飛鳥06 ヤエチカ
東京駅へ向かう電車の中で、レンはスマホを見つめていた。
画面に表示されているのは、アリスとのライメッセだ。
【アリス】すごい木の札と出会ったよ!
【アリス】それと、カマッタリが住ませてくれるみたい!
【アリス】助かったぞー!
昨夜届いたメッセージを、何度読み返したか分からない。
アリスが、また別の時代へ落ちた。
今度は飛鳥時代。
しかも、助けてくれたのは中臣鎌足らしい。
……普通なら、信じられる話じゃない。
けれどそれを疑う気持ちは微塵もない。
もう疑う段階は終わっていた。
シマエナガ埴輪が、その全てを証明している。
レンは画面を閉じ、電車の窓へ目を向ける。
暗いガラスに、自分の疲れた顔が映っていた。
今、一番気になっているのは、飛鳥時代そのものではない。
壺を壊した雷。
アリスを別の時代へ送り続ける何か。
その話を聞いた時から、レンは得体のしれない恐怖を覚えていた。
人の力では起こし得ない超常現象。
これまでは、タイムスリップという現実を受け入れるだけで精一杯だった。
だが今は違う。
振り返れば不自然な事が多い。
古墳時代で、アリスは、渡来人が作ったかつてない大きさの須恵器を完成させ、そこにAマークを刻み込んだ。
それは、恐らくは大王の副葬品として納められ、現代まで届き得るタイムカプセルになるはずだった。
けれど、雷で壺は割れた。
そしてアリスは、また穴へ落ちた。
――それって、あんまりにも出来すぎてないか?
そこで初めて、レンの頭に一つの疑いが浮かんだ。
これは、本当に偶然なのか。
弥生時代でもそうだった。
ココ村の人々を逃がそうとして、それが叶った直後に、アリスは別の時代へ飛ばされた。
古墳時代では、埴輪村の人々を繋ぎ、現代へ証拠を残そうとした直後だった。
毎回、何かが終わった直後。
いや。
アリスが、その時代で何かを成し得た時、あるいは大きなものを残そうとした時。
――共通点がある。
だが、まだ言葉にできない。
人を助けたからなのか?
歴史を変えたからなのか?
その時代で、目立ちすぎたのか?
壺を壊した雷。
あれは偶然なのか。
「……神様の仕業」
レンは、誰にも聞こえない声で呟いた。
笑えない。
本気で怖い。
けれど、その理由が、その条件が分かれば、次に何が起きるのか予測できるかもしれない。
もしかしたら、アリスを現代へ戻す手掛かりにもなる。
『まもなく、東京、東京。お出口は右側です』
気づけばもう電車は東京駅に滑り込んでいた。
レンは大きく息を吐いて、思考を止めた。
まだ、情報が足りない。
それなのに、深く考えすぎている。
レンは電車を降りて、人混みの中を進みながら、またため息を吐く。
アリスだ。
あいつの情報はおかしいし、そもそも歴史を知らなすぎる。
いつも重要なところが抜けている。
レンは強張った顔に、ふいに笑みを浮かべた。
昨夜のやり取りを思い出したのだ。
飛鳥時代と聞いて、アリスが真っ先に思い出したのは聖徳太子でも中大兄皇子でもなかった。
蘇我入鹿の笑う首。
飛鳥時代に行って、最初に思い出すのが笑う首だなんて。
――いかにもアリスらしい。
歴史上の人物の名前は覚えていないくせに、教科書の変なところだけは鮮明に覚えている。
だが、笑いは長く続かなかった。
中臣鎌足。
蘇我入鹿。
大化の改新。
レンは頭の中で、教科書に並んでいた名前を繋げる。
中臣鎌足が、すでに三十近い年齢。
聖徳太子は数十年前に亡くなっている。
それが正しければ。
大化の改新が、近い……。
正確には、その始まりとされる乙巳の変。
中大兄皇子と中臣鎌足が、蘇我入鹿を討つ事件。
アリスがどの年にいるのかは分からない。
鎌足の年齢も、見た目だけでは判断できない。
だが、もしかしたら、そう遠くない。
アリスはこれから、教科書に描かれていた事件のすぐ近くへ行くことになるかもしれない。
笑う首どころではない。
本当に人が殺される場所だ。
下手をしたら、リアルに蘇我入鹿の生首を見ることになる。
レンはスマホを握り直した。
その時だった。
「おーい、レン!」
人混みの向こうから、聞き慣れた声が飛んできた。
顔を上げると、改札の近くで伊太郎が片手を上げていた。
出張の時にしか着ないスーツ姿に、仕事用の鞄。
数か月ぶりに会う父親は、以前より少し痩せたように見えた。
レンは人の流れを避けながら、伊太郎のもとへ向かった。
「悪いな。仕事終わりに呼び出して」
「別にいいよ。でも、声でかいんだけど。東京駅で叫ばないでくれる?」
「だれも気にしないって」
伊太郎はそう言って笑った。
「悪いな。せっかく東京きたから、夕飯一緒に食べたくて」
「全然いいよ」
まだ伊太郎の声が大きくてイラッとしたが、まぁいつもの伊太郎だ。
レンは諦めて伊太郎と歩き始める。
「何食う?」
「なんでもいい」
「お前のなんでもいいは、一番困るんだよ」
「なんでもいいよ、本当に」
