第2話「昼が始まらない」後編
雄一が壁を見る。
「……は?」
カレンダーの日付が、
いつの間にか変わっていた。
一拍。
「……何で?」
作業台を見る。
柱時計は、
綺麗に修理されていた。
「直ってるな……」
妙な疲労感だけが残っている。
徹夜した次の日みたいな。
肩が重い。
指先には、
油の感触だけが残っていた。
奏がオフィスチェアの上で、
ゆっくり顔を上げる。
「……え」
「何だよ」
「ドラマ見てない」
「そこ?」
一拍。
「あ、でも犯人なんか金髪だった気がする」
「記憶あんのかよ」
「あと主題歌飛ばした」
「最悪だな」
「ご飯食べたっけ」
「知らん」
「んー……」
奏が少し考える。
「カレー」
「何で分かる」
「口の中ずっとカレー」
「じゃあ食ってるだろ」
「でも食べた記憶ない……こともない」
「怖ぇんだよ」
三雲が静かに指先を見る。
「私も工具を洗った記憶だけありますね」
「何でそこだけ残るんだよ」
「油汚れが酷かったので」
「てか何で三雲さんが洗ってるんだよ」
「流れで」
「どういう流れだよ」
奏がぼそっと言う。
「なんか途中から、
みんな無言で掃除してた気がする」
「怖ぇよ」
三雲が静かにカレンダーを見る。
「かなり長時間、圧縮されていますね」
「その言い方やめろ」
雄一は柱時計を見る。
壊れてはいない。
でも。
内部に埃が溜まっていて、
清掃作業を延々やっていたような記憶が、
頭の片隅に残っていた。
歯車を磨いて。
軸を洗って。
細かい埃を筆で払って。
……その途中だけが、
妙に曖昧だった。
「何だこれ……」
三雲が静かに言う。
「問題は、誰がどこまで作業したか分からないことですが、古針さんで間違いないですよね。」
「そこ一番怖ぇんだよ」
壁時計。
十一時三十分。
黒い置き時計が。
カチ。
……カチカチ。
不規則に鳴る。
奏が嫌そうな顔をした。
「まだぐちゃってる」
オフィスチェアの上で、 だらっと足を揺らしている。
雄一が見る。
「閉じられないのか?」
奏は懐中時計を取り出す。
パカっ。
開く。
青い秒針は正常だった。
「じゃ、閉じるね」
カチ——
閉じない。
「……あれ」
もう一回。
パカっ。
カチ——
閉じない。
店の空気だけが、 妙に重いままだった。
三雲が静かに言う。
「閉じられませんか……」
「んー……」
奏が珍しく困った顔をする。
懐中時計を見つめる。
「私、この柱時計の何かが分かってないんだろね」
カチ。
黒い置き時計が鳴る。
「閉じる時って、 大体“終わり方”分かるんだけど」
一拍。
「今回、それが見えてない」
入口ベルが鳴る。
昨日の老人だった。
「あ、おはようございます」
昨日より少し明るい顔だった。
修理された柱時計を見る。
「直ってますねぇ」
「……まあ、一応」
雄一はまだ納得していない。
老人は柱時計を撫でる。
「ありがとうございます」
時計店の壁時計。
十一時四十八分。
カチ。
黒い置き時計が鳴る。
奏が少し眉を寄せた。
「近いね」
「何が」
「時間」
十一時五十分。
店のラジオでは、鉢王子昼前ラジオが流れていた。
『――こんにちは! 鉢王子昼前ラジオの時間です!』
明るい声。
商店街の空気みたいな、軽いテンポだった。
『今週末のコロッケ祭、 山田商店さん今年も気合い入ってます!』
老人が少し首を傾げる。
「……この番組、初めて聞きます」
奏がコーヒーを飲みながら外を見つつラジオを聞いたまま言う。
「地味だけど結構好き 鉢王子の番組だよ」
老人が少し笑う。
「そうなんですねぇ」
一拍。
「私が聞いてた番組は、別の局だったんですよ」
柱時計を見る。
「もう三十年くらい、聞いてましてね」
「台所でお湯沸かして」
「昼飯を用意して」
「十一時五十八分になると、この時計を確認して」
「十二時になったら、昼飯食べながらラジオを聞くのが日課だったんです」
少しだけ懐かしそうに笑う。
「最初は休みの日だけだったんですが」
「定年してからは毎日になって」
「気付いたら、それが昼の始まりみたいになってましてね」
一拍。
「でも、今年の三月末で終わっちゃって」
ラジオを見る。
「最終回の日も、いつも通り待ってたんですよ」
柱時計へ視線を落とす。
「そういえば……翌日の4月1日に壊れたんですよ」
「気がついたらいつも見ていた十一時五十八分のまま止まったんです」
雄一が時計を見る。
十一時五十五分。
黒い置き時計が、 少しだけ速く鳴り始める。
カチ。
カチカチ。
……カチ。
奏がラジオを聞いたまま呟く。
「急いでる」
「何がだよ」
「時間」
十一時五十六分。
老人が無意識に柱時計を見る。
確認するみたいに。
癖みたいに。
十一時五十七分。
店の空気が少し重くなる。
三雲が壁時計を見る。
「……来ますね」
奏がゆっくり立ち上がる。
白ジャージの袖を少しまくる。
「ん……これかも!!」
懐中時計を取り出す。
パカっ。
開く。
黒い置き時計の青い秒針が、 今度は静かだった。
奏が、 止まった柱時計へ小さく言う。
「新しいの見つけたよ ちゃんと昼っぽいやつ」
一拍。
ラジオから、 商店街の笑い声が流れる。
『――山田商店さん、 今年はコロッケひき肉二割増しです!』
老人が少し笑う。
「……これはこれで、悪くないですね」
一拍。
「明日から聴きますよ」
奏が小さく頷く。
「うん」
青い秒針。
今度は静かだった。
カチン。
奏は懐中時計を閉じる。
店が静かになる。
雄一が壁時計を見る。
十一時五十七分。
「……終わったのか?」
「分かんない」
「分かんないで閉じたのかよ」
「でも、多分あってる」
三雲が時計を見る。
「あと一分ですね」
全員、なんとなく壁時計を見る。
ラジオだけが、昼前の緩い話を続けていた。
『――鉢王子神社、 今日はかなり人多いみたいですねー!』
秒針が進む。
カチ。
カチ。
カチ。
十一時五十八分。
止まらない。
一拍。
雄一が小さく息を吐く。
「……進んだ」
三雲も静かに時計を見る。
「閉じましたね」
十一時五十九分。
ラジオの続きを、 初めて昼が受け取る。
『――この後は鉢王子ランチ情報です!』
十二時。
柱時計が、 静かに鳴った。
ゴーン。
老人が少し目を丸くする。
そして
小さく笑った。
「時計の音 久しぶりに聞きました」
黒い置き時計が
カチ。
……カチ。
今度は、静かなテンポで鳴っていた。
雄一がそれを見る。
「……終わったのか?」
「多分」
「多分で済ませるなよ」
「でもさ」
奏がオフィスチェアへ戻る。
「ちゃんと昼来たし 終わった〜!」
三雲が小さく息を吐く。
「調整庁へどう報告しましょうか……」
ラジオだけが、 静かに昼の音楽を流していた。




