はじめに
この物語は、「写真」で死者の記憶を浄化する少女が、村を守るために五感のすべてを差し出す、八日間の記録です。
読み始める前に、この世界の「言葉」をいくつかだけ、お伝えしておきます。すべてを覚える必要はありません。物語の中で、自然に分かるようになっています。
■ この世界のこと
【写し世】 現世の裏側に広がる、もう一つの世界。 死者の想いが沈み、忘れられた記憶が漂う場所。 暖色は暗く、寒色は明るく映る——現世の色彩が反転した、鏡像の世界です。 霧が濃い夜には、その境界が薄くなります。
【夕霧村】 霧梁県の山あいにある小さな村。 夕方になると深い霧に包まれることから、この名がつきました。 村の中心に影向稲荷。その麓に、橋爪写真館。 1994年の五月、この村で——すべてが始まります。
■ 写真にまつわること
【夢写師】 写し世の想いを写真に写し取り、現世との境を守る者。 明治以前は「影写りの巫女」と呼ばれ、鏡を使っていました。 写真技術の伝来とともに、カメラが鏡に代わりました。 橋爪家は、江戸の世から続くその末裔です。
【写祓】 死者の記憶を写真に定着させ、浄化する儀式。 シャッターを切ることで、魂の残響をフィルムに閉じ込めます。 ただし、代償があります。 写祓のたびに、術者は自分の中の「何か」を失います。
【魂写機】 橋爪家に伝わる8×10インチの大判カメラ。重さ八キロ。 紫外線と青の波長を中心に、「魂の光」を捉えるレンズを持ちます。 感光してから十五分以内に撮影と現像を終えなければ、像は二度と結びません。
■ 封印のこと
【欠片】 写し世の封印を完成させるために必要な、五つの結晶。 光、水、風、火、心——それぞれに対応する力を持ちます。 手に入れるたびに、巫女は感覚を一つ失います。 色を。声を。匂いを。触覚を。そして——記憶を。
【七時四十二分】 封印が完成する瞬間の時刻。 懐中時計の針が止まり、村の時間が止まり、巫女の心臓が止まる—— この物語のすべては、その時刻に向かって進んでいきます。
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この物語は、問いかけます。
——消えても、残るものはあるのか?
答えは、物語の最後に。
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それでは、霧の中へ。 夕霧村の写真館で、夢写師チヨが待っています。




