弥生11 カードバトル
渋谷で働き始めてから、週末に実家へ帰る回数はかなり減った。
仕事もあるし、一人暮らしに慣れると休日くらい好きに過ごしたい。用がなければ、わざわざ実家になんて帰らない。
だから今日も、本当は帰るつもりじゃなかった。
この前帰ったばかりなのに……
「お兄ちゃーーん!!」
玄関を開けた瞬間、レンは軽く顔をしかめた。
勢いよく飛びついてきたアリスを危うく受け損ね、そのまま一歩よろける。
「重っ!」
「ちょ! 失礼!!」
「中二にもなって飛びつくな!」
「まだ中一だし!」
「誤差だろ」
「やんのか!?」
うるさい。
いつものアリスだった。
顔も、声も、テンションも変わらない。
だからこそ、あのライメッセの存在だけが妙に気持ち悪かった。
【助けて】
そこから始まった意味不明なメッセージ。
縄文土器の写真。見知らぬ村。説明のつかない夜空。
悪ふざけだ。
そう切り捨てればいいはずなのに、なぜか切り捨てられない。ブロックすればいいのに、未読スルーのまま通知内容だけは確認してしまう。
こうしてまた帰ってきている自分の方が、よほど意味が分からなかった。
「お兄ちゃん! カードやろ!」
気づけばカードケースがテーブルにぶちまけられていた。
「おい。雑に扱うな」
思わず笑ってしまう。
レンが大学生だった頃、小学生のアリス相手に何百回も遊んだゲームだ。
クリーチャーを出して殴るだけの単純なルールなのに、兄妹で妙に本気だった。
「よし、先攻!」
「は? そのじゃんけんズルだろ」
「勝ちは勝ちでーす」
「また赤単速攻か……」
「懐かしいでしょ? 三ターンで沈めたげる!」
いつもの軽口を叩きながらゲームは始まった。
最初は、本当にいつも通りだった。
だが、途中でレンの視線が止まる。
アリスの指先で、一枚の青いカードがくるりと回っていた。
深海なのか宇宙なのか分からない藍色の闇に、発光するクラゲみたいな異形が浮かんでいる。細い触手の先には、小さな目のような光。
昔、レンが絵だけで買ったクセの強いカードだった。
「おい、試合中に手札みせんな。……それ好きだったか?」
「……なんか好きかも」
アリスが少し笑う。
妙に気に入っているらしい。
まぁ、そういうこともあるかと思った。
だが、その直後。
「……は?」
「なに?」
「そこ切るの?」
「切るけど?」
レンは黙った。
そのカードは、昔のアリスなら絶対に切らない。
アリスお気に入りの切り札級カードだ。しかも、女の子イラストのシークレットバージョン。
いや、それだけじゃない。プレイが違う。
昔のアリスは、思いついたら突っ込む猪タイプだった。先を読むより、勢いで押し切るタイプ。
でも今のアリスは違う。
ちゃんとこちらの手を読んでいる。無駄打ちもしない。別人というほどじゃないが。
長く遊んだ相手にしか分からない、小さなズレがあった。
猪というより、……さっきのカードのあれだ。
じっとこちらを観察している、あの気味の悪いやつ。
その時、レンのスマホが震えた。ライメッセだ。
アリスがちらっと見る。
「誰?」
「……ああ、仕事関係」
嘘だった。
画面には【アリス】。
……目の前にいるんだが。
レンは舌打ちして、通知だけを確認する。
【ねえ、ママ、ちゃんと家にいる?】
は?
意味が分からない。
さらに下。
【変なこと聞くけど】
【ママにそっくりな人がいる】
レンは思わず立ち上がった。
「ちょっとトイレ」
返事も待たず、スマホを握りしめて部屋を出る。
念のため。
ただ、それだけだ。
階段を駆け下りると、キッチンには、いつも通り母の後ろ姿があった。
その瞬間、自分でも笑いたくなるくらい安心した。
……何やってんだ、俺。
だが、次の通知でその余裕は消えた。
【卑弥呼って知ってる?】
は?
流石にわけがわからなかった。
思わず、苛立ちと共にレンはトーク画面を開く。
一斉に既読がつく、細かく並ぶメッセージ。
【アリス】知らない村
【アリス】みんな言葉が通じない
【アリス】泥だらけ
【アリス】田んぼみたいなのある
【アリス】変なおばあちゃんが助けてくれてる
そして貼り付けられた幾つかの写真。
また写真か。
思わず呟きながら流していたレンの指が、ある一枚で止まった。
赤茶色い器だった。
土器。
だが、違う。
縄文みたいな派手な縄目模様がない。形もずっとすっきりしていて、厚ぼったくない。
縄文より新しい。
稲作が始まり、人の暮らしが変わった時代。
「……おいおい」
声が掠れる。
「今度は……弥生土器かよ」
背後で、小さく笑い声がした。
振り返る。
階段に立つアリスが、一枚のカードを指先でくるくる回していた。
藍色に光るカードは、さっきのカードだ。
沢山の瞳がカードにキラキラと浮かんでいる。
《観測者 ミラ=ノクティリカ》
「……なんだよ?」
アリスは答えない。
ただ、そのカードを見つめながら、どこか楽しそうに笑っていた。




