第八話:家族会議とお守り争奪戦
その夜、エリアーナの家では静かな緊張が漂っていた。
居間の椅子に腰掛けたリュウガは、報告を聞き終えると、しばらく何も言わなかった。義手の指先が、わずかに机を叩いている。
「――アリスが、海の向こうに行く、と?」
「そうよ!」
「グラウンド殿の記録と、お前の研究が符合した。南の大陸に、何かがある。それを確かめたい、とアリスが自分で決めた、と?」
「その通りよ!!」
リュウガは目を閉じ、長い沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「――わかった。許可する」
「え、それだけ?」
エリアーナは拍子抜けした声を上げた。もっと渋られると思っていた。
「反対する理由がない。合理的な判断だ。お前の母さんと同じで止めるだけ無駄だしな。ただし――」
リュウガの視線が、静かに鋭くなった。
「シスターズの中から、最低でも2名を同行させろ。1人は戦闘特化、1人は情報分析特化。装備は俺が最終確認する。海図と気候データはこちらで用意する」
「……お父様、それ、心配性が論理武装しただけですよね?」
部屋の隅で聞いていたチェロが、呆れたように口を挟んだ。
「不合理な指摘だな」とリュウガは即答した。「心配は感情、装備の要求は論理だ。両立するだろう?」
「同じことでしょ!」
エリアーナが小さく吹き出した。
「似た者親子ね」
◇◆◇◆◇
翌日、地下工房には招集されたシスターズたちが集まっていた。
チェロ、セフィラ、オルガに加えて、コルネ、ユーフィ、ヴィオラ、オーボエ――にわかに騒がしくなった工房を、グラウンドとゼノンは少し離れた場所から眺めていた。セフィラ以外は、全員、金髪碧眼のメイドで髪型だけが異なるようだ。
「――というわけで、お嬢様に同行する者を、2名選出します」
鬼軍曹と呼ばれているらしいオーボエという女性が凛とした声で号令をかけると、真っ先に手を挙げたのは金髪のハーフアップのコルネだった。
「ボクが行く! 海の向こうとか燃えるでしょ!」
「あーしも!」とツインテールのユーフィが続いた。「未知の大陸、ロマンっしょ!」
「お待ちなさい!!」
三つ編み姿のヴィオラが扇子を広げ、2人を制した。
「感情論で立候補されても困りますわ。冷静に考えなさいまし。未知の環境、未知の脅威――必要なのは、精密な索敵と的確な火力、そして何よりも品位」
「ヴィオラさぁ、それ自分に有利な条件並べてるだけじゃん」
「あら、バレました?」
悪びれもせず扇子を閉じるヴィオラに、コルネとユーフィが同時に突っかかった。
「品位とか関係ないし!」
「そうだそうだ!」
チェロが額を押さえながら間に入った。彼女が長女で、この騒がしいメイドたちのまとめ役らしい。
「――待ちなさい。まず選出基準を整理しましょう。オーボエ、指揮系統は?」
「はい。今回は長距離航海および未知の大陸探索となります。適性としては、機動力、戦闘力、環境適応力、そして何より――お嬢様の安全を最優先できる自制心です」
「自制心!?」
コルネとユーフィが同時に肩を落とした。
「そうなると、僭越ながらわたくしが適任だと思いますが……」とチェロが静かに手を挙げた。
「やはりわたしも、でしょうか?」とセフィラが続いた。
「ですが、ほら、母様の護衛も――」
「わたくしたちが抜けた場合でも、母様の護衛は、オルガとオーボエで十分に務まるかと」
「あら、そうですの?」
オルガが微笑みながら首をかしげた。
「わたくしはむしろ、お嬢様のお食事の心配をしたいのですけれど……」
『食料の手配なら、こちらで計算済みだ』
端末越しに、リュウガの声が割り込んできた。工房に姿はないが、どうやら報告だけは逐一聞いているらしい。
「お父様、盗み聞きですの?」
『情報収集と呼んでほしい』
その時、天井近くの通気口から、小さな影がひょいと降りてきた。百十センチほどの、幼い少女の姿をしたピッコだった。
