマッタリは玉を蹴った。
ポコリ
さっきより高い。
だが二蹴り目は豪快な空振り。
「なんでそうなるの!」
男達が吹き出した。
それでもカマッタリは笑わず、また玉を拾う。
その姿を見て、アリスは庭の木を見上げた。
「そうだ!」
両手で縄を表し、木の枝を指差す。
玉を吊るす仕草を何度も繰り返した。
「こうやって練習!」
しばらく首を傾げていたカマッタリだったが、やがて男の一人へ声を掛ける。
しばらくして縄が運ばれてきた。
「伝わった!」
木の枝から吊るされた玉。
アリスは満足そうに頷く。
「これなら上手くなるでしょ!」
カマッタリはさっそく蹴った。
玉は綺麗に上がった。
……次の瞬間、縄に引かれて戻ってきた玉が胸へ直撃した。
ポコ!
「えっ!」
大した事はないはずなのに、男達は慌ててカマッタリを支える。
アリスは笑いを堪えきれなかった。
「ご、ごめん! でも練習にはなるから!」
当然通じない。
それでもカマッタリは胸を押さえながら頷き、また玉の前へ立った。
……この人、真面目すぎる。
笑いながら家の中へ戻ると、女の人達が二人、腕を組んで待っていた。
嫌な予感しかしない。
次の瞬間、足首をぎゅっと掴まれる。
「きゃっ!」
何事かと足元を見る。
気付けば、足の裏は土だらけだった。




