古墳08 前方後円墳
夕食を終えた南条家には、穏やかな時間が流れていた。
テレビはニュースが流れ、紫は食器を洗い、伊太郎は新聞を床で広げて四つんばいで老眼鏡をクイクイしている。
アリスはソファでじっと静かだった。
「なんだ? 静かだな」
伊太郎は顔を上げてアリスを見た。
見れば、アリスはタブレットを持ち難しい顔をしている。
「アリス、何してるんだ?」
「うーん。カード調べてる」
「最近、やけにカードゲームに夢中だな? 俺と久しぶりに……」
「やだ、弱いから」
「ガーン!」
アリスは冷たい顔で床でゴロゴロしている伊太郎を跨ぐと、自分の部屋へ戻っていく。
パタン。
二階でドアが閉まる音がした。
伊太郎は寂し気に、階段の方を見上げた。
「……なあ」
「ん?」
「最近さ、アリス、なんか変だよな」
「……そう?」
「なんつうか、大人の階段登ってないか?」
「またそれ?」
紫は洗い物をしながらも、呆れた顔で振り返る。
伊太郎は太い眉をハの字にして、情けない声で言う。
「だって、なんかすぐ自分の部屋に行っちゃうし、全然ワガママ言わなくなった」
ワガママ?
紫は、手をとめる。
伊太郎は苦笑いして続ける。
「前なんかさ、会社から帰ってくると、俺のテーブル座るとこに、やることリストとかあったじゃん?
最近、それないのよ?」
「なにそれ?」
「『鳥の本ほしいリスト!』とか、『集めとけカードリスト』とか、ミカンアイス買ってこいとか? おかえりなさいはひと言もなく、絶対やれってお手紙」
「前はやらされすぎだったのよ、伊太郎さんは」
伊太郎は寂し気に首を振る。
「そういうの、最近全然ない」
紫も思い返してみる。
ああ、確かにそうだ。
欲しい物があると、何日でも言い続ける子だった。
「お願い! お願い! お願い!」
「ママ! ママ!」
「絶対ほしい!!!」
そう言って、笑ったり、拗ねたり、土下座したり、抱きついてきたり。
それを抑えるのが大変で、ケンカも絶えなかった。
それが最近、確かに、なにもない。
「思春期、なのかな?」
紫はスポンジを動かしながらポツリと呟く。
「紫! やっぱ階段のぼってるじゃん! 寂しいんだけど!」
「そうなの、かな」
伊太郎は頭を掻く。
「さっきも、いつもなら、新聞わざと踏んでくとか、俺を蹴り飛ばすはずなのに、スッと、またいだだけ」
「そ、それはアリちゃんを怒るとこでしょ」
「なんかさ。嬉しいんだけど、やっぱり寂しいよね」
紫は返事をしなかった。
「ふん、どうせお父さんなんて、娘にどんどん嫌われてくんだ」
伊太郎は、すねてゴロゴロし始めた。
蛇口の水だけが静かに流れている。
……大人になった。
その一言で片付けてしまえば、それまでだった。
でも。
……違う。
最近、何度もそう思う。
何が違うのかは、紫にも分からない。
けれど、ワガママを言わなくなっただけじゃない。
紫の胸の奥に、ずっと刺さる小さな棘は日増しに大きくなっているのだ。
◇
その頃。
渋谷のマンションで、レンのスマホが震え続けていた。
ブルッ。
ブルブルッ。
通知が止まらない。
レンは苦笑しながら画面を開く。
【アリス】ねぇ!!!我慢できないよ!!!
【アリス】唐揚げ食べたい!!!カリ!ジュワ!のやつ!!!
レンはため息しか出ない。
いい加減にしろ、この妹は。
【アリス】プリン!!!
さらに。
【アリス】モンブラン!
あー、モンブラン好きだよな、アリス。
【アリス】モンブラン!モンブラン!
また震える。
【アリス】食べたい!食べたい!もうだめ!!!死ぬ!!!
【アリス】帰ったら、ママのカレーとポテチとモンブランと、あっ、モンブランは黄色いのがいいよ!
レンは思わず吹き出した。
「……いつものアリスだ。」
その瞬間、また通知が届く。
【アリス】そうだ、ハニャさんの家族ね、我が家と名前が似てるんだよ!
【レン】名前?
【アリス】『ナン』って名字みたい!うちの南条家みたい!
レンの指が止まる。
【アリス】ハニャさんも奥さんも、子供も、おばあちゃんも、『ナン』って村の人から呼ばれてるからね!
レンの指が止まる。
「家族全員……?」
小さく呟く。
「いや……。名字じゃない」
その瞬間、レンの頭の中で古墳時代の知識が一本に繋がった。
【レン】それ、氏かもしれないな。
【アリス】は?
レンは苦笑した。
氏家制度。
中学で必ず習う古墳時代の制度だ。
「こいつ、多分知らないな。授業ちゃんと聞いてるのか……」
【レン】そうだ、古墳、横からの写真ないか?
【アリス】やたら撮ったからある!
数分後、新しい写真がレンのスマホに届いた。
レンは画像を開く。
真正面では分からなかった形が、横から見ると一目で分かる。
前は四角。後ろは丸い。
レンはPCを操作して写真と見比べる。
「……やっぱり」
前方後円墳。
中学の教科書でも必ず出てくる、古墳時代を代表する墓の形だ。
そして、それでもアリスは、まだ自分が古墳時代にいることを認められない。
レンはもう一度、写真へ目を落とした。
本当に凄い写真だ。
まだ完成していない前方後円墳の生々しい姿。
ズームしてみれば、白い石を運ぶ列。斜面を行き交う人々。埴輪を抱えて登る小さな影。
人の大きさと比べると、この古墳の大きさがどれだけ巨大なのかよく分かる。
その光景を見つめながら、小さく呟く。
「まさか、もしかして……」
レンはスマホを握りしめる。
「ヤマト政権の大王が作っている古墳なのか……?」
このサイズからすると、まさか最も有名な『仁徳天皇陵古墳』……なわけはないと思うが。
……いや、地方豪族の古墳にしては、大きすぎる。
ん?
スマホが震えたが、アリスからのライメッセではなかった。
父からだ。
レンは何も考えずにトーク画面を開く。
この時間に父からなんて、珍しい。
「え?」
【アリス】アリスだよ。
【アリス】お兄ちゃん、今度いつ帰ってくるの?
一瞬、頭が混乱した。
気づけば、レンの身体が硬直している。
……アリス、だ。
……実家にいる、アリス、からのメッセージ。
父の新しいスマホから、ライメッセを送ってきたのだ。
【アリス】また、カードゲームやりたいから、週末早く帰ってきてね!
レンの喉が鳴る。
不意にレンの脳裏に浮かんだのは、この前、実家でアリスが夢中になっていた、あのカード。
《観測者 ミラ=ノクティリカ》のカードだった。