「いや、うちはみんなそう言ってこだわり多すぎんだよなぁ」
二人は並んで、八重洲側へ向かう。
東京駅の構内は、夜になっても人が多い。
伊太郎は案内表示を見上げながら、迷いなく地下へ向かった。
「ヤエチカでいいだろ。店いっぱいあるし」
「へー、詳しいじゃん」
「出張で何度か来てるからな。ヤエチカくらいは知ってる。東京は地上に出ると、どっち向いてるのか分からなくなるよな」
「地下も大して変わらないだろ」
「ほんと、東京って巨大なショッピングモールみたいだ」
「ふふ。なんだ、それ」
そんな話をしながら、レンは心の中で首を傾げていた。
いつもの会話だった。
だが、伊太郎の様子がおかしい。
いつも、好奇心強めの伊太郎は、店や通行人に視線を動かし続けている。
それが、横からレンばかり見ている。
横から視線を感じる。
また見ている。
目が合うと、伊太郎は何事もなかったように前を向いた。
「なぁ、何?」
レンが聞くと、伊太郎は少し驚いた顔をした。
「何が?」
「さっきから、こっち見てるのバレバレだろ」
「み、見てないぞ」
「……見てたよね?」
「久しぶりに会った息子の顔を見るくらいいいだろ」
レンは眉根を寄せながらも、肩をすくめる。
「……それなら別にいいけど」
伊太郎の笑顔は、やはりどこか不自然だった。
レンはそれ以上追及するのをやめた。
店は、地下街の奥にある定食屋に決まった。
普通の定食屋と居酒屋を兼ねた店内は、仕事帰りの客で賑わっている。
席に座ると、伊太郎は生姜焼き定食、レンは野菜炒め定食を頼んだ。
料理が届くまでは、仕事の話をした。
伊太郎が本社に来た用事や、ついでに回った取引先のビルが大きくてびっくりした事。
レンが新しい企画を任されて、最近、残業が増えていること。
「ちゃんと食ってるのか? なんかやつれてるぞ?」
伊太郎が聞いた。
「食ってるよ」
「コンビニばっかりじゃないだろうな」
「今日はおにぎりの予定だった」
「ほら見ろ」
「食べないよりいいだろ」
「母さんが心配するぞ?」
そう言った伊太郎の箸が、わずかに止まった。
ほんの一瞬だったが、レンはそれを見逃さなかった。
「……なぁ? 母さん、元気?」
「……ああ」
伊太郎は肉を箸でつかみ損ねながら答えた。
「元気だよ」
……全くもって不自然だ。
「アリスは?」
「元気だ」
答えは早かった。
だが、やはりこれも何かがおかしい。
いつもの伊太郎なら、アリスが学校で何をしたとか、紫が何を買ったとか、頼んでもいない話を続けるはずだった。
レンは味噌汁を一口飲んで、口を開く。
「なんか、疲れてない?」
「ん、疲れてるように見えるか?」
「少し」
「それを言ったら、レンの方が疲れてるだろ、残業しすぎたぞ」
伊太郎はそう言ってご飯を口へ運び、またレンの顔を見る。
さっきから、ずっとだ。
レンの外見を見ているというより、何かを探るような目だった。
レンは箸を置いて強めに言う。
「なぁ、やっぱり変だぞ?」
「何が?」
「ずっと俺を見て、何を気にしてるわけ?」
伊太郎の顔から笑みが消えた。
「俺に何か聞きたい事でもあるの?」
「……別に」
「じゃあ、なんで何度も見るんだよ」
「久しぶりだからだって言っただろ」
「それだけじゃない」
レンが言い切ると、伊太郎は黙った。
周囲では食器の触れ合う音がしている。
店員の声。
客の笑い声。
すぐ隣の席では、会社員らしい二人が酒を飲みながら話していた。
その中で、伊太郎だけが急に遠くなったように見えた。
「何かあった?」
レンが声を落として聞く。
「母さんとアリス?」
伊太郎の眉が動いた。
そして、真剣な表情でレンと同じように箸を置く。
「何でそう思う」
「ヤマカン?」
「お前、エスパーか?」
伊太郎は口をへの字にして、天井を仰ぎ見た。
それから、湯飲みを手に取ったが、飲まずに戻す。
そして、何かを言おうとして、やめる。
それを何度か繰り返した。
「早く言えって」
レンが促す。
「何があったの」
伊太郎は答えなかった。
代わりに、またレンの顔を見た。
今度は、頭から顔、肩、指先まで、ジロジロと念入りに。
まるで、自分の息子であることを一つずつ確かめているようだった。
その視線に、レンは薄い不安を覚えた。
「父さん?」
伊太郎は首を垂れ、大きく息を吐いた。
そして、顔を上げた伊太郎は、どこか安心したような、それでも苦しそうな笑顔を浮かべていた。
「……お前は、本当にレンみたいだな」
レンは言葉を失った。
冗談を言っている顔ではない。
「変なこと言うなよ。俺はレンだ」
「ああ」
伊太郎は小さく頷いた。
「分かってる」
「じゃあ、なんでそんな事言うわけ?」
伊太郎はテーブルの上で両手を組んだ。
視線を落としたまま、低い声で言う。
「最近な」
そこで一度、言葉を切った。
「母さんも」
伊太郎の指に力が入る。
「アリスも」
レンの背中に、冷たいものが走った。
「……別人みたいなんだ」




