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「名前のない女」
1994年5月25日。
私の名前は——思い出せない。
目が見えない。耳が聞こえない。声が出ない。匂いが分からない。味が分からない。手で触れても何も感じない。
残っているのは——命の熱を感じる力と、崩れかけの記憶だけ。
隣に、温かい熱がある。太陽のような熱。世界で一番大切な——あの子の名前が出てこない。二文字の名前。金色の瞳の。味噌汁を一緒に飲む。毎朝、角を曲がる前に手を振ってくれる。
あの子の名前を——私が、忘れた。
でも、熱だけは分かる。この熱は、絶対に忘れない。
今日、私は消える。この村を守るために。あの子を守るために。五感を全部差し出して、最後に命を差し出す。
八日前——まだ色が見えていた。声が出ていた。味噌汁の味が分かっていた。あの子の名前を呼べていた。
たった八日で、世界からすべてが消えた。
——いや。
消えたのは世界ではない。消えたのは、私だ。
*
——八日前——




