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第五話:東へ・アステリアの光

 湖を離れてからも、北への旅は続いた。荒れた土地を抜け、名もない山脈を越え、幾つもの季節が入れ替わった。


 ある朝、廃墟となった集落の跡地で、グラウンドは古い刻文を見つけた。石壁に刻まれた文字は摩耗していたが、辛うじて読み取れる部分があった。


「大いなる器が眠る――南の大陸の果て」

「南の大陸? どこだ、それ?」


 ゼノンが覗き込みながら首をかしげる。北を目指してきたはずなのに、示されているのは南だ。


「俺たちよりずっと昔に、誰かがここを知っていたようだ」


 グラウンドは刻文の縁をなぞった。文字の一部が、意図的に削り取られている。


「削られた文字がある。しかも……一度彫ったあと意図的にやった感じの傷だ」


 ゼノンが刻文に顔を近づけて言った。旅を重ねるうちに、この甥っ子の観察眼は着実に鋭くなっていた。


「誰かが、隠そうとしたのかもな」

「隠すくらいなら、最初から刻まなければいいだろ」

「隠したい部分と、遺したい部分が、別だったのかもしれない。あえてメッセージに残したのかもな」


 結論の出ない謎を地図の余白に書き留めて、2人はまた歩き出した。


 その日から、グラウンドは道中で見かける刻文や遺構に、これまで以上に目を配るようになった。同じ筆致、同じ削り方の跡がないか。誰が、何のために、これほど古い時代にこの記録を遺したのか。答えは出ないまま、疑問符だけが旅の荷物に増えていった。


 ◇◆◇◆◇


 やがて辿り着いたのは、新しい国が生まれようとしている土地だった。


 あちこちに建材が積まれ、槌の音が絶え間なく響いている。人々の顔には熱気と、まだ形を成さない未来への不安が入り混じっていた。


「ここのマナが安定している」


 地に手をつき、グラウンドは呟いた。


「誰かがここを選んだ理由がある」

「しばらく留まるのか?」

「……ああ、少しだけな」


 その「少し」が、想像を大きく超えることになるとは、この時のグラウンドはまだ知らなかった。


 旅の資金を稼ぎながら、グラウンドは酒場で語りを始めた。竜の国の話をすれば、誰もが面白がって耳を傾けた。ゼノンは最初こそ居心地悪そうにしていたが、次第にこの土地の空気に馴染んでいった。


 調査を続けながら留まるうち、季節はいくつも巡った。


 人の一生ほどの時間が、この土地では瞬く間に過ぎていく。ゼノンは幾人もの人間の友人を見送った。生まれて、老いて、いなくなる――その繰り返しを目の当たりにするたび、ゼノンの言葉数は少しずつ減っていった。


 かつて世話になった宿の主人が、ある年、静かに息を引き取った。共に飲み明かした鍛冶屋の男も、その息子の代になった頃には、もう顔も覚えていないと言われた。それは、ゼノンだけの喪失ではなかった。同じ酒場に通い、同じ顔ぶれと笑い合ってきたグラウンドにとっても、同じだけの重さを持つ別れだった。


「関わっても、いずれ失う」


 ある夜、ぽつりとそう漏らしたゼノンに、グラウンドは何も言葉を返せなかった。ただ黙って、隣に座っていた。慰めの言葉など、必要なかった。同じ景色を、同じ数だけ見送ってきたのだ。分かりすぎるほど、分かっていた。


 ――もし、この甥っ子が一緒に旅をしてくれていなかったら。


 そう考えることが、グラウンドにはたびたびあった。竜としての時間の重さを、誰かと分かち合えるというのは、決して当たり前のことではない。ゼノンがいなければ、この孤独を語る相手すら、自分にはいなかったかもしれない。そう思うと、隣で黙り込む甥の存在が、いつも以上に大きく感じられた。


 グラウンドの方は、変わらず記録を積み上げ続けていた。酒場で語る竜の国の話は、いつしか土地の人々の間で語り継がれる物語になっていた。誰が最初に語ったかも忘れられたまま、それは少しずつ形を変えながら、この土地に根を張り始めていた。


(俺の話が、こんなふうに1人歩きしていくのか……)


 グラウンドはその過程を、当事者として面白がりながら見届けていた。


 ◇◆◇◆◇


「……もしかして」


 語りの途中、丸眼鏡の女が手を止めて言った。


「これは、アステリアの建国時代の伝承につながっているのですか?」

「よくご存知ですね」

「当然ですわ。この国に生まれ育てば、誰でも一度は耳にする話ですから」


 女は静かにそう言ってから、続けた。


「それにしても――細かいですね。建材の積まれ方、槌の音、人々の顔つきまで想像できるわ。伝承にしては、あまりに具体的すぎます」

「この国の言い伝えを、俺なりに脚色しているだけですよ」


 いつもの答えだった。だが今夜の女は、それだけでは引かなかった。


「本当に、そうでしょうか?」


 眼鏡の奥の目が、まっすぐにグラウンドを捉えていた。理知的でありながら、どこか食い下がる粘り強さを感じさせる視線だった。こういう手合いは、これまでの旅でも幾人か見てきた。だが、これほど的確に核心を突いてくる相手は、記憶にない。


「脚色というのは、普通はもっと劇的にするものです。誇張したり、都合よく変えたり。でも、あなたの話は逆です――むしろ地味で、正確で、そして生々しい。誰かが実際に見た通りを、そのまま書き写しているような……」


 グラウンドは何も答えなかった。答えられなかった、というのが正しいかもしれない。


 入口の護衛2人も、いつのまにか軽口をやめ、じっとこちらの様子をうかがっている。


「……お答えいただけないんですね?」


 女は小さく息を吐き、それ以上は追及しなかった。だが手帳を閉じるその手つきには、確信に近い何かが滲んでいた。


「……続きは、また今度伺います」


 そう言い残して、女は静かに店を出ていった。その背中を見送りながら、グラウンドは妙な胸騒ぎを覚えていた。厄介な相手に目をつけられたのか、それとも――ようやく、まともに話の通じる相手に出会えたのか。どちらとも判断がつかなかった。


 その日の語りは、そこで終わった。



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