↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
5/11

第三話:旅立ちの契機と朝

 リベルがグラウンドの調査室を訪ねてきたのは、姉弟の口論から数日後のことだった。


 金色の髪を無造作に束ね、動きやすさだけを考えたような軽装で現れる。母のセフィラ譲りの奔放さを、そのまま体に纏っているような女だった。


「ねえ、外に行くつもりでしょ?」


 軽い調子だったが、目は本気だった。


「じゃぁさ、うちのゼノンも連れてってあげてよ」

「……危ないかもしれませんよ」

「だから一緒に行ってほしいの。旅には慣れてるでしょ?」とリベルは言った。「あの子、外の世界を見たがってるし。それに、あなたの調査の役に立てると思う」


 グラウンドが答えるより先に、部屋の隅からゼノンの声が飛んできた。


「もう決めてる。俺も行くぞ。母さんの許可は取ったんだから」


 いつの間にか調査室に入り込んで、地図を眺めていたらしい。


「それは俺が決めることだ」

「じゃあ早く決めろよ」

「……なぜ俺が断れないんだよ」


 ぼやきながらも、グラウンドは頷いていた。この甥っ子には、いつも押し切られる。


 クロノスへの報告は、拍子抜けするほど短いものだった。事情を伝えると、クロノスはしばらく黙ったまま息子を見つめていた。長い沈黙の後、口を開いたのはひと言だけだった。


「……お前が決めたなら」

「止めないのか!?」

「止める理由がないからな」


 それだけ言って、クロノスはまた黙り込んだ。父らしい言葉はそれきり出てこなかったが、息子はそれで10分そうだった。


「命令は聞け。それだけだ」


 グラウンドがそう釘を刺すと、ゼノンは片方の眉を上げた。


「何でも聞くとは言っていない」

「お前の母親そっくりだな」


 軽口を叩きながら、グラウンドは支度の段取りを頭の中で組み立て始めていた。


 ◇◆◇◆◇


 旅立ちを控えたある晩、リベルがグラウンドだけを部屋の外に呼び出した。


「この子、あなたが一番信頼できる大人なの。それだけよ」


 いつもの軽さが消え、静かな声だった。


「……それはなかなか重いですね」

「そうよ」


 リベルは笑った。だがその笑みの奥に、母親の覚悟のようなものが滲んでいるのを、グラウンドは見て見ぬふりをした。


 ◇◆◇◆◇


 旅立ちが近いという話は、あっという間に王宮中に広まった。あちこちの一族から「壮行の宴を」「見送りの列を」という声が上がったが、グラウンドはそのすべてを丁重に断った。


「大げさにすると、帰ってくる時も大げさになりますから」


 そう言って、見送りは最小限にとどめてもらうことにした。


 旅立ちの朝、竜の国の門の前に立ったのは、ごく近しい顔ぶれだけだった。


「またすぐ帰ってくるでしょ?」


 ソイルの問いに、グラウンドは苦笑した。栗色の髪、丸眼鏡の奥の穏やかな目――若い頃はよく「テラ母様に生き写しだ」と言われた顔立ちが、年を重ねるごとにいっそう似てきている。


「どうでしょう。……それより姉さん、最近ますますテラ母様に似てきましたね」

「急に何よ!?」

「いえ、なんとなく……」


 ソイルは怪訝そうな顔をしながらも、まんざらでもなさそうに眼鏡の位置を直した。


「とにかくマナの源流を見つけたら報告して」


 シズクは短くそう言った。青みを帯びた長い髪を一つに結い、氷を思わせる涼やかな目元――数日前の口論の余韻は、まだ完全には消えていない。だが今朝の声には、弟の背を押すような響きが混じっていた。


