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迦陵頻伽  作者: 泉夏
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応麟は瑩清の手をしっかり握りながら、中庭を歩いていた。

瑩清が「天気が良いようだから、外で話さない?」と提案したためである。

奇しくも2人は7年前と同じ場所に向かっていた。


中庭は春の花々が咲き誇り見事なものだ。

応麟は麗華に付き合ってこの庭の花を観賞することがある。

その時の麗華の嬉しそうにはしゃぐ姿は可愛らしいもので、見ていてとても微笑ましい。

だが、目の見えない瑩清はどうだろう。

ちらりと応麟が横目に彼女を窺うと、とても穏やかな顔をしていてほっとする。

時々息を大きく吸い込み、鼻をひくひくさせているところを見ると香りを楽しんでいるようだった。

幼い無邪気な少女のような仕草。

その姿は自分の知る以前の瑩清のように思えて、応麟は嬉しくなった。

ようやく本当の彼女に会えたような気がして、握る手につい力を入れてしまう。




瑩清は爽やかな香りに魅かれ、ある落葉樹の前にやって来た。

応麟も何も言わずただ彼女に従い、その樹を見上げた。

濃い赤紫色をした花を咲かせており、隣には白の花を咲かせた樹も並んでいる。


「これは木蓮よね?」

「ええ。こちらは紫木蓮、その隣は白木蓮ですよ」

「そうだったわね。…いい香り…」


瑩清はうっとりと目を閉じて、何も話さない。

応麟も彼女に倣いしばし香りを楽しんでいたが、気になって隣に並ぶ瑩清を見つめた。

こんな間近に瑩清を見るのは再会した日以来だった。

顔を少し上向きにさせ、恍惚の表情を浮かべる彼女はとても美しく、応麟の視線を釘付けにする。

まるで恋人からの口づけを待っているかのように見えたからだ。


その時、ふと友人である泉明の顔が頭を過る。

瑩清と泉明の関係が一体どのようなものなのか応麟は知らない。

ただ泉明が一方的に想いを伝えていた時よりもはるかに2人の距離が縮まっているのは明白であった。

もしかしたらすでに心を通わせているのかもしれない。

あの男にもこういう顔を見せたのだろうかと思うと胸に何かが痞える。


「―――ふふふ。私の顔に何かついている?」

「え?」

「いくら目が見えないからといって、そんなに見つめられては視線が痛いというものよ」

「す、すみません」


瑩清が突然笑ったかと思えばそんなことを言うものだから、応麟は慌てて視線を外す。

そこまでじっと見つめている自覚が彼にはなかった。


「ねぇ。その話し方どうにかならないかしら?なんだか会話をしていてすごく違和感があるの」

「違和感…ですか」

「昔はそんな話し方ではなかったでしょう?応麟ではなく知らない殿方とお話しているみたいだわ」

「知らない殿方とは酷いですね」

「だって私には確かめる術がないもの」


瑩清は寂しそうに笑う。


「体の大きさも全く違うし、声も低くなってしまって…。私の知っている応麟ではないもの。私の中で応麟は7年前のまま」


瑩清が応麟に向き合うと、ゆっくり右手を高く掲げて応麟の頬に触れる。

その感触に目を細めると優しく撫でた。

遠い昔を思い出すように。


「人を叩いたのは後にも先にもあの時だけだわ。痛かった?」

「…瑩清」


応麟は合うはずのない瑩清との視線がその時交わったように思え、はっと息をのむ。

そんなことはあるはずないのに。

そしてとうとうあの時のことを切り出されたのだとわかり緊張する。

だが悟られぬよう、昔のように気安い口調で返した。


「…痛かったよ。私も女性に叩かれたのも、叩いたのも後にも先にも君だけだよ」

「そういえば私も応麟に叩かれたんだったわ」


言われて初めて気づいたとばかりに、瑩清は応麟から手を引くと自分の頬を触った。

離れた温もりを追うように、今度は応麟が瑩清の頬に触れる。

彼女の手の上に重ねるように、そっと。


「忘れてたのか?」

「それ以上に痛い所があったから」

「?」

「わからないかしら?―――ここよ」


するりと応麟の手から逃れた瑩清の手は胸元を押さえた。

応麟は、また瑩清の温もりが逃げてしまったと寂しさを感じていたが、彼女の言いたいことを察した。

今でもあの時の状況がまざまざと思い出される。

いや、実際は忘れようとしても忘れることなど出来なかったのだ。

瑩清の暗い闇を。


「…すまなかった。幼かったとはいえ君をひどく傷つけた」

「あら。自覚はあったの?」


予想に反し、瑩清はきょとんと目を見開くと、くすくす笑い出した。

そんな彼女に戸惑いつつ、応麟は頷く。


「ああ。無神経だったと反省している。すぐに謝りたかったが、すでに会えない状態だったし…」

「その後、私は都を離れてしまった」

「そう、君はここからいなくなってしまった…」

「寂しかった?」


瑩清は応麟の顔を覗き込むように、顔を近づける。


「勿論だ。いつも一緒にいた瑩清がいなくて、麗華も―――」

「麗華のことはいいの。私は貴方に聞いているの。応麟は寂しかった?」

「当たり前だろう?」

「本当に?」


全てを見透かすように見つめてくる瑩清の瞳。

応麟は見返すことが出来なくて、すっと視線を逸らした。

すると瑩清から笑いがこぼれる。


「応麟は嘘吐きね。今、目を逸らしたでしょう?」


応麟は本当に瑩清は目が見えていないのだろうかと、思わず身を震わせた。

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