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飛鳥 09 飛鳥寺

朝、目が覚めると、アリスはゆっくりと周囲を見渡した。


土を固めたような壁。丸太を削り出した木の柱。茅葺きの屋根。

周囲には木箱や土器、積まれた薪。硬い床に敷かれた薄い布。


……やっぱり、ここはカマッタリの家だ。


そして、ここは飛鳥時代。


昨夜、レンからそう告げられた。


不思議だった。

あれほど信じられなかったはずなのに、今はもう驚いていない。


縄文時代へ落ちたと言われた時も。

弥生時代だと言われた時も。

古墳時代だと言われた時も。


ずっと、そんなわけないと思っていた。


でも、あまりにも沢山のことを見て、沢山の人と出会ってきた。


きっと自分の中では、とっくに分かっていたのだ。


あたしは、本当に昔の日本にいる。


ふと、寝床の横に落ちていた伊太郎のスマホに気づき、慌てて身体を起こして拾い上げる。


特にレンから新しいライメッセは来ていない。


アリスはスマホを胸元へしまい、着物の上からぎゅっと握った。


でも、お兄ちゃんと繋がっている。


これから先、どうなるかなんて分からない。

それでも、あたしはここで何かを見つけて、お兄ちゃんに届ける。


お兄ちゃんが、きっと調べてくれる。


絶対に諦めない。


もう外は明るかった。

昨夜遅くまでレンとライメッセをしていたせいで、寝坊したかもしれない。


カマッタリは怒るかな、と思ったところで、昨日のことを思い出した。


汚れた足のまま家へ上がろうとして、この家で働いている二人の女の人に捕まったのだ。


水場まで引きずられ、足をぐりぐり洗われた。

その間も二人は「ヌシサマ、ヌシサマ」と何度もカマッタリの名前を出しながら、延々とアリスを叱っていた。


言葉はほとんど分からない。

それでも、カマッタリへの態度が悪い、と怒られていることだけは何となく分かった。


なのに、不思議と嫌ではなかった。


怒りながら足を洗ってくれる手も、アリスを見る目も優しかったからだ。


突然転がり込んできた、言葉も通じない変なアリスを、二人とも子供か妹みたいに世話してくれる。


だからアリスは、勝手に二人を「お姉様」と呼ぶことにした。


それに、昨日あれだけ怒られて、ひとつだけ分かったこともある。


二人が何度も口にしていた「ヌシサマ」という言葉。

どうやら、カマッタリのことをそう呼んでいるらしい。


お兄ちゃんにも呼び捨てにするなと言われている。

そろそろ本気で呼び方を変えたほうがいいかもしれない。


何より今のアリスにとって大事なのは、この家を追い出されないことだ。


追い出されたら、今度こそ本当に行く場所がない。


寝坊したけれど、カマッタリ改めヌシサマとお姉様達に挨拶して、今日はちゃんと手伝おう。


また昨日みたいに、一日中木の札と向き合わされるのかもしれないけれど。


「よし!」


気合を入れて土間から板の間へ上がったアリスは、簾の向こうに立っていた人影に驚いた。