「もちろんです」


 ソイルはゼノンに向き直り、指を突きつけた。


「グラウンドの言うことを聞くのよ」

「なぜソイル伯母さんに言われないといけないんだよ」

「……この子、口が悪いわね。一体誰に似たのやら」

「そりゃ、リベルさんでしょう」


 グラウンドが横から口を挟むと、ソイルは「あなたも大概よ」と言い返し、周りが小さく笑った。


 そこへ、ふらりと現れた人影があった。フードを目深に被った旅装の女――クロノスの妹で、諸国を渡り歩く占い師のミスティだった。この人もゼノンの叔母の一人だった。


「あら、こんな朝早くに騒がしい」

「ミスティ姉さん!?」


 ゼノンが声を上げると、ミスティはフードの下から片目だけを覗かせて笑った。


「2人とも、無事に帰ってくるわ。だけど――」


 言葉を切って、グラウンドの顔をじっと見つめる。


「見つけるものは、探していたものと少し違う形をしている。心の準備だけはしておきなさいな」

「……それだけですか?」

「それだけよ。とりあえずありがたいご神託、わざわざ伝えに来たんだから、褒めてよね」


 ミスティはそう言い残すと、来た時と同じようにふらりと去っていった。残された2人は顔を見合わせたが、深く考える間もなく、シズクが最後に声をかけた。


「ゼノン、気をつけて」

「帰り道が遠くなるかもしれません」


 珍しく丁寧な言葉に、シズクは小さく頷いた。


「それでもいいわ。……ただし、必ず生きて帰りなさい」

「……はい」


 ◇◆◇◆◇


 竜の王族が竜の国を包む結界を越えるのは、2000年ぶりのことと言われた。

 門をくぐった瞬間、肌に刺さるような感覚が走る。


「……濃い。そして、流れている」


 結界の内側とは、まるで違う質のマナだった。長年地図の上で追い続けてきたものが、初めて肌で確かめられる。


(この旅は、長くなりそうだ)


 グラウンドはそう思いながら、自分の腹のあたりを一度だけ叩いた。この丸みも、着く頃には多少落ち着いているかもしれない――そんな軽口を、まだ自分の中だけで呟いていた。


 だが、これはまだ始まりに過ぎない。地図によれば、真の異常地帯――マナの源流に近いとおぼしき土地は、ここから北へさらに数千キロも先にある。人間の国々、エルフの国々――竜の国を含めた連合の版図はそこまで安定している。危険が始まるのは、そのさらに外側だった。


「あの辺りは、確か――」

「そう、昔、魔族の国があった土地だ」


 グラウンドが地図の一点を指でなぞりながら言った。


「30年前の戦争で、竜と人類の連合軍に滅ぼされたと聞いている。俺の親の世代の話だ」

「俺にとっては、爺様たちの時代の話だな」


 ゼノンが言った。あの戦争のことは、幼い頃から折に触れて聞かされてきた。もっとも、爺様のヒカルは自分の武勇伝をほとんど語らない人だった。代わりに聞かされるのは、いつも婆様たち――ヴァルキリアやセフィラをはじめとする六龍姫の口からだ。同じ戦の話でも、語る者が変われば少しずつ肉付けが違っていた。


「今も連合が国土拡大のために手を入れている土地のはずだ。放置されているわけじゃない」

「なのに、マナの異常だけは誰も気づいてないのか」

「気づいていても、報告が上がってこないだけかもしれない。……行けば分かる」

「長い旅になるな」


 ゼノンは笑った。


「望むところだ」


 その夜、2人は結界の外で初めて星を見た。


「星の名前を知っているか?」


 ゼノンが聞くと、グラウンドはいくつかを指さして教えた。


「あれは――」


 教えながら、ふと思う。この夜の会話を、いつか別の誰かが繰り返すことになるとは、この時のグラウンドにはまだ知る由もなかった。


 ◇◆◇◆◇


 語りが一区切りついたところで、セフィラがそわそわと体を揺らした。


「早く続きが聞きたいです! 北の異常地帯のくだり、資料でも読んだことがありますが……」

「セフィラ、おちつきなさい。任務中ですよ」

「……はわわ、す、すみません」


 窘められてもなお、耳だけはグラウンドの声を追っている。丸眼鏡の女はその様子に小さく苦笑しながら、また手帳を構え直した。


「続けてください。お願いします」


 グラウンドは頷き、酒を一口含んでから語りを再開した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。