第四章 父の雨宿り
父が、どこかでただ雨宿りをしていた人として見えるようになるとは、湊は少し前まで思っていなかった。
ホームに立つ父。
港の灯りを背にした父。
待合で長くなる父。
客間に低い声を残す父。
廊下で自分の幅へ戻るのが少し遅い父。
茶の間の湯気の近くでようやく人の顔に近づく父。
そこまで見えてきたあとでも、父はまだどこか“出来事の人”だったのかもしれない。
遅れた朝の人。
見送りに間に合わなかった人。
言いきれないことを抱えた人。
だが夕立の縁側を見ていると、そうした場面の外側に、ただ雨宿りをしていた時間もあったのではないかと思い始めていた。
何かを解決するためではない。
劇的な言葉を落とすためでもない。
ただ、来てしまった雨の音に少し持ってもらいながら、濡れずに座っていた時間。
第十七作で父を見直すなら、その“雨宿りの人”としての姿が、いちばん静かに近いのかもしれなかった。
翌朝、空はまだ晴れていた。
だが晴れ方がもう夏の朝のようにまっすぐではない。
光の奥に薄い湿りがあり、昼のどこかで天気が折れることを、板の明るさのほうが先に知っているようだった。
縁側へ出ると、昨日の雨の名残はもう見えない。
それでも、板の白さは乾ききった白さではない。
夕立を一度受けた縁側は、次の雨にも少し敏くなっているのかもしれなかった。
朝のうち、篠原が持ってきたのは、古い宿帳に挟まれていた走り書きだった。
字は澄江ではない。
だが、澄江が人の様子を聞いて書きとめさせたのではないかと思えるほど、目の位置が春口らしかった。
――あの人は雨の日、縁側で長くは喋らない。
――ただ雨を聞いて、帰るころには来たときより少しだけ肩が下がっている。
――おかみさんは、それを見て何も訊かなかった。
「これ」
湊が言う。
「ええ」
篠原が頷く。
「かなり大きいですね」
「“あの人”」
汐里が低く繰り返す。
「父親かもしれない」
「可能性は高いと思います」
篠原は静かに答えた。
「断定はできませんが」
「でも、ここまで見えてきた父親像とはよくつながる」
「そうですね」
その三行は短い。
けれど、湊には十分だった。
父は、雨の日に縁側で長くは喋らない。
ただ雨を聞く。
そして帰るころには、少しだけ肩が下がっている。
その見え方は、これまでのどの父よりも静かで、そして人として近かった。
大きな転機の人ではない。
ただ、雨宿りのあいだに少し肩を下ろせる人として。
「母」
汐里が言った。
「ええ」
「何も訊かなかったんですね」
「そうでしょうね」
湊も頷く。
「どうしてだと思いますか」
「雨がもう少し持ってくれていたからじゃないでしょうか」
「……」
「縁側では、言葉より先に雨音がある」
「はい」
「だから、その人の肩が少し下がるなら」
「それで十分だった」
「かなり」
その理解で、澄江の見ていたものがまた一つ増えた。
答えや事情を聞き出すことではない。
人が少し持たなくてよくなったかどうか。
その肩の位置や黙り方を見ること。
夕立の縁側は、そのための場所だったのだろう。
昼前、空はまた重くなり始めた。
まだ雨はない。
けれど風は湿り、庭の葉の裏がときどき見える。
縁側の板は昨日よりわずかに暗く、座ると声が自然に低くなる。
湊は一人でその板に腰を下ろし、父のことを考えた。
もし父がここにいたなら、どう座っただろう。
きちんと正面を向くだろうか。
それとも少しだけ肩を庭のほうへ逃がすだろうか。
湯呑みがあれば、すぐ飲むのではなく、手の近くに置いたまま雨を待つのではないか。
そうしているうちに、最初は持ち上がっていた肩が、ほんの少しだけ下がる。
澄江は、たぶんそのわずかな下がり方を見ていたのだろう。
そこでふと思う。
父は、誰かに理解されたかったわけではないのかもしれない。
少なくとも、いつも言葉で理解されたかったわけではない。
ただ、少し持たなくてよい時間があればよかったのかもしれない。
その程度のこと。
だが、人にはその程度のことがなかなかない。
春口の縁側は、それを与えられる場所だったのだろう。
そう思えるだけで、父のことを前より少しだけ責めずに思える気がした。
午後、近所の若い男が、雨の前の重い空気の中を宿へ上がってきた。
用事はあったが、話す前にもう疲れている顔だった。
汐里は帳場で立ち止めず、まず縁側へ通した。
男は板へ腰を下ろし、「今日は来ますね」とだけ言う。
汐里は「ええ」と答え、それ以上は急がない。
雨の前の縁側では、それで十分なのだろう。
しばらくして、ぽつ、ぽつ、と音が来た。
最初は葉に。
それから石に。
男は何も言わなかった。
けれど、来たときより肩の線がやわらいでいる。
その変化を見て、湊は先ほどの父の断片が、ただの想像ではなく、たしかに春口の宿で起こりうる時間なのだと感じていた。
「今の」
湊が言う。
「ええ」
汐里も小さく頷く。
「少し下がりましたね」
「そうですね」
「どうしてだと思いますか」
彼女は雨音を聞きながら答えた。
「話したから、というより」
「ええ」
「雨が始まったからだと思います」
「……」
「来る前までは、自分で持っていたものを」
「はい」
「少し雨のほうへ預けられるので」
「かなり本質的です」
湊は静かに言った。
澄江も、まさにそこを見ていたのだろう。
人が何を話したかではなく、雨が来たあとで肩がどう変わるか。
縁側は、人の内側を無理に言葉へしないまま、天気へ少し渡す場所なのだ。
そのあと、雨は少し強くなった。
軒先の音が揃い、庭の色も一段深くなる。
若い男はしばらくそのまま雨を聞いてから、「もう少ししたら行きます」と言った。
その言葉もまた、何かを決めた人の言葉ではなく、雨に少し持ってもらったあとで出る言葉に聞こえた。
父にも、こんなふうに雨宿りを終える時間があったのかもしれないと思う。
解決はしていない。
それでも、少ししたら行ける。
その程度の軽さ。
その程度の回復。
けれど人には、それが必要なのだろう。
夕方近く、雨はすっかり上がった。
縁側の外は濡れているが、板の内側は乾いたままだ。
その“濡れなかったところ”が、妙に胸に残った。
人もまた、全部が濡れるわけではないのかもしれない。
全部を天気へ預けられるわけでもない。
けれど、縁側があれば半分くらいは預けられる。
そして乾いたところを少し残したまま、また暮らしや町へ戻っていける。
第十七作の縁側は、そういう場所なのだろう。
その夜、ノートにはこう書いた。
――父は、どこかでただ雨宿りをしていた人だったのかもしれない。
――縁側で長くは喋らず、雨音が来たあとで少しだけ肩が下がる。
――澄江はそれを見て、何も訊かなかった。
――縁側は、人を解決させる場所ではなく、ほんの少し持たなくてよくなるまで雨に預ける場所なのだろう。
――第十七作は、父を“出来事の人”としてだけでなく、“雨宿りの人”としても受け取り直す巻になっていくのかもしれない。




