弥生16 ブッサ
やっと女性達を振り切り、神殿を出たアリスは、外がもう夜になっている事に気がつき、足が止まった。
神殿は高い柱の上に立っている為に、町が遠くまで見渡せた。
夜風が全身を包む中で、アリスはそこからの景色に圧倒されていた。
神殿の周りは広場になっていて、あちこちで篝火が焚かれていた。背の高い木々が、火に揺れて黒く蠢いて見えた。
そしてその向こうには、無数の建物がびっしりとひろがっている。
電気はやはりない。かわりに、空には満天の星空と、照明代わりの火が無限に町に広がっていた。
アリスの知っている都会のイルミネーションでも夜景でもない原始的な自然の大パノラマ。
そして、この町は、やはり想像以上に巨大だ。
とっさにアリスはその夜景をスマホで撮影する。
レンへ送れば、何かの役に立つかもしれない。
レンへライメッセを送ったアリスは、闇の中に吸い込まれるように真下へと広がる階段を、恐る恐る覗き込んだ。
目眩を覚えながら、それでも躊躇うことなく、槍を杖のように使いながらゆっくりと階段を降り始める。
転げ落ちないよう注意しながら、広場を見下ろすと、だんだん黒い影のような人の動きが見えてくる。
昼間は白い着物姿の女性が多かったが、今は武装した男達ばかりが、あちこちにいた。
松明の火が揺れ、その明かりの中を人影が絶えず動き回っていた。
荷物を抱えて走る者。大きな土器を運ぶ者。槍を束ねて肩へ担ぐ者。
誰も降りてくるアリスを気に留めるものはいない。
夜なのに、町は眠っていない。
むしろ、どこか浮き足立っていた。
「ココ!」
階段をそろそろと降りきったアリスは、男達の声に驚く。
そしてまた、
ドン、と槍が地面を叩く音。
「ブッサ!」
笑い声が上がる。
また別の場所から同じ声が聞こえた。
「ココ!」
「ブッサ!」
「ココ!」
「ブッサ!」
まるで伝染するみたいに、広場のあちこちで声が上がる。
嫌な言葉が周囲に呪言のように木霊していて、気持ち悪い。
みんな楽しそうなのに、これはお祭りじゃない。
もっと嫌な何かだ。
焼けた村で見た男達の笑い方に、少し似ている。
はやく、『ココ』に戻らないと。
広場の端へ目を向けると、地面には神輿みたいな大きな木でできた丈夫そうな板があった。
四方に取っ手が伸び、大勢で担げるようになっている。
その上に運び込まれているのは、様々な積み荷だった。
干した肉を束ねたもの、何かが入った土器、獣皮の袋、何本もの槍。
どこか長距離移動する前の準備をしているようだ。
見渡すと、そんな神輿もどきがあちこちにあり、男達が騒がしく荷物を積んでいた。
その量が尋常じゃない。
アリスは知らず唇を噛んだ。
この荷物は、一体何のためなのか。
周囲で騒がしく連呼される言葉が、それに無関係なわけはない。
たぶん、「ココ」へ、行こうとしている。
アリスは息をとめるように、そんな男達の間をすり抜けていく。
その時、懐のスマホが震えてハッとする。
不自然な程早足で歩いていたアリスは、一旦足を止めてスマホを見る。
【レン】おい、マジで危険なことするな!
そんな事を言われても、仕方ないじゃない。
アリスは大きく息を吸うと、槍を抱え直してまた歩き始めた。
広場は広かった。
正直なところ、どっちにココ村があるのかよくわからない。
とにかく、この町の外へ繋がる門までいく。
そこから、どうやってココ村からここまで来たのか、思い出して進むしかない。
ふと、近くにいた男が、はっとしたようにアリスを見て、慌てて頭を下げた。
「え?」
アリスは、嫌な予感がして、その場を離れようとしたが、さらに別の男も頭を下げる。
また一人。また一人。
人の輪がゆっくり割れていく。
後ろを振り返るが、そこにも頭を下げる兵士達しかいない。
誰か偉い人が来たのかと思ったけれど、やっぱり自分らしい。
巫女様ってこんなに偉いのかと、流石にうんざりしていると、男達は何かを話していた。
男達は暗い闇の中で口元を歪ませて、アリスをジロジロと見る。
その視線だけは妙に真面目だった。
アリスの身体が震えた。
まるで何かを待っているみたいに見えて、嫌な予感しかしない。
また、捕まって、あの部屋に……?
