飛鳥05 中臣鎌足と真実
狭い物置のような土間の片隅だったが、それでもアリスはカマッタリの家の中に居場所を与えられた。
カマッタリが、どうしてアリスを住まわせてくれたのかは、よく分からない。
あの木の札を見た時。
そこで、急にあたしへの態度が変化した気がする。
迷子の女の子、から、巫女か何かを見るような目で、あたしを見ている気がするのだ。
「……まぁいいか、助かったし」
夜は、暗かった。
埴輪村やココ村の時は焚き火があったが、今は窓から入る月明かりと、父、伊太郎のスマホだけが光源だ。
ただ、アリスの目は以前よりも暗闇に慣れている。
アリスは土間に引かれた筵の上で、ごろりと横になって、レンへライメッセをおくる。
【アリス】とりあえず、追い出されないように、お手伝いとか、がんばる!
働かざる者食うべからず。
これは他の場所でも共通のルールだった。
この家でも、それはしっかりと守りたい。
【レン】……まて
【アリス】?
【レン】馬屋の王子ってとこもツッコミたい。でもその前に。
【レン】カマッタリってなんだ?
【レン】うそだよな?
レンがイラっとしているのが、分かった。
あたしの返事を待たずに怒涛のクエスチョン。
【レン】お前、やばいぞ?
【レン】カマッタリだと?
【レン】あだ名だと勘違いしてるよな?
【レン】呼び捨てにしたら殺されるぞ?
「……は?」
あたし、何もしてないよね?
アリスは、暗い部屋で一人首を傾げる。
お兄ちゃんは、何をそんなに苛ついてるんだろう。
殺されるとか、わけわからん。
【アリス】なんで殺されるの?
【アリス】カマッタリって名前でしょ?
レンのメッセージが止まった。
返信がこない時間が妙に不気味だ。
やがて、ブルッとスマホが震える。
【レン】……中臣鎌足って知ってるか?
中臣鎌足?
アリスは画面を見たまま、また首を傾げた。
どこかで聞いたことがある。
教科書の中だった気もするし、アニメかドラマだった気もする。
【アリス】なかとみの?
【レン】鎌足。知ってるよな?
カマタリ?
カマッタリじゃなかったのかと、アリスは眉をひそめる。
名前を間違えたって事だろうか。
確かにそれは失礼だ。
……でも、カマッタリが怒るとは思えない。
笑顔の少ない人だったが、絶対に根っこは優しい人だ。
【レン】中臣鎌足は、超大物だ。
【レン】飛鳥時代で活躍するエリート高官だ。
飛鳥時代と聞いて、アリスは思わず起き上がる。
【アリス】ちょっと待って? 古墳時代じゃないの?
【レン】飛鳥時代だ。間違いない。
また、穴に落ちたら、別の時代ってこと?
飛鳥時代と言い切るその自信はなんでだ、と言い返そうとすると、直ぐにレンからメッセージが送られてくる。
【レン】中臣鎌足は、大化の改新で、中大兄皇子と一緒に政治を変えた人物だ。
「あっ!」
アリスは思わず小さく声を上げた。
【レン】教科書で必ず出てくるぞ?
【アリス】たいかのかいしんは知ってる!
【レン】お、知ってるんだな?
知ってるも何も、当然だ。
【アリス】あの首だ!
【レン】え? 首?
【アリス】笑う首の絵!
【レン】……なんの絵だって?
アリスは大化の改新を知っていた。
アリスの記憶では、蘇我入鹿という威張っている嫌われ者が、暗殺されるところから始まる。
『乙巳の変』という暗殺事件。
殺されたのは、蘇我入鹿。
この蘇我入鹿は、アリスにとって最悪の印象で、正直、忘れたい記憶だった。
【アリス】蘇我入鹿コワイ! キライ!
【レン】おい、何言ってんだ?
教科書で、『乙巳の変』の絵が挿入されていた。
絵の中では丁度、蘇我入鹿が首を切られているところだった。
そして、その切られた首は、宙を飛んでいた。
空飛ぶ首だ。
それだけなら、良かったのだが、アリスは気付いてしまったのだ。
よく見ると、その首だけの顔が、笑っているのだ。
ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!
……と、アリスは教室で叫びそうになった。
お陰様で、『大化の改新』は、蘇我入鹿暗殺から始まったという事を、覚えてしまった。
アリスにとって飛鳥時代と言えば、『蘇我入鹿の笑う首』なのだ。
【レン】そんな絵あったか?
【アリス】あった! 調べてみて!
