弥生10 卑弥呼
大きな布の向こうへ通された瞬間、アリスは思わず足を止めた。
「え?」
外だった。
暗がりから明るい外界へ出たせいで、目が僅かにやられて、アリスは思わず目を細めて手をかざした。
広々とした整理された広場が、目の前に広がっている。
え???
わけがわからなかった。
ついさっきまで、喧騒とした町の中だったのに、この屋敷に入った先は、町の外??
周囲を見渡して、そうではないと気づく。
この場所そのものが、高い壁に囲まれていた。
まだ町の中だ。
ただ、その中にこんな隔離された別世界があるだけだった。
ところ狭しと建物や人が混沌としていた町とは、あまりにも違う。
町のど真ん中に、なぜこんなとんでもなく広い場所を作ったのだろう。
女たちに背中を押され、一歩外へ足を踏み出す。
踏み固められた土の広場に、低く整えられた草。見たこともない木が並び、その向こうにはさらに巨大な建物がそびえている。
何か香を炊いているような、不思議な香りの霧がかっていて、神聖な場所に迷い込んでしまったみたいだった。
不思議な場所だ。
この町で一番偉い人のお城みたいな場所なのか、それとも何かを祀っている神社みたいな?
周囲を見渡しながら、足を進める。
人がいる。
女ばかりだ。
白い清潔そうな着物を着た上品な女たち。
水を運ぶ者。布を抱えて歩く者。何かを磨いている者。頭を下げて静かに立っている者。
どこを見ても、白い着物姿の女ばかりだった。
全員が静かに動き、音ひとつ立てずに作業している。
厳粛な空気すら感じて、アリスの背筋も思わず伸びた。
その中央を、猫目の男が当然みたいな歩みで、ゆらゆら背を揺らして進んでいく。
女たちは、その姿を見るたび遠くからでも頭を下げている。
やっぱり偉いんだ、この人。
この人のお屋敷なんだろうか。
アリスは女たちに優しく背中を押されながら、その後を歩かされる。
やがて、広場の奥にある大きな建物へ辿り着いた。
まるで煙の中からふわりと現れたその建物に、アリスは圧倒された。
巨大な建造物だった。
太い柱が地面から何本も突出し、梁や柱には奇妙な飾りが施されたしめ縄が巻き付いている。
建物は、その柱の上にドスンと立っていた。
「あ……」
一瞬、巨大な高床式倉庫みたいだと思って、アリスは場違いにも苦笑した。
もちろん、お米が入っているわけじゃない。
その周囲には櫓が組まれ、武装した男たちが立っている。
何か、お米よりも大事な存在がいるんだ、きっと。
ひな祭りのひな壇みたいな、立派な階段が柱の上へと伸びている。
猫目の男は、その階段を独特な足取りで登り始めた。
当然、アリスも女たちに連れられてその階段を上がる。
ふと、入口脇の大きな木柱を見て、アリスは息をのんだ。
文字が彫られていた。
今まで、どこにも文字なんてなかったせいで、思わずアリスはそれを凝視した。
村にも、道にも、焼けた村にも、文字はなかったはずだ。
そのせいで、それが余計に奇妙なものに見えた。
柱に彫られた呪術みたいな模様の中に、四文字の漢字が刻まれていた。
『 親 魏 倭 王 』
「……え?」
この言葉、見たことがある。
歴史のテスト?
でも読めない。なんだっけ。えっと。
……卑弥呼? ……邪馬台国?
不意に浮かんだ言葉は、この四文字と深い繋がりがある気がした。
なんで、そんな言葉が、こんなところに彫られているんだろう?
アリスが呆然としていると、横の女がその視線に気づいた。
誇らしげに胸を張り、館の奥を指差す。
「キドウ」
「……え?」
女は嬉しそうに、もう一度言った。
「キドウ」
意味は分からない。
アリスは周りに気づかれないようにスマホを取り出す。
きっと、この柱の文字は、レンが私を探すのに役に立つ情報になる気がしたのだ。
その時、階段の上の方から、重い音が響いた。
ドン……。
「きゃ!」
スマホを落としそうになりながらも、アリスはギリギリ写真を取る。
また。
ドン……。
腹の奥まで響くような音だった。
足を止めていたアリスは、また背中を押され、階段を登り始める。
登りきった先には、大きな館があり、大きな開口部が口を開けていた。
その入り口の縁には、様々に染められた布がはためいている。
ドン!
音は一際大きくなった。
アリスは女たちに引っ張られて中に入り、また呆然とした。
そこは、もう別世界だった。
……広い。
……とにかく広い。
何百人も入りそうな、天井も見上げるほどの大きな空間だった。高い天井から煙が漂い、太い柱の間には火が揺れている。
壁には色鮮やかな布。
獣の骨、磨かれた玉、見たことのない奇妙な飾り。
白い服の女たちが何列にも並び、低い声で何かを唱えていた。
武装した戦士たちもいる。
槍を持つ者、弓を持つ者、鎧みたいなものをつけた者。
誰も喋らない。
ただ、真剣に中央だけを見ている。
アリスもその視線の先を追う。
その奥には、高く組まれた壇があった。
厚い布が何枚も垂れ、中は見えない。
ドン……。
また音が響く。
女たちの声が重なる。
空気が変わる。
戦士たちの目が変わる。
怖いくらい真剣だった。
まるで、本当に神様が現れるのを待っているみたいに。
その時だった。
布が、ゆっくり開く。
現れたのは、ひとりの女だった。
白い衣には、さらさらと金色の飾りがゆれている。
長い髪は、束ねられもせず、綺麗に肩から胸まで豊かに広がっていた。
静かな足取り。
戦士たちが、一斉に頭を垂れる。
猫目の男まで、頭を垂れ、誰よりも厳粛な気配を漂わせている。
そして。
高い壇上の女性を視界にいれたアリスは、固まっていた。
「……え」
女性は、頭に綺麗な金の飾りを揺らし、ゆったりと歩く。
「え、ど、どうして……」
その歩き方も、見覚えがありすぎた。
遠目で顔はまだはっきり見えない。
それでも、目元や輪郭、纏う雰囲気が——
そっくりだった。
でも、違う。
こんな所で、こんな事をしているはずがない。
ただ——
似ている。
似すぎていた。
……ママ?