アリスはとっさに、槍を持ち上げた。
羊の皮を被った狼だ!!!
……違う。
羊だ。
今は羊にならないと、また捕まってしまう!!!
槍が重い。
ふらつきながらも、出来るだけそれを高く掲げる。
男達の視線が集まる。
想像以上の視線が、アリスに集まっている。
「ふんぬー!」
その数に押し潰されそうになりながら、アリスは叫んで、槍を地面へ叩きつけた。
乾いた音が広場へ響く。
やけに周囲が静かに思えた。
アリスは気にしないで顔を上げて笑って見せた。
猫目の男みたいに。
あの時の男達みたいに。
――羊の皮を被って笑ってごらん?
笑わなきゃ!!!
アリスは笑ったまま周囲を見渡した。
そして、腹の底から叫ぶ。
「ココ!!!」
炎が、近くにいた男達の、大きくなった目を照らした。
大きく息を吸い込み、また、大声で叫ぶ。
「ブッサー!!!」
一瞬だけ静かになった。
本当に一瞬だった。
次の瞬間には、騒がしい喧騒と笑い声が爆発して広場へ広がっていた。
ガキンガキンと槍が鳴る。
誰かが叫ぶ。
別の誰かが続く。
ココ!!! ブッサ!!!
ココ!!! ブッサ!!!
気付けば広場中が同じ言葉で埋まっていた。
――アリスの笑顔は世界一だ
一瞬、父の伊太郎のドヤ顔が脳裏に浮かんで、アリスは唇を噛む。
そんなんではない!
アリスは、何とかこの異様な集団の兵士達から逃れようとまた足を進める。
男達の間を狙い、広場の外へ、町の外へ。
アリスの笑顔を見て、男達も笑う。
気付けば、どこへ動いてもアリスは人の輪の真ん中にいる。
なんなのこれ。
意味が分からない。
アリスは笑い顔を振りまきながら、必死で前に前にと進む。
低い角笛の音が夜空へ響いた。
さっきまで荷物を運んでいた人達が、慌て出す。
騒いでいた男達までもが、自分勝手な意志とは違う意志で動き、連結する。
荷物を背負う者。
槍を持つ者。
松明へ火を移す者。
誰も慌てない。
当たり前みたいに動いていく。
その流れに押されるように、アリスも歩き続ける。
いや。
押されてはいない。
誰もアリスを触っていない。
それなのに、周囲が勝手に道を作るせいで、アリスの進む方角は勝手に決まっていく。
ただ、アリスはこの集団を抜けて、ココ村まで行きたいだけなのに、逃げられない。
な、なにこれ!??
皆、私についてきてるの!???
神殿が遠ざかる。
町の灯りが後ろへ流れていく。
気付けば門が見えていた。
気付けば町の外だった。
アリスは思わず振り返る。
後ろには松明。
また松明。
さらに松明。
火の列が暗闇の向こうまで続いていた。
その光景が妙に現実感がなくて、アリスはしばらく見入ってしまう。
それから思い出したようにスマホを取り出した。
【アリス】お兄ちゃん
返信はすぐだった。
【レン】生きてたか
【アリス】町から出れた
【アリス】たぶんココ行ける
【レン】どうやって???
アリスはもう一度後ろを見る。
炎に照らされた槍と防具と男達が、暗闇の中で蠢いていた。
数えようとしても無理だった。
ココ!!!
ブッサ!!!
そして獰猛な笑い。
説明したいけれど、アリスにも分からない。
【アリス】知らない
【アリス】なんかついてくる
数秒後。
【レン】何が
【アリス】人が沢山
【レン】は?
【アリス】200人くらい、ついてくるの
メッセージが止まり、レンが混乱しているのがわかった。
いや、怒ってる? それとも、引いてるかもしれない。
ココへは行ける。たぶん。
問題は、その先だった。
言葉は通じないし、戦えない。
何が起きるのかも分からない。
その時になって初めて、アリスは泣きそうになった。
槍を握る手へ力を込める。
泣くな。
まだ泣くな。
……どうして、私、こんな事になってるんだろ?
そして夜道を歩きながら、小さく文字を打ち込んだ。
【アリス】ねえ
【アリス】もし本当にココ村が危なかったら
【アリス】どうしよう???
答えは出ない。
だから、そのまま送った。
【アリス】助けて。お兄ちゃん




