弥生12 繋がる兄妹
レンは夕飯を終え、一家団欒を過ごしたあと、自分の部屋へ戻って深く息を吐いた。
思っていた以上に気を張っていたらしい。自分でも引くくらい、大きなため息だった。
高校時代からほとんど変わっていない部屋に入ると少しは落ち着くはずなのに、ベッドへ倒れ込んでも頭の中はざわついたままだった。
アリスが、あまり使わなかった《観測者 ミラ=ノクティリカ》を妙に気に入っていたこと。
昔なら絶対に切らなかったカードを、平然と使い捨てたこと。
カードゲームの途中から感じていた小さな違和感は、夕飯の最中も胸の奥に居座り続けていた。
だが、それより気になるものがある。
レンはスマホを顔の上へ掲げた。
父の以前のライメアカウントから送られてきた大量のメッセージ。
本来なら、とっくに削除されているはずのアカウントだ。
なのに、そこからずっと“アリス”が話しかけてくる。
普通ならブロックして終わりだった。
そう思っていたはずなのに、レンは未読のまま通知だけを確認し続けていた。
そして、さっき。
ついに返信してしまった。
【レン】お前誰だ
送信した瞬間、自分でも馬鹿だと思った。
目の前にはアリスがいる。
夕飯も一緒に食べた。
父を雑にあしらい、母と笑い、いつも通り騒がしくしていた。
なら答えは簡単だ。
スマホの向こうがおかしい。
それで終わりのはずだった。
それなのに、胸の奥に引っ掛かったままのものが消えない。
【ママ、ちゃんと家にいる?】
【ママにそっくりな人がいる】
そのメッセージを見た時、レンは思わずキッチンまで確認しに行った。
母はいた。
エプロン姿で洗い物をしていた。
いつも通りだった。
だから終わった話のはずなのに、胸の奥がざらついて、終わってくれない。
返信はまだ来ていない。それが妙に腹立たしかった。
何を期待しているんだ、俺は。
そう思った瞬間だった。
スマホが狂ったように震え始めた。
【アリス】は??????????
【アリス】やっと既読つけたと思ったら何それ!?!?!?
【アリス】お兄ちゃん!?
【アリス】誰って何!?!?
【アリス】こっちはずっと助けてって送ってたんだけど!?!?
【アリス】なんで何も返事くれなかったの!?
【アリス】誰かあたしのこと探してくれてる!?
【アリス】警察とか動いてる!?
【アリス】こっちはマジで死にそうなんだけど!?!?
レンは思わずスマホを少し離した。
「……うるさい」
だが、この勢いと圧は嫌になるほどアリスだった。
レンは眉間を揉みながら、試すように打ち込む。
【レン】本人なら答えろ
【レン】父さんの誕生日
返信はほとんど間を置かなかった。
【アリス】5月14日
【アリス】あとライメのパスワードもそれ
【アリス】セキュリティ終わってる
数日前にもやったやり取りだった。
レンは思わず口元を緩めかけ、慌てて押さえる。
この返し。このテンポ。この遠慮のなさ。
まるで本当にアリスだ。
あり得ない。
AIか。
あるいは、誰かがアリスを真似ているのか。
だが、もし悪戯なら、どこまで調べているのか。
レンは躊躇いながらも続けた。
【レン】俺の黒歴史は?
少し間が空く。
流石にこれは無理だろう。
そう思った直後、再び画面が震えた。
【アリス】家庭教師バイトで調子乗りすぎ問題
【アリス】コロナでバンド即解散
【アリス】ギター売却済み
【アリス】超有名大学いってモテるのに未だに彼女なし
「お、おい……」
そこまで言うか普通。
レンは額を押さえた。
全部事実だった。
そして、その言い方まで含めてアリスだった。
それでも、疑いは消えない。
だが、切り捨てることも出来なくなっていた。
安心とは真逆の感覚だった。
答えに近づくほど、不気味さだけが増していく。
【アリス】なんかさっきから本気で私のこと疑ってるでしょ!?
【アリス】サイテー!!!
【アリス】てかなんでずっと未読スルーしてたの!?
【アリス】ママはどうしてるの!???
【アリス】はやく助けに来てよ!!!
レンはもう笑えなかった。
アリスはこの家にいる。夕飯の席にもいた。
ライメッセを送っている様子などなかった。
それなのに、スマホの向こうの“アリス”は、そんな事知らないよ、と煩いくらいに“アリス”だ。
あり得ない。
レンは息を吐き、スマホへ指を動かした。
【レン】お前、今どこにいるわけ?
既読。
次の瞬間、怒涛のメッセージが流れ込んできた。
【アリス】知らんがな!!!
【アリス】分かんないからお兄ちゃんにいっぱい情報送ってるんだけど!?
【アリス】昨日まで変な村でどんぐりとか食べてたの!!
【アリス】そしたら急に怖い男たちに捕まって!!
【アリス】めっちゃデカい町みたいなとこに連れてこられて!!
【アリス】白い服の女の人ばっかいるし!!
【アリス】ママそっくりの人いるし!!!
【アリス】意味わかんないし!!
【アリス】お腹すいたし!!!