この絵が恐ろしいのは、よーく見ないと分からないってところだ。
普通なら、中学の教科書にこんなホラーな絵を載せられるわけがない。
あり得ないでしょ!
【レン】……あー、ほんとだ、笑ってるな。
【アリス】でしょ!
【レン】お前、なんでそういうとこ、覚えてるの?
【アリス】忘れたいよ!
【レン】飛鳥時代って『聖徳太子』とか『中大兄皇子』とか、もっと有名人いるの知ってる?
【アリス】ふわっと。
【レン】おい。それでよく中学のテストを乗り切ってきたな。
アリスは口を尖らせた。
乗り切っていないのを知っているくせに酷い兄だ。
でも、ここが、その飛鳥時代だなんて、本当なのだろうか?
今日、追われていたアリスを助け、言葉も通じないのに家へ連れてきた人が、教科書に載っているなんて、信じられない。
【アリス】カマッタリが有名人だなんて、本当?
【レン】日本人で、中臣鎌足を知らない中学生はお前だけかもしれない。
【アリス】そんなバカな!
その時、家の中でゴトリと音がして、アリスはさっとスマホを薄い毛布代わりの布の中へ隠した。
家は実のところ壁で仕切られていない。
衝立やすだれで場所割りされているだけだから、この光るスマホ画面は目立ちすぎた。
誰かの話し声が近くを通り過ぎる。
カマッタリの声ではなかった。
充分に時間を開けて、アリスはまたスマホを取り出す。
気になる話が次々にでてきて、今夜は眠れそうにない!
【アリス】じゃあ馬屋の王子は?
少し間が空いた。
【レン】ばーか
【アリス】は? 喧嘩売ってる?
【レン】つい言いたくなった。すまん。
【レン】馬屋じゃない。厩戸王だ。
【アリス】馬屋じゃないの?
【レン】そう。厩戸王。後に聖徳太子と呼ばれる人物だ。
【レン】十七条の憲法や冠位十二階で有名な人な。
アリスの指が止まった。
今度は、さすがに知っている。
お札になった人だ。
一度に何人もの話を同時に聞けた人。
本当かどうかは知らないけれど、それくらい有名な話が沢山ある有名人。
【アリス】本当に?
【アリス】聖徳太子に、あたし会えるの?
急な展開にアリスの胸がドキドキした。
教科書のカマッタリに、聖徳太子だ。
しかも、本物だ。
【レン】いや、中臣鎌足が30くらいなら、聖徳太子は数十年前に他界してるはず。
【レン】残念だったな。
【レン】その時代なら、中臣鎌足や中大兄皇子が、聖徳太子の考えを受け継ぎながら、日本をどう変えるか考えていた頃だ。
ふーん……。
ふと、アリスが思い出したのは、あの札のことだった。
あの木の札に書かれていた文字。
――ママの字に似ていた。
もちろん、そんなはずはない。
でも、一度そう思ってしまうと、妙に気になった。
カマッタリは、あの札に丁寧に頭を下げていた。
あれは、何と書いてあるんだろう。
【アリス】カマッタリ、木の札を大事そうにしてた。
【アリス】字が書いてあって、昔のものっぽかったけど。
【レン】ん? 木簡か?
【アリス】木簡?
【レン】文字を書いた、細長い木の札だ。
【レン】紙が貴重だった時代に、役所の記録や荷札なんかに使われてた。
【レン】木簡をそこまで大事にしてたのか?
【レン】ただの記録じゃなさそうだな。
【レン】なんて書いてあったんだ?
【アリス】読めるわけないでしょ!
【レン】写真は?
【アリス】撮ってない。
勝手に触っていい雰囲気はなかったし、そんなチャンスはなかった。
【アリス】また今度トライしてみるね。
【アリス】カマッタリいない時。
【レン】本人の前で絶対その呼び方するなよ。
【アリス】もう呼んでる。
【レン】やめろ。
どこかで足音が聞こえた。
アリスは慌てて布団へ戻ったが、足音はそのまま遠ざかっていった。
アリスはスマホを胸の上へそっと抱え込み、様子をうかがう。
これだけは、見つかるわけにはいかない。
【レン】それと。
【レン】タイムカプセルの件で伝えておくことがある。
【レン】ん?
【レン】おーい。
【レン】……寝ちゃったか。
疲れが溜まったアリスは知らぬ間に眠りに落ちていた。
空から落ち、お坊さんに追いかけ回されたアリスは疲れ切っていたのだ。
【レン】おやすみ。また明日な。




