#123 イナリ山惨劇 急 後編
煌々と立ち昇る蒼炎――いや、狐火だ。
俺達、そしてラキアと火炎竜の間を隔てるようにして出現した炎の壁。勿論、この炎をいったい誰が何のために創り出したのかは分かる。
どうやら、また俺は護られてしまったらしい……。
でも、いつもと様子が違う。
俺はこれまで何度も玉藻前の炎によって護られてきた。敵の攻撃や脅威から護られるように、一瞬の間だけ出現する炎にだ。しかし目の前の炎の壁は――未だ消える様子がない。
これはもしかして――玉藻前がイナリ社から出てこようとしてるんじゃないのか? 目的はおそらく俺を護るため。実際に今助けられた所だ。
だが……何故か妙に胸の中がざわざわする。
俺達は玉藻前をイナリまで連れてくるまでの道中、彼女が人目に付かないように細心の注意をはらっていた。危険指定レベル18の妖獣だから当然だ。もし見られでもしたら、余計なトラブルが発生することは目に見えていたからだ。それは玉藻前も理解していたし、だからこそ常に幻術によって姿を隠していた。
それはイナリに帰ってきても基本的に変わらない。
冒険者や狩人にとって玉藻前は現状では『敵』だ。討伐すれば報酬だって貰えるのかも知れない。
でも、レベル18の玉藻前と気軽に戦おうとする奴はなかなかいない。単独で遭遇なんてしようものなら、確実に逃げるべき相手の筈だ。
そして今――立ち昇る炎の壁が弾けるように消失した。そしてその炎の中に立っていた者が姿を現した。
絹糸のような銀色の髪がサラサラと風に揺らされ、腰あたりから伸びる九つの大きな尻尾の毛が逆立っているように見える。
――玉藻前だ。
今、ラキアの目の前にレベル18の超強敵、玉藻前が出現した……だと言うのに――ラキアは喜色満面の笑みを浮かべている。
どうしようもない嫌な予感に、俺は支配されそうになった。
「目に余る。人間の女よ……これ以上の無礼は許されぬ」
ボッ! と、玉藻前の周囲に青い炎の塊が幾つも出現すると、そのうちの一つがフラフラと火炎竜の足元へと飛来していく。余りにも鈍い動き。簡単に躱せそうに思えるが……何故か火炎竜は一切の反応を示さない。まるで、見えていないようだ。
やがて、火炎竜の表皮に触れた炎の塊が――爆ぜた。
勢いよく立ち上がる炎の柱。火炎竜の悲鳴にも似た叫びが一瞬聞こえたが、轟音に掻き消されて消えた。
「やーっと出たぁ。たまものまえ、会いたかったぁ」
やっぱりだ。
ラキアの狙いは、初めから玉藻前だ。
最早隠そうとすらしないラキアの言葉に、確信する。
「た、玉藻前……俺のことは――」
ただならぬ予感がする。玉藻前の強さは間違いないが、どんな手を使ってくるか分からないラキアと戦わせるのは絶対に駄目だと、俺の直感が訴えかけてくる。
俺のことは良いから、イナリ社に隠れといてくれ。そう言おうとしたが上手く言葉を発することが出来なかった。
「あっははは! 無理無理! 『一斬呪縛』。この長剣を介して魔力を流し込むと、相手は自由を奪われる。ま、完全に身動きが取れないって訳じゃないけどね」
体のあちこちが痛むのは、斬られた傷のせいだけじゃ無いってことか。
喉が激しく痛むのも、その一斬呪縛という物のせいだ。
「『魔喰い蛇』はね、獲物は逃がさないんだよ?」
再び構えるラキアの顔は、やはり不気味な笑みが浮かんでいる。
危険だ。
そう思って玉藻前に視線を送るが――
「済まぬなシファ。もう人間と敵対はしたくないと思っておったのじゃが、護るためにはやはり……戦うことは必要じゃ」
体のあちこちが痛い。
