第十三話:南への旅・5人の時間
船出から数日、海は穏やかだった。
甲板に並んだ5人は、まだどこかぎこちない距離感を保っていた。ゼノンは船の縁にもたれて海を眺め、アリスはリュウガから渡された記録の断片を読み返し、チェロは規律正しく周辺を確認し、セフィラは物珍しそうにあちこちを見回している。ヴィオラは日除けの下で優雅に扇子を扇いでいた。
「ねえ、ゼノン」
アリスが本を閉じて言った。
「竜って、実際どれくらい強いの?」
「わたしも知りたいです!」とセフィラが目を輝かせた。
「急に何だ?」
「だって、竜の国の人と話す機会なんて、そうそうないもの」
ゼノンは少し面倒くさそうにしながらも、答えないという選択肢はないようだった。
「個体差がある。俺はまだ半人前だ。もっと強い竜はたくさんいるぞ」
「半人前でも見てみたいですわ」とヴィオラが扇子を閉じて身を乗り出した。「せっかくの長い船旅ですもの、退屈しのぎには丁度いいのでは?」
「――力試し、ということですか。それくらいならいいだろう」
チェロが静かに立ち上がった。
「では、わたくしがお相手します」
◇◆◇◆◇
甲板の広い一角で、ゼノンとチェロが向き合った。
「手加減はいらない」とゼノンが言った。
「ふふふ、わたくしもそのつもりです」
チェロがその場で軽く手を掲げると、纏っていたメイド服が光の粒子となって解け、瞬時に戦闘用のボディスーツへと編み直された。マナで構成された衣装は、着替えというより、姿そのものを書き換えているようだった。
続けて虚空に手を差し入れると、そこから巨大な斧と盾が引き出される。何もない空間から実体を持って現れるさまは、魔法としか言いようがなかった。
「――待たせました」
ゼノンの体に、闇の紋様が浮かび上がった。目が金色に変わり、腕や肩の輪郭が竜のそれに近づいていく。完全な竜化ではない、半ばだけ竜の性質を纏った姿――属性魔法を最大まで引き出すための構えだった。
「半竜化、でしたわよね!?」とヴィオラが興味深そうに呟いた。
「行くぞ!」
ゼノンが踏み込んだ。闇と風、二つの属性が混ざり合い、周囲の空気がわずかに凍りつくように重くなる。狙いはチェロの動きそのものを一瞬止めることだった。
「――これは!?」
チェロの盾を持つ腕が、一瞬だけ強張った。完全な硬直ではないが、確かに一拍、動きが鈍る。ゼノンはその隙を逃さず踏み込んだが、チェロの斧がすでに軌道を変えて迎え撃っていた。
「甘いですわ!」
斧の一撃を、ゼノンは風の膜で受け流した。甲板が軋み、木片が散る。
「――重いな!」
「いえいえ、竜族の方の剛力も、想像以上ですわ」
チェロが盾を構え直すと、周囲の重力がわずかに歪んだ。彼女自身の得意とする重力操作――踏み込む足元が沈み込み、逆にゼノンの動きを鈍らせようとする。
「……足元が!?」
「重力場です。この距離では、あなたの俊敏さも半減しますわ」
だが、ゼノンはそれごと風で自分の体を軽くし、力ずくで踏み込んだ。拮抗した打ち合いがしばらく続いた。ゼノンの半竜化した闇と風、チェロの重厚な物理攻撃と重力操作――互角に近い攻防に、アリスとセフィラが目を輝かせて見入っていた。
「すごい……両方とも」とアリスが呟いた。
やがてチェロが一歩下がり、背中の装備を展開した。両肩から伸びる二連の砲身――双装の魔導ガトリングだった。
「――ここまでにしましょう。これ以上は、加減が難しくなります」
「同感だ」
ゼノンも半竜化を解いた。金色だった目が、元の色に戻っていく。2人とも、息はわずかに乱れていたが、それ以上に互いへの評価が変わったような空気があった。
「次、わたしもやりたいです!」
セフィラが挙手すると、チェロが動きを止めた。
「セフィラ、あなたが出ると勝負になりません」
「え、そうなんですか?」
「ええ。手加減してもゼノン様が危険です」
その言葉に、ゼノンが眉を寄せた。
「……どういう意味だ?」
「わたくしたちシスターズの中でも、セフィラの戦闘出力は別格です。単純な力比べであれば、控えめに言っても竜族の精鋭を上回る可能性が高いです」
「大袈裟だろ?」
「いいえ、申し訳ございませんが大袈裟ではありませんわ」とヴィオラが横から補足した。「あの子、見た目は無邪気ですけれど、中身は化け物ですもの。わたしとチェロの二人がかりでも瞬殺されますわ」
「ヴィオラお姉様、それ褒めてます?」
「褒めてますわよ、もちろん」
