弥生18 シッシッ
ココ村が燃えている!?
アリスは自分の目を疑った。
夜空の一角が赤い。
でも、誰かが大きな焚き火でもしているだけかもしれない。
そんな事を思った途端に、一つだった火は二つになり、三つになり、黒い煙が空へ伸びていく。
アリスの足は、知らずに早足になった。
見覚えのある川がある。
見覚えのある柵がある。
見覚えのある家々も。
間違えようがなかった。
ココ村だ。
アリスの足が止まる。
顔に、熱い風が抜けていく。
間に合わなかった。
もう、始まっていたのだ。
【アリス】ココ村が燃えてる
アリスの全身が粟立つ。その場に立ちすくみ、レンへ伝えるのが精一杯だった。
すぐに手の中で、スマホが震えた。
【レン】逃げろ
【レン】もう間に合わない
【レン】逃げろ!!!
アリスはレンのメッセージを見た後、そして燃える村を見た。
もう一度画面を見る。指先が震える。
【アリス】どうしよう
送信した時には、もう走り出していた。
アリスの後ろで、男達が叫んでいた。
「ココ!!!」「ブッサ!!!」
騒がしい音を立てて、アリスの背を追ってくる。
けれどアリスはそんな事はどうでもよい。
ただ、焼けていく村を見る。
どうしよう。
本当にどうしよう。
頭の中ではそんな言葉ばかりがぐるぐる回っているのに、身体だけが脈動し、腕と足が跳ね上がる。
熱気がこもった村へと、アリスは必死で向かっていく。
おばあちゃんの顔が浮かぶ。
ヒイラギの顔が浮かぶ。
田んぼで泥まみれになって笑っていた子供達の顔が浮かぶ。
逃げるべきなのかもしれない。
ここから、直ぐに逃げるべきだ。
アリスの白い着物は炎に照らされて真っ赤に染まる。
ただアリスは走った。
壊れた柵を飛び越え、燃える村へ飛び込んだ。
焼けた藁の匂いが鼻を刺す。火の粉が風に舞い、低く流れる煙が視界を白く濁らせていた。
女達が子供の手を引いて走っている。老人が荷物を抱えたまま転び、誰かがそれを助け起こす。男達は家と家の間を駆け回り、土器や籠を運び出していた。
言葉は分からない。
数日間一緒に過ごしただけの人達。
それでも、ここには、アリスの知っている人達が沢山いた。
飯を食べ、稲穂を解して、子供を叱り、誰かが笑っていた。
そんな当たり前が壊れている。
この村も、もう少しであの燃え尽きて煤だらけの、誰もいない村になってしまう。
でも、まだ!
アリスは辺りを見回した。
ヒイラギは。
おばあちゃんは。
どこ!??
焦るほど見つからない。
まだ、きっと何処かにいる!
きっとまだ、大丈夫だ!
燃える家々の向こうを探し、人影の中を探し、それでも見つからない。
その時、不意に広場の方角が目に入った。
理由はなかった。
けれど、何かあったら人は、そこに集まるという直感。
アリスは泥道を蹴った。
足元はぐちゃぐちゃだった。昼間ならまだしも、夜の田んぼ脇の道はぬかるみだらけだ。
だが、不思議と転ばない。
身体が覚えている。
おばあちゃんと、ヒイラギと歩いた道。
どこが深く沈むのか。
どこを踏めば抜けられるのか。
後ろでは怒号が響いていた。
兵士達だ。
だが、村へ流れ込んだ二百人近い男達は、思うように進めていない。
狭い道に人が詰まり、燃えた家が行く手を塞ぎ、ぬかるみが足を取る。
ココ村は小さい。
だからこそ、一度に大勢が動くには向いていなかった。
アリスは追いかけてくる狂乱する兵士達を置き去りにし、目的の場所へと向かう。
広場へ飛び込んだ瞬間、アリスは足を止めた。
大勢の村人達がいた。
身を寄せて怯えているのが、炎に照らされてよくわかった。
間に合った!