なんだコレ……これが状態異常っていうやつか。
駄目だ、玉藻前とラキアを戦わせたら駄目だ。
体を必死に動かそうとするが、震えが激しくなるばかりでまともに動けない。
なんて呑気に体を動かしている俺の見ている前で、ラキアが駆け出した。
玉藻前へ向けて一直線に、素早い動きで距離を詰めた。
だが、玉藻前の周囲に漂う炎の塊がラキアへと襲いかかる。先程鈍い動きとは違い、確実に相手を捉えた素早い動きだ。
だが――ラキアはソレを躱す。
身軽な動きで跳躍し、そのまま玉藻前の頭上すらも素通りして……俺の目の前に着地した。初めから、玉藻前なんて相手にしていないと言った具合だ。
「魔獣の相手なんか後だよ後。まずはこの死に損ないにとどめを刺さないとねっ」
「ラキア……おまえっ」
こんなにも人を憎たらしいと思ったことがない。
怒りが、こみ上げてくる。
喉が焼ける痛みの中、必死に声を出した。
「へー、まだそんなに喋れるんだね」
そう言いながら、ラキアは右手に持った長剣を振りかぶる。
そしてドロン――と、俺とラキアの間に割り込むようにして青い炎が出現する。
違う……ラキアは初めから……俺のことなんか眼中にない。
コイツの狙いは――
時間の流れが緩やかになるような感覚の中で、青い炎から玉藻前が出現する。
ラキアから、俺のことを護るために。
「あっはははは! もう最高に気持ち悪いねっ! 魔獣が人間を護るなんてさぁ!」
笑いながら、ラキアは左手で玉藻前に向かって何かを投げた。
そしてその投げられた何かを長剣で一閃すると――その場でボウッと瞬く間に炎が上がり、玉藻前へと襲いかかる。
「――ッ!?」
玉藻前が苦悶の表情を浮かべているのが分かった。
ただの炎じゃない――金色の炎だ。
「『聖火瓶』だよ! お前ら死霊系統は、聖火が大弱点だからねぇ!!」
玉藻前の青い炎がみるみると弱くなっていき、遂には消え失せる。
そしてラキアはそのまま返す右手で、玉藻前の体へ向かって長剣を振り抜いた。
「ぐっ――」
血飛沫が上がる。
更にラキアは、体勢を崩した玉藻前の腰へ向かっても長剣を振り抜いた。
自分の体すらも支えることが出来なくなった玉藻前は、その場に崩れ落ちる。その腰にあった筈の九つの尾を失っていた。
「はぁ、はぁ……全然大したことないじゃん。これが危険指定レベル18?」
興奮した様子で玉藻前を見下ろすラキアの左手に、玉藻前の尾が握られている。
「これが、玉藻前の九尾。……っふふふ、あっははは!」
何かを呟いた後に、高笑いが聞こえてきた。
全く頭に入ってこなかった。
「お……おい、玉藻前?」
呼び掛けた。
喉が痛くて上手く声が出ないが、それでも呼んだ。
「な、なぁって……おい」
起きてくれない。
「いやいや、もう死んでるでしょソレ。討伐したんだよ私が」
「なぁ、玉藻前?」
「いやだから――」
――ピクリと、玉藻前の耳が跳ねた気がした。
「ぎゃあぁああぁああああ!!」
瞬間、後ろのラキアがやかましい悲鳴を上げる。
慌てて振り向くと、ラキアの右手が激しく燃え上がっている光景が目に入って来た。青い炎が右腕全部に燃え広がり、眩しい光を放っている。
「痛い熱い痛い痛い痛い!! なに!? なにこれっ!? 何で!? 死んでない!? くそっくそっ! 消えろよぉ!!」
ガシャン! と、ラキアが右手に持っていた長剣が地面に転がった。
そしてようやく、青い炎が消え失せる。
「な、何なのマジで……っよくも私の右腕を」
青い炎によってか、ラキアの右腕が焼き消えていた。
その顔からは余裕が消え失せ、怒りに満ちていた。
「生きてんのかよこの妖獣! とどめ刺してやるよ!」
未だ倒れ伏している玉藻前を庇うように、なんとか体を動かした。
「どいてよ! もう君に用は無いんだよね! そこの妖獣だけちゃんとぶっ殺すだけだっての!」
「…………」
睨みつけた。
「この――」
ラキアが、左手を振り上げるが――
「そこまでだラキア」
男の声が、ラキアを止めた。
気付いて見れば、いつの間にか知らない男がラキアの隣に立っていた。
「なに? 今いいところなんだけど、見て分かるでしょ?」
「駄目だ。緊急事態だ。俺が創り出したレベル15越えの竜種が全て倒された。一瞬でだ」
「はぁ!? なにソレ! あり得ないでしょそんなの」
「事実だ」
「…………」
何かを考えているようだ。
「ちっ! まぁ良いよ。仕事は終わったしね」
二人の視線の先にあるのは、玉藻前の討伐証明部位――九尾だった。
「でも何かムカつくし、この場に火炎竜二体出しといてよ」
「あまり魔力を無駄に使いたくは無いんだがな」
近くで、大きな地響きと共に何かが降り立った。おそらく、この男が魔力で竜種を創り出していた奴だ。
ラキアの本当の仲間なんだろう。
火炎竜が出現したこと見届けてから、二人はその場から去っていった。
◇◇◇
自分の無力さに腹が立つ。
もっと強かったら……姉のような強さがあればと、本気で思う。
玉藻前だって、本当は俺が護るべき相手だったのに……結局何も出来ないまま、俺の目の前で……。
「シファ……」
ルエルだって、俺を庇って傷ついた。
何もかも、俺が弱かったからだ。
「シファ、貴方の傷も決して浅くは無い。とにかく、今は山を降りましょう。火炎竜は……私がなんとかするわ」
時折咳込みながら、ルエルが俺の腕に肩を入れてくる。
そんな時だ。
「シ、シファよ……」
小さな、本当に小さな声が聞こえてきた。
目を閉じたまま、玉藻前が振り絞るようにして声を上げたんだ。
「済まぬな……お主達に助けられた命だと言うのに……こんなことになってしまったのじゃ」
玉藻前の手を握る。
「お主らには感謝しておるよ……こうして、イナリに帰って来れたのじゃから」
涙が、溢れた。
「そう……報酬を渡そうと思っておったのじゃよ。いっぱい悩んで、決めたのでな、大切に使って欲しいのじゃよ」
目を開けていられなくなった。
擦っても擦っても、涙が止まってくれない。
手に、暖かな青い炎が宿ったかと思えば、炎の形が変わっていった。
そして現れたのは――一振りの長刀。
「イナリ社の秘宝……と言うのかの。妖刀――『玉露』なのじゃ」
妖刀が、俺の魔力を吸った。
すると――今まさに俺達へ敵意を向けていた火炎竜との間に、青い炎の壁が出来上がる。
それを見ていたのか、玉藻前が『ふふっ』と軽く笑ったような気がした。
それを最後に、玉藻前が再び口を開くことは無かった。
自分が憎い。ラキアが憎い。『魔喰い蛇』が憎い。
そんな訳の分からない感情に支配されて、どうにかなってしまいそうだ。
「…………」
そんな時、後ろから誰かが近付いて来た気がした。
絶対に間違える筈がない人の気配が、ゆっくりと近寄って来た。どうしてここにいるのかは分からない。なんのために来たのかも分からない。だけも、そんなことは今はどうでもいい。
本当は、こんなこと駄目だって分かってる。
でも俺には、もう頼ることしか出来ないんだよ。
「何とかしてくれよ……ロゼ姉」
そう必死に口を動かして、後ろを振り向いた。
やっぱり、そこには我が親愛なる姉が……立っていた。