セフィラは嬉しそうに笑ったが、ゼノンは半信半疑の表情のままだった。
◇◆◇◆◇
少し離れた場所では、チェロとセフィラ、ヴィオラが焚いた小さな灯りを囲んでいた。ゼノンも、なんとなくその輪に加わっていた。
「わたくしたちが生まれたのは、母様の地下工房です」とチェロが語った。「母様が1人で、無から作り上げてくださいました」
「名前は、父様――リュウガ様がつけてくださったそうです」とセフィラが続けた。「わたしだけ、少し違うんですけど」
「あなたは、違うのか?」
ゼノンが尋ねた。
「はい。わたしはヴォルフ様が造ってくださいました」
「ヴォルフ?」
「あ、普段工房に籠られているのでご紹介する機会がなかったですよね。わたしの生みの親です」
セフィラは得意げに続けた。
「今も王都の技術院でお仕事をしています。一応すごい技術者なんですよ。……あ、それと奥様の尻に敷かれてるんですけどね。リディア様っていう、これまたすごい方なんですけど……」
「なんで俺がそこまで知る必要が……」
「あ、ごめんなさい。完全に余談ですね」
セフィラは悪びれもせずに笑った。
「それで、話戻しますが、名前も、ヴォルフ様がつけてくれたんです」
「その名前は、どこから?」
ゼノンの声に、わずかな緊張が滲んでいた。
「……ある童話から取ったと聞いています」とセフィラは言った。「ヴォルフ様、むさ苦しい見た目に似合わずロマンチストなところがあって。竜の姫が出てくる、古い物語だそうです」
「風の竜姫の名を、そのまま?」
「知ってるんですか?」
「知ってるも何も……」
ゼノンはしばらく黙り込んでから、静かに言った。
「セフィラっていう名の竜姫は、実在してる。俺の祖母だ」
場が一瞬、静まり返った。
「……本当ですか?」とチェロが声を上げた。
「ああ。だから、驚いた。他人の空似にしては、できすぎてる」
「じゃあ、わたしの名前の由来は!?」
「俺の祖母様――いや、絶対にその人の名前だ」
セフィラは自分の名を、まるで初めて聞いたかのように繰り返した。
「……不思議です。わたし、竜の方と血の繋がりがあるみたいな」
「血の繋がりはない。名前だけだぞ」
「それでも、嬉しいです!」
セフィラは素直にそう言って笑った。
「そもそも、その童話、誰が書いたか知ってるのか?」
アリスが興味深そうに首を傾げた。
「――俺の師だ」
ゼノンは短く答えた。
「ええええーーー!!!」
「グラウンドおじさんが、旅の道中で、酒場で語ってた話だ。あの人が自分で書いて、語り部として広めた話が、まさかこんなところで名前になって返ってくるとはな」
「あの語り部の方が、まさかそんな話の発端だったなんて」とヴィオラが感心したように呟いた。
「あの人、話が上手いんだよ。おじさんはあれでも、竜の一族の皇子だからな」
ゼノンがさらりと付け加えた一言に、アリスが目を丸くした。
「うそっ!? 皇子様なの!? あんな気さくな人が?」
「向こうはあまり気にしてないみたいだけどな」
アリスがポンと手を打った。
「じゃあ、ゼノンも? 皇子様?」
「……俺も、一応そうなる」
「一応って」
「肩書きなんて、旅の間はほとんど意味がなかった」
ゼノンは軽く肩をすくめた。竜の一族の物語が、遠く離れたこの場所で、思いがけない形で結びついていた。
◇◆◇◆◇
夜、甲板に出たアリスは、先に来ていたゼノンの隣に座った。満天の星が、波間に細かく反射していた。
「ゼノン、怖くないの?」
「何が?」
「この先に、何があるか分からないこと」
ゼノンはしばらく黙っていた。波の音だけが、2人の間を埋めていた。
「……正直、少しはある」
珍しく素直な言葉だった。
「私も」
アリスはそう言って、膝を抱えた。
「でも、確かめたい」
「知ってる、お前はそうだろうな」
「止めないの?」
「止めても、行くのだろう?」
ゼノンの答えに、アリスは小さく笑った。
「よく分かってるじゃない」
「……お前の母親と似てる。一度決めたら、誰にも止められない目をしてる」
「母さまに似てるって言われるの、悪い気しないな」
2人はしばらく黙って星を見ていた。かつてグラウンドが教えてくれた星の名前を、ゼノンはいくつか思い出しながら、口には出さなかった。いつか誰かに教える日が来るかもしれない、という予感だけが、静かに胸の底に残った。
水平線の向こうに、まだ見ぬ大陸が待っている。誰もその正体を知らないまま、船は自動操舵のまま、南へ、南へと進み続けていた。