アリスは全力疾走したせいで荒くなった呼吸を整えながら、ゆっくりと前に進む。
そして、その中に見覚えのある顔を見つけた。
ヒイラギだった。
ヒイラギもアリスに気付く。
目を見開き、信じられないものを見るように立ち尽くしている。
その向こうには、皺だらけの顔があった。
曲がった背中。おばあちゃんだ。
生きていた。
胸の奥で固まっていた何かが少しだけ緩む。
良かった。良かった。本当に。
だが、その安堵は長く続かなかった。
広場の外から怒号が聞こえる。
村人達が一斉に振り返る。
アリスも振り返った。
松明の灯りが揺れていた。
数本どころではない。闇の向こうに無数の火が揺れている。
あの、兵士達だ。
狂気の声が、喧騒が、広場へと近づいてくる。
広場の空気が凍り付くのがわかった。
このままでは、すぐに見つかる。
逃げなきゃ。
アリスは周囲を見渡す。
でも、どこへ行けばいいのか、アリスにはわからない。
村人達も、逃げるゆとりもなく、ただ、ここで集まっているのだ。
この村人全員を、あの男達と鉢合わせてはいけない。見つかったら、どうなるのか、考えたくもない。
どうする。どうする。
アリスはスマホを見る。
レンからの無数のライメッセは、逃げろ、逃げろ、逃げろの文字。
私は逃げることしか、出来ないのかもしれない。
何の力も、ない、かもしれない。
でも。
でも。
なにか、出来ないの!?
その時、不意に思い出した。
ふにゃふにゃした眉毛。情けない笑顔。
父の伊太郎の言葉。
――羊の皮を被った狼になれ。
こんな時にまで出てくるな。
アリスは唇を噛む。
相手と同じ顔で笑え。群れの中へ入れ。やりたい事はその後でいい。
今は、何としても、おばあちゃんやヒイラギ達が逃げる時間くらい稼がないと!!!
アリスは槍を握り締めると、広場から飛び出した。
兵士達の狂った叫び声の方へ向かって。
後ろで、ヒイラギが何かを叫んでいた。
おばあちゃんが手を伸ばす。
それでも止まらない。
アリスは広場を飛び出し、燃える家々の間を抜ける。
私は。巫女様だ。
兵士達は信じている。
だったら、利用する。
松明の灯りが近付く。
見開いた目に、槍を持った男達の姿を捉える。
アリスはその前へ躍り出た。
兵士達が驚いて、アリスを見て、そして笑う。
「ココ! ココ! ブッサ! ブッサ!!!」
巫女の登場に盛り上がる兵士達に、アリスは黙って、槍を振り上げる。
そして、思い切り。
地面へ突き刺した。
「きえええええ!!!!!!」
アリスは村中に響けと、金切り声で叫ぶ。
喉が熱い。
気づけば、涙が止まらない。
泥が跳ねる。
ざわめきが止まる。
兵士達の足が止まる。
アリスは槍の前へ立った。
両手を広げる。
そして叫ぶ。
「シッ!」
兵士達の顔が固まる。
アリスは、夢中で身体全体で叫ぶ。
「シッシッシッー!!!」
さらに手を下から上に大きく振り払い、炎の熱気を押し上げるように叫ぶ。
「シッ! シッ! シッ!!!」
あっちいけ。
来るな。
広場へ来るな。
その思いを、胸に、アリスは泣きながら何度も叫んだ。
兵士達が顔を見合わせる。
前列の男達が戸惑ったように立ち止まる。
ざわめきが広がった。
一人の男がゆっくりと膝をつく。
続いて、もう一人。
槍が泥の中へ落ちる音がした。
誰かが額を地面へ擦りつける。
それを見た周囲の男達が息を呑み、さらに後ろの者達が足を止める。
ざわめきは波のように広がり、やがて消えていった。
燃え盛る村の中で、聞こえるのは火の爆ぜる音だけになる。
誰も前へ出ようとしない。
誰も槍を構えない。
兵士達は互いの顔を見合わせながら、その場に立ち尽くしていた。
効いた。
アリスは拳を握る。
理由なんて知らない。
でも止まった。
だったら。
今はそれでいい。
おばあちゃん達を逃がす時間を稼ぐ。
それだけだ。
アリスは地面に差したままの槍に、祈りを込めて骨の首飾りを掛けた。
この槍の向こう側の連中が、こちらに来ないようにと願いを込める。
そして、踵を返して広場へと走る。
これで、少しは時間が出来たはずだ。
おばあちゃん。
ヒイラギ。
ちゃんと逃げていて。
お願いだから。




