↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
4/8

第二話:20年

 調査室の扉が、控えめな音を立てて開いた。


 顔を出したのは、小さな影だった。まだ五つか六つの子供が、グラウンドの膝の高さから室内を覗き込んでいる。闇の色を帯びた黒髪と、どこか落ち着かない目つき――クロノスとリベルの息子、ゼノンだった。


「グラウンドおじさん、何してるの?」

「マナの地図を作っている」

「なんで?」

「おかしいからね」

「う~ん、どこが?」

「ここと、ここと――」


 答えながら地図を指でなぞっていくと、気づけばゼノンが地図の上に身を乗り出し、あちこちを指さして質問攻めにしていた。


「これは何?」「これは?」「なんでこの色なの?」

「おいおい、触っちゃだめだ」

「なんで?」

「インクがにじむから」


 グラウンドは短く息を吐いた。この子供に「なんで」と聞かれない日はない。父のクロノスは寡黙を絵に描いたような男だが、この息子は違う。好奇心だけは母のリベルにそっくりだった。


 リベルが調査室に顔を出したのは、その少し後だった。


「この子、グラウンドのところばかり行くのよ」


 傍らのクロノスは何も言わなかった。ただ、息子が懐いている相手を見て、わずかに目を細めただけだった。グラウンドにとって、ゼノンはいつの間にか甥っ子のような存在になっていた。断ることのできない、小さな来訪者。


 ◇◆◇◆◇


 ――それから十数年が過ぎた。


 調査室の主は、40代になっていた。相変わらず机の上には地図が広げられている。だが、地図を覗き込む顔は、もう子供のものではなくなっていた。


「源流は結界の外にあるのは間違いない」


 グラウンドは地図の余白を指でなぞりながら呟いた。


「でも外に出たことがない。竜の国は2000年、外界と隔離されていた。外のマナがどうなっているか、誰も知らない」

「なあ、グラウンドおじさん」


 背後から声がした。振り返ると、ゼノンが立っていた。まだ10代の終わりだが、いつの間にかグラウンドより頭一つ分、背が高くなっている。


「行けばいいんじゃないか、外に」

「……小さかったお前が、今は俺より背が高いんだな」

「話をそらすなよ!」


 ゼノンは口を尖らせながらも、机に手をついて地図を覗き込んだ。この目の輝かせ方だけは、幼い頃からずっと変わらない。


「俺、外の世界がどうなってるのか知りたい。おじさんが行くなら、俺も連れてってくれよ」


 その素直な物言いに、グラウンドは思わず笑った。ちょうどそこへソイルが顔を出し、弟の姿を見て眉を上げた。


「あなた、もう四十よ」

「いやいや竜にとって四十は若いですよ」


 ソイルは呆れたように肩をすくめただけで、それ以上は何も言わなかった。


「なあ、怖くないのか、外の世界は?」


 グラウンドが尋ねると、ゼノンは目を輝かせて即答した。


「怖くない。むしろ面白そうだ。おじさんとなら、なおさら」

「……リベルの子だな」

「母さんの真似したつもりはない」


 口ではそう言いながらも、耳が少し赤くなっている。この子はどこまでも母親似で、そして存外に素直だった。


 ◇◆◇◆◇


 王宮への定期報告は、この10年、同じ結論をたどり続けていた。


「まだ結界の外の話ですか……」


 シズクは書類から顔を上げず、静かに言った。


「はい」とグラウンドは頷いた。「国内の調査は、もう限界です。四つの拠点、地脈の乱れ、マナの偏在――どれだけ観測を重ねても、源流にはたどり着けません。答えは外にあります」

「その話、10年前から聞いているわよね?」

「10年経っても、答えは変わりませんので」


 シズクはようやく顔を上げ、弟をまっすぐに見た。


「グラウンド。竜の力を持ってしても、結界の外に出て戻った者は1人もいないわ。2000年前、まだこの国が今の形になる前――何人もの竜が外を目指して、誰1人帰らなかった。あなたはそれを知っているはずよ」

「知っています。だからこそ、調べ尽くした上で行きたいんです」

「調べ尽くしても、外がどうなっているかは分からない。分からないから、外なのよ」


 言葉が少しずつ硬くなっていく。ユリウスが書類をめくる手を止め、そっと2人を見守っていた。


「このままでは、マナの乱れの原因は永遠に分かりません。姉上もそれは分かっているはずです」

「分かっているから、慎重になれと言っているの」

「慎重にしていたら、何も進みません!」


 珍しく声を荒げかけたグラウンドに、シズクは一瞬押し黙った。姉弟の間に、これまでにない緊張が走る。


「……今日はここまでにしましょう」


 シズクは静かにそう言って、地図を片付けるよう促した。グラウンドも、それ以上は食い下がらなかった。だが、部屋を出る背中には、これまでとは違う、静かな決意のようなものが滲んでいた。


 ◇◆◇◆◇


「――マナが結界の外から来ている、という発想は、どこから?」


 語りの切れ目で、丸眼鏡の女が手帳から顔を上げて聞いた。ただの合いの手にしては、目の据わり方が違う。


「続きを話せば分かります」


 グラウンドはそう言って、酒をひとくち含んだ。女は少し不満げな顔をしたが、それ以上は聞かず、また手帳に向き直った。


 入口では、セフィラが小声で「早く続きが聞きたいです」とチェロに耳打ちしている。


「セフィラ、静かに」

「……了解です、姉様」


 その名を耳にした瞬間、グラウンドの手がわずかに止まった。


(……セフィラ、か)


 偶然だろう。そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥に小さな引っかかりが残る。だが女の視線に気づいて、グラウンドはすぐに何でもない顔を作り、また語り始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。