「わたくしも行きますわ」
「ピッコ?」とエリアーナが目を丸くした。「あんた、こんなところで何を」
「話は聞いていましたわ。長期航海、未知の環境――医療担当が1人もいないなんて、正気ですの? 貴女方の脳内、蛆でも湧いているんじゃなくて?」
毒舌全開のピッコに、コルネとユーフィが同時に身を縮めた。
「わたくしがいれば、どんな怪我も病も即座に対処できます。……とはいえ、リュウガ様の傍を長く離れるのは気が進みませんが……」
「ピッコ、それは――」
「ええ、分かっていますわ。だから、今回は控えます。ただし、緊急時のための通信端末だけは持たせなさい」
場が一瞬静まり、それからオーボエが咳払いをして仕切り直した。
「――では、最終決定に移ります。今回の同行者は」
「わたくしと」とチェロ。
「わたし」とセフィラ。
「この2名とします」
オーボエの一言で、あっさりと決着がついた。コルネとユーフィが同時に崩れ落ちる。
「そんな……」
「あーしの出番なかった……」
「お待ちなさい!!!」
ヴィオラが扇子をぴしゃりと閉じた。
「探索とスナイパー、この二役が必要なら、適任はわたくしかクララですわ。……ですが、あの子のお祭り気質は現地でまず抑制が効きませんもの。未知の大陸で暴走されては目も当てられません」
ヴィオラは優雅に、しかし有無を言わせぬ調子で続けた。
「内密に母様から推薦も取り付けましたわ。いずれにせよ消去法で、わたくしでしょう!」
「……理屈は通ってますわね」とチェロが少し困ったように呟いた。
「オーボエ、いかがです?」
オーボエはしばし考え、頷いた。
「――では、追加で1名。ヴィオラ、同行を許可します。広域探査と精密射撃、未知の環境では確かに必要な適性です」
「決まりですわね!!」
ヴィオラが勝ち誇ったように扇子を広げ、コルネとユーフィがまた同時に崩れ落ちた。
「なんでヴィオラだけ……」
「妹に理屈で殴られた……」
「次の機会もありますわよ」とチェロが姉らしく声をかけた。「今回は、母様の推薦もあってのことですから」
「ふふふ、コルネ、ユーフィ。根回しは重要ですわよ!!」
一部始終を眺めていたゼノンが、小さくため息をついた。
「……お前らの国、いつもこんな感じなのか?」
「いつもこんな感じよ」
エリアーナが疲れたように笑って答えた。
「にぎやかで、悪い?」
「いやいや、悪いとは言ってない」
ゼノンはそう言いながらも、口の端がわずかに緩んでいた。竜の国の静かな緊張とは違う、この賑やかさに、まだ慣れないながらも嫌ではない自分に気づいていた。
工房の隅で、グラウンドはその光景を眺めながら小さく笑っていた。
(これが、お前が育つ場所か……)
まだ何も知らないゼノンの旅立ちが、少しずつ、確かな形を帯び始めていた。
「――そういうわけで」
アリスがずいっとゼノンの前に進み出て、右手を差し出した。
「これからよろしくね、ゼノンお兄ちゃん!」
「……お、おう」
勢いに押されるように、ゼノンがその手を握り返す。お兄ちゃん、という呼び方に、微妙な顔をした。歳も、経験も、旅の年月も――実年齢で言えば300年近く、明らかにゼノンの方が上のはずだった。それなのに、なぜかすっかり主導権を握られている。
「その呼び方、やめろ」
「え、なんで? お兄ちゃんでしょ」
「……年齢的には否定できないが、そういう話じゃない」
「よく分かんないけど、ゼノンお兄ちゃんで決定!」
「おい、話をーー!」
チェロとセフィラ、そしてヴィオラが、その様子を見て静かに顔を見合わせた。
「先が思いやられますわね」とヴィオラが扇子で口元を隠しながら呟いた。
「同感です」とチェロが頷いた。
「切り替えました! わたしは楽しみです!」とセフィラが言った。
グラウンドは、その一部始終を見届けながら、声を出さずに笑い続けていた。