「きゃぁ!」


現れたのはカマッタリだった。


「アリス」


「カマッ! ……」


思わず、カマッタリ! と呼びそうになって口を閉ざす。


カマッタリは既にきちんとした格好をしていた。

ヨレヨレの寝巻き用の着物を着ている自分とは違う。


そして頭には、普段家では見ない冠までつけていた。


なんだか、いつもより偉そうに見える。


カマッタリはアリスを指差したあと、外を指差した。


「テラ□◇行く□◇△共にコイ◆□◇」


「……あたし?」


もう一度、自分を指差す。


カマッタリが頷いた。


「お出かけ?」


言葉は通じないが、その装いからしても、どうやらそういうことらしい。


「いいの? 行く行く!」


木の札から解放されるなら、どこだっていい。

あれを一日中書かされるくらいなら、知らない場所へ連れていかれる方が百倍いい。


急いで外へ向かおうとしたところで、後ろから腕を掴まれた。


「え?」


振り向くと、お姉様の一人が立っていた。


「お姉様!」


お姉様は鼻息荒く何か喋っているけれど、やっぱり分からない。


やがて呆れたような顔をすると、アリスの襟元を直し、髪まで撫でつけ始めた。


「ちょ、いいって。自分でできるから」


そんな抗議は当然通じない。

新しい白い着物を上から羽織らされ、最後にポニーテールまで確認されて、ようやく解放された。


「もう!」


文句を言うアリスへ、お姉様は袋に入った荷物まで押しつけてくる。


中を見ると、葉に包まれた握り飯と、水筒らしき竹筒が入っていた。


「朝ごはん?」


お姉様はニコリと頷く。


「うわぁ! ありがとう!」


嬉しくなって頭を下げると、お姉様は満足そうに笑って見送ってくれた。


玄関らしき場所へ行くと、カマッタリは板間の上でこちらを見て待っていた。


土間に降りようとしているその足元には、履物が置かれている。


それを見て、アリスは昨日のことを思い出した。


裸足で庭へ飛び出し、足の裏を泥だらけにしたせいで、お姉様達に散々怒られたのだ。


……今日はむしろ、お手伝いしてやる。


「カマッ……違う。ヌシサマ、待って」


アリスは先回りして、カマッタリの履物を手に取った。


さっと向きを変え、左右をきちんと揃える。

それからカマッタリの前へ置いた。


「どうぞ、ヌシサマ」


ちょっと偉そうに手まで添え、頭を垂れながら膝をつく。


カマッタリは履物を見た。

次にアリスを見る。


「なに?」


カマッタリの口元が、ほんの少し緩んだ。


そして腕を組むと、首を振った。


「え? どうしたの?」


「ヌシサマ◇§▽マチガイ。ワレ□◆◁カマッタリ」


それだけ言うと、カマッタリは履物を履き、スタスタと外へ出ていってしまう。


「……え?」


一瞬呆けたアリスは、離れていくカマッタリに気づいて、慌てて後を追った。


ヌシサマじゃない、カマッタリだと言った……と思う。


でも、カマッタリでいいの!?


ダメでしょ!