レンはまた眉間を押さえた。
相変わらず情報整理能力が壊滅的だった。
だが、妙に具体的でもある。
作り話なら、もっと上手く嘘をつくだろう。
怖い話をしている途中で空腹を訴えるあたり、むしろ雑すぎる。
そして何より。
【アリス】ママそっくりの人いるし!!!
その一文だけが、どうしても頭から離れない。
だから返信してしまったのだ。
だから今も、この話を切り捨てられない。
ふと並んだ写真の一枚を開き、レンは眉をひそめた。
見覚えのある建物だった。
いや、正確には教科書で見たことがある、が正しい。
こんなの、どこで画像編集してこれるんだ?
ん、なんだ? この写真は?
レンは一番最後にある画像を開いて目を見開く。
【レン】この文字の写真、これ何?
既読。
【アリス】そう!!!
【アリス】急に漢字あってビビった!
【アリス】しかも多分、授業で見たやつで
【アリス】親、なんとか王って書いてあった
アリスはこの言葉も知らないらしい。
『親魏倭王』
スマホを握る手に力が入った。
その四文字をレンは知っていた。
知っているからこそ嫌だった。
『親魏倭王』から、連想される言葉は、卑弥呼、邪馬台国、魏。
本来なら教科書の中だけに存在するはずの言葉だ。
だが今、スマホの向こうから送られてくる話は、その単語と妙に噛み合い始めている。
あり得ない。
そんな結論になるはずがない。
それなのに、無関係だったはずの断片が勝手に並び始める。
レンは重い息を吐き出して、メッセージを送る。
【レン】ママそっくりってなんだ
返信はすぐだった。
【アリス】なんか偉い人っぽい女の人
【アリス】白い服で神様みたいに
【アリス】みんな、ははぁ~って感じで頭下げてた
【アリス】あと太鼓ドンドンしてた
レンはスマホを握りしめる。
神様。頭を垂れる人々。太鼓。儀式。
そして、その中心にいる女。
脳裏に浮かぶ名前は一つしかなかった。
その女が、母に似ているというのは奇妙な偶然だが、それについて、もうレンはライメッセを打ち込むのは嫌だった。
文字にしてしまえば、この馬鹿げた"アリス”についての仮説が急に現実味を帯びてしまう気がした。
【アリス】ママは大丈夫?
【アリス】きっとめっちゃ心配してるよね
【アリス】私のこと探してくれてるよね
レンは思わず、指を止めた。
その問いの回答は、ちゃんと家にアリスがいるから大丈夫、誰も心配していない、だ。
けれど、このライメッセの"アリス"に、それを言ったら、どうなるのだろう。
【レン】ああ、みんな心配している。
【アリス】ママ、泣いてない?
【アリス】ママ、何か言ってない?
【レン】まて、今は確認したいんだ。
レンは、アリスのメッセージを遮って、話を強引に元に戻す。
【レン】卑弥呼って知ってるか?
【アリス】え、名前だけ
【アリス】歴史のテストで見た
【アリス】なんか昔の女王の人だっけ?
レンは額を押さえた。
こいつ、マジで歴史終わってる。
だが、その曖昧さが逆にありがたかった。
もしアリスが邪馬台国だの卑弥呼だの言い始めていたら、出来すぎていて逆に疑っただろう。
【レン】卑弥呼は占いや呪術のような鬼道で人をまとめてた女王だ
【レン】侍女が千人いたって話もある
返信が止まる。
数秒後。
【アリス】え
【アリス】なにそれ怖
レンは苦笑した。
だが、その笑みは長く続かなかった。
もし本当に、スマホの向こうにいるのがアリスなら。
もし本当に、アリスがそんな場所にいるのなら。
笑い話で済むはずがない。
不意に胸が苦しくなった。
【レン】……写真送れ。なんでもいい
数秒後、画像が飛んできた。
「マジかよ……」
レンは思わず天を仰いだ。
これは、本当に悪戯なのか?
アリスの自撮りだった。
よく自分のことを自撮るのが好きな妹が、そこにはいた。
頬が少しやつれ、目の下に隈ができてている。なのに本人は強がるようなひきつった笑顔でピースしている。
見たこともない白い着物。
背後には骨や奇妙な道具が並ぶ薄暗い部屋。
レンは画像を拡大し、確認する。
写真そのものは鮮明だった。
合成写真には見えない。
コスプレイベントにも見えない。
テーマパークだとしても生活感がありすぎる。
目を閉じて、今までの画像も全て思い返してみる。
共通して、とにかく違和感だったのは、現代の痕跡がどこにも見当たらないことだった。
電柱もない。車もない。電線もない。
どの建物を拡大してもガラス窓すら見つからない。
レンは探しているのだ。
この話を否定できる何かを。
だが、どれだけ探しても見つからない。
【アリス】おーい
【アリス】既読スルーも許さん!
頭の中で、ばらばらだった断片が少しずつ形を持ち始める。
それなのに、レンはまだ答えを口にできなかった。
そんなものを認めてしまったら。
スマホの向こうにいる妹が、本当に自分の手の届かない場所へ行ってしまう気がした。