◇



どこへ行くのかと思っていたが、見覚えのある道だった。


少し歩いたところで、アリスにも行き先が分かった。


坊さん村……だ。


飛鳥時代へ落ちてきた、最初の場所。


あの時は空から落ちて瓦の上に突っ込み、周り中から「オニ」と騒がれた。

逃げるのに必死で、まともに周囲を見る余裕なんてなかった。


改めて歩いてみると、古墳時代までとは景色がまるで違う。


田畑が広がり、その間には木でできた家々が並んでいる。

行き交う人の数も多い。


そして、その向こうに大きな屋根が見えた。


「……やっぱり、すご」


アリスは思わず足を止めた。


自分が落ちてきた時にも見たはずなのに、こうして遠くから全体を眺めると、その存在感がまるで違う。


今まで見てきた家とは比べものにならないほど大きな屋根。

太い柱がそれを支え、その上には瓦が隙間なく整然と並んでいる。


瓦そのものは、もう珍しくない。


それでも、竪穴住居や木の家ばかりを見てきたアリスには、その巨大な建物だけが何百年も先から突然現れたように見えた。


しかも、一つじゃない。


大きな屋根の向こうから、さらに高い建物が空へ伸びている。


「お寺……だよね?」


アリスの声にカマッタリが振り返る。


建物を指差すと、カマッタリは何かを言った。


……聞き取れない。


けれど、そこが目的地なのは間違いないらしい。

カマッタリの足は迷うことなく、巨大な建物へ向かっていく。


近づくにつれて、人の数はさらに増えていった。


頭を丸めた人達が、あちらこちらを歩いている。

荷物を運ぶ者、何人かで話している者、足早に建物へ入っていく者。


「でも、本当に坊さんだらけ……」


以前、空から落ちてきた時に会った坊さん達に見つかりたくなくて、アリスは少しだけカマッタリの背中へ隠れるようにして歩いた。


さらに進むと、坊さんだけではなく兵士達の姿も混ざり始める。


ただのお寺じゃない。


重要な場所へ向かっていることくらいは、アリスにも分かった。


やがて、長く続く壁の向こうに大きな門が現れた。


赤く塗られた太い柱。

見上げるほど大きな屋根。


門をくぐっていく人の姿が、遠くからでも小さく見える。


カマッタリとアリスも、その人の流れに混じって中へ入った。


「……でか」


思わず声が漏れた。


門の向こうには、想像していたより遥かに広い空間が広がっていた。

そして、人がごった返していた。


坊さんが多いが、カマッタリのような姿の人や、渡来人らしい変わった服の人も多かった。


境内の中央には、幾重にも屋根を重ねた高い塔が、空へ向かって伸びている。


アリスは立ち止まり、首が痛くなるほど顔を上げた。


「……なに、これ」


古墳時代までに見てきたものとは、何もかもが違った。

こんな昔の時代に、何のために、こんな巨大な建物を造ったのか。


塔の周囲には大勢の人が集まり、先頭には何人もの派手な坊さん達が、同じ調子で何かを唱えている。


その声が重なり合い、広い境内の中で奇妙に響いていた。


鼻をつく、知らない匂いもする。

薪を燃やした時とも、家が焼けた時とも違う。

甘いような、苦いような匂いは、きっとあちこちで立ち昇る細い煙のせいだ。


カマッタリも、塔の前の人達に並び、静かに頭を下げた。


アリスも慌てて真似をする。


「……こう?」


頭を下げながら、こっそり顔だけを上げる。


塔のそばに建つ大きなお堂。

その中には、いくつもの小さな火が揺れていた。

そのさらに奥に、何かがいる。


金色。


火の光を受けて、暗闇の中から鈍い金色だけが浮かび上がっている。


「うわぁ……」


思わず声が漏れた。


お堂も豪華だが、その内部はさらにきらびやかに飾られていて、その奥に鎮座するのは黄金の仏像だ。

大きい。


やがて顔を上げたカマッタリは、塔の周りを回るように歩き始めた。


「ちょ、待って!」


アリスも慌てて追いかける。


塔だけではなかった。


その周囲にも大きなお堂が建ち並んでいる。


別の方向にも同じように立派な建物があり、カマッタリはその前でも立ち止まって、丁寧に頭を下げていく。


どこを向いても、大きな建物。

坊さん。

祈っている人。

漂う香の煙。


ここだけで、お祭りをしている大きな町みたいだった。


聖徳太子も、仏教を大事にしろと言っていたらしい。


その意味はまだよく分からない。

けれど、これだけ沢山の人が集まり、こんな巨大な寺まで造っているのを見ると、この時代の仏教の重要さが分かる。

古墳時代とは、全然違う。


「それにしても……」


アリスは周囲を歩く男達へ目を向けた。


「みんな、帽子がおしゃれすぎる……」


坊さんではない。


カマッタリと似たような格好をした男達が、あちらこちらにいるのだが、その頭にはカラフルな冠があった。


同じような冠なのに、カマッタリとは違う色をしている。


アリスは前を歩くカマッタリの頭を見る。


それから、もう一度男達を見る。


「……帽子でオシャレバトルでもしてんの?」


そんなわけないか。


でも、何か意味がありそうだ。


「ヌシサマ」


アリスはカマッタリの頭の冠を指差したあと、遠くの男達を指差した。


「何で色がみんな違うの?」


当然、伝わらない。


けれどカマッタリはアリスの指先を見てから、首を振った。


そして、きっぱりと言う。


「ワレ、カマッタリ」


「え?」


それだけ言うと、ぷいっと前を向いて歩き出してしまう。


アリスはその背中を見つめた。


「な、なんなの?」



